第4話

 ある日の放課後、廃工場に向かう途中で、一羽の烏(からす)に声をかけられました。

『あんた最近、オレ達の事よく見てるよな』

「別にいいでしょ。迷惑かけてない」

『待てって。あんたに渡したいものがあるんだよ』


 その烏(からす)は私の足元に、小さな小瓶を落としました。拾ってみると、中にはどろりとした黒い液体が入っています。

「これは何?」


『烏(からす)になれる魔法の薬さ』

 その烏(からす)は得意げにそう言いました。


「そんなものを、どうして私に」

『烏(からす)のお姫様からのプレゼントさ。そのお姫様は生まれつき特別な見た目をしていて、そのせいで周りと馴染めなくてね。それがあんたの噂を聞きつけて、友達になりたいと言い出したんだ。まあ同じ外れ者同士、仲良くなれると思ったんじゃないか』


 いかにもお姫様らしい我が儘な考えです。友達になりたいのなら、私を烏(からす)にしなくても直接会いにくればいいのに。私は、小瓶を突き返しました。


「いらない。私烏(からす)になんてなりたくない」

『本当に?人間でいる方が、あんたにとっては窮屈じゃないのか?』

 その烏(からす)は見せびらかすように、羽を大きく広げました。


「そんなことない!」

『いいこと教えてやる。昔にもあんたみたいに人間の言葉を忘れ、烏(からす)の言葉を喋るようになった人間がいたんだ。そいつも人の群れには上手く馴染めなかったらしい。しまいには自分には翼も思いこんじまったのか、塔の上で両手を広げて、そのまま落ちて死んだのさ』

「…どうしてその人に、この薬をあげなかったの?」

『人間を烏(からす)にしていいのは、千年に一人だけなんだ。前の人間から昨日でちょうど千年。あんたは運がいい』


 私は、手の中の小瓶を見つめました。


『これはお姫様の優しさでもあるんだ。まあ、俺は渡すよう指示されただけだ。後は好きにしな』


 そういうと、烏(からす)は飛び立っていきました。

 

 私はその小瓶をポケットに入れ、貴方のいる廃工場へ向かって走りました。


 息も絶え絶えになりながら、私は廃工場の扉を三回ノックします。扉を開けてくれた貴方は、私の様子を見て少し驚いたようでした。


「何かあった?」

 私は首を横に振ります。「そう」とだけ言ってそれ以上は聞きかず、貴方はいつもどおりスケッチブックに絵を描き始めました。私はその少し離れたところに体育座りをして、呼吸を落ち着かせながら目を閉じました。


 いつも軽快な鉛筆の音が、今日は何故だかゆっくりと穏やかに、工場内に響いて聞こえます。それは、波打つ心臓を静かに収めてくれました。


「貴方は烏(からす)が嫌い?」

 私は膝に顔を埋めたまま聞きました。鉛筆の音が止み、静寂が工場内を包みます。


「何、急に」

「前に死骸の絵を描いていたら」

「嫌いなんかじゃない」


 貴方の言葉に、私は顔をあげました。

「綺麗な生き物だと思うよ、烏(からす)は」


 そういって貴方は私にスケッチブックを投げてよこしました。あの死骸を思い出して、ためらいがちに開くと、そこには鉛筆で描かれた真っ白な烏(からす)がいました。私は思わず聞きました。

「これは烏(からす)なの?」


 貴方は伏し目がちに笑って言いました。

「烏(からす)だよ。普通とは少し違うけれど」

「見たことあるの?」

「一度だけ。凄く綺麗だった」


 独り言のように呟く貴方。遠くを見るようなその瞳は、私をたまらなく嫌な気持ちにさせました。いつもの黒い煙とは違うけれど、もやもやしたものが胸のあたりを覆っているような感じです。

 もしかしたらその白い烏(からす)というのは、烏(からす)のお姫様じゃないかしらと思ったけれど、貴方には教えませんでした。私はポケットに入れた薬の小瓶を強く握りしめて、言いました。


「ねえ。もしもさ、私が烏(からす)になっちゃったらどうする?」

「何それ」


 貴方は鼻で笑いながらも、わざとらしく考えるようなそぶりを見せていいました。

「俺は君と違って烏(からす)とお喋りできないから、どれが君だか分からなくなるな」


 期待していたものではない答えに、私は少しがっかりしました。私はやけになって、工場の天窓を指差して言いました。


「私が烏(からす)になったら、あの天窓から入るわ。三回ノックしたら、貴方が窓を開けに来てね」


 到底届くはずのないその窓を見上げ、貴方は苦笑しました。

「じゃあ、人間のままでいてほしいな」

 

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