第3話
人前で喋らなくなってから、私はクラスメイトのいる教室ではなく保健室に登校するようになりました。先生は私と筆談でお話ししてくれます。
『しょうらいのゆめを絵でかいて下さい』
図画工作の課題だそうです。私は困りました。
『思いうかびません』
『じゃあ、好きなものをかいてください』
そう先生に返されて、私はとても後悔しました。教室にいるクラスメイト達は、与えられた課題通りのものを先生に提出するでしょう。
だけど私だけそれが出来ず、特別に好きに絵を描くことを許されてしまった。
こうした人とのズレを積み重ねていけば、大人になる頃にはきっと取り返しのつかないようなことになっているんじゃないか。私は烏(からす)語を話すようになる前からずっと、そんな不安を持ち続けていたのです。
またズレを重ねてしまった。意見なんてせずにみんなと同じようにすればよかったと、心の底から後悔しました。でも今更「やっぱりしょうらいのゆめをかきます」と言い出したら、先生の厚意を無駄にしてしまいます。そしたらこんなに優しく丁寧に接してくれる先生も、私のことを嫌いになるかもしれない。そう思うと怖くて言い出せず、私はのろまな手つきでクレパスを握りました。
真っ白な画用紙を見ていると「失敗してはいけない」と強く感じ、走ってもいないのに心臓が早くなっていきます。
何か描くものを決めなければと考えている内にも時間は過ぎていきます。一向に進まない私に痺れを切らしたのか、先生が様子を伺うように私の後ろを歩き回っているのが分かります。言うことが聞けない上にやる気がないと思われたくなくて、咄嗟に手に持っていた青色を、でたらめに画用紙に塗りたくってしまいました。
結局それ以降筆も進まず、描きたいものも思い浮かばず、白い画用紙を無意味な青色に汚してしまっただけでその日は終わりました。絵は今週までに完成させなければいけません。私は憂鬱な気持ちになりました。
ふと、いつも絵を描いている貴方なら、何かアドバイスをくれるかもしれないと思い立ちました。私は描きかけの画用紙とクレパスを持って、放課後あの廃工場に向かいました。
「何を描きたいのかも分からない人に、アドバイスなんてできないよ」
貴方はもっともなことを言います。
「自由にしていいって言われたんだろ?描きたいものを描けばいいんだから難しいことじゃないさ」
「だって、画用紙もこんなにしちゃったし、この上に描けるものなんて…」
「じゃあ、烏(からす)は?お喋りできるぐらい好きなんだろ?」
「別に好きじゃないけれど…黒く塗りつぶしちゃうってこと?」
「塗りつぶすんじゃないよ」
そういって貴方は私に近寄ると、手に持ったスケッチブックにクレパスを走らせました。青と紫と黒を重ねたそれは、黒に潰されるわけでも混じりあうわけでも無いけれど、私の知らない色の調和がありました。
「烏(からす)の羽は黒一色じゃないんだよ。光の反射で、いろんな色に見えるんだ。黒で塗りつぶすんじゃなくて、うまい具合に重ね合わせれば、もっと…」
そう丁寧に説明してくれたのに私は、いつもより距離が近い貴方に、ただドキドキしていました。
生返事の私に気づいたのか、貴方は手を伸ばしてきて、指に付いたクレパスの粉を私の頬にこすり付け意地悪そうに笑いました。
私は怒ったふりをして執拗に顔をぬぐったけれど、またこうして頬にふれてほしいような、もう二度と目も合わせたくないような、とても不思議な感じでした。
それから私は、烏(からす)をよく観察するようになりました。貴方が言うとおり烏(からす)の羽はただ黒いだけではなく、様々な色彩を持っています。
今まで気が付かなかったけれど、それは確かに美しいものでした。
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