四話 稼ぎが問題? 問題なのは貢献度だ

 相模国さがみのくにホテルマネージャー藤岡ふじおか康行やすゆきのスマホに緊急の連絡が入った。

 「なんだと⁉ 今度の土日の晩餐会ばんさんかい穂の国ほ くにホテルが開催することになっただと⁉」

 相模国ホテルを仕切るベテランマネージャーの叫びに――。

 スタッフたちは一斉にざわついた。

 「そんな! その晩餐会はうちで開く予定だったのに……」

 「今度の土日ってあさってじゃないですか⁉ なんだって、そんな急に……」

 「……今度の晩餐会は外国の要人を招いての重要な式典だ。箔付けのために政治家に裏で話を通して横取りしたんだろう」

 「くそっ、穂の国ホテルらしいやり方だぜ」

 「……やめろ、みんな」

 騒ぎ立てるスタッフたちに向かい、藤岡は年長者らしく語りかけた。しかし、その表情には隠しきれない悔しさがにじみ出ていた。

 「お互い、プロ。重要な仕事をとるためにあらゆる手を尽くすのは当然だ。穂の国ホテルはそれをやり、我々は詰めが甘かった。それだけのことだ」

 「でも、藤岡さん、どうするんですか? 晩餐会用の料理のための材料はすでに仕入れ済みです。無駄にしてしまうんですか?」

 「いや、それより、パーティー会場の使用がキャンセルになる方が痛い。よりによってかき入れ時の土日分、まるまる空いてしまうなんて……」

 「それよりと言うならイメージこそ問題だ。よりによって外国の要人を招いての晩餐会を直前で他のホテルにとられたなんて……世間に知られたらいいわらいものだぞ」

 その言葉に――。

 居並ぶスタッフたちの間に沈黙が降りた。一様に不安げな表情をたたえている。その視線は自然とマネージャーである藤岡に集中する。

 「くっ……」

 藤岡は呻いた。手にしたスマホを握りしめた。

 それは、藍条あいじょう森也しんやを呼ぶ声だった。


 「さっさと向かえ。何をしている」

 担当編集者の黒瀬くろせヒロの運転する車の助手席。そこに陣取っている藍条森也はヒロを盛んにけしかけた。

 「な、なによ。なんで、今日に限ってそんなに張り切ってるのよ。いつも、あたしが頼み事をすると面倒くさがるのに」

 「今回はおれにも大きなメリットがある」

 「メリット?」

 「相模国ホテルの藤岡康行と言えば業界では有名だ。日本でもトップクラスのホテルマンとしてな。観光業を柱のひとつとする富士幕府としては渡りを付けておきたい相手だ。それに、ホテルから出る膨大な食品廃棄物は動物用の食糧に加工できる。大量に使われる揚げ油は農耕車両の燃料になる。多くのメリットがあるんだ。恩と名前を売るチャンスは逃せん」

 「な、なるほど……」

 「わかったら急げ! またせるな」

 かくして――。

 藍条森也を乗せた車はかつてない速度で町中を走り抜けて行ったのだった。


 相模国ホテルのマネージャー室。

 森也とヒロはそこで藤岡康行と面会した。

 「悪いね、ヒロちゃん。急にこんなことを頼んだりして」

 「気にしないで、おじさん。こいつはこう言うことが取り柄なんだから」

 ヒロには実は自身の務める出版社の部長夫人である伯母がいる。この伯母に紹介してもらってのコネ入社だったりするのだが――本人の名誉のために言っておくと、コネなしで入社できるだけの学歴はちゃんともっている――この藤岡康行。その伯母の幼馴染みであり、一生ものの付き合い。おかげでヒロも小さい頃から知っており、昔から『ヒロちゃん』、『おじさん』と呼び合う仲なのだ。その関係上、森也のことも以前から聞いており、今回の件を何とかしてもらえないかと連絡したのだった。

 「藍条森也です。はじめまして」

 森也がめずらしく自分から前に出た。握手のために手まで差し出して愛想全開である。普段の森也からは想像も出来ない姿にヒロは目を丸くしている。

 ――こいつにも営業用スマイルってあったのね。

 そう思い、なんとも意外な念を禁じ得ないヒロであった。

 「問題解決ならお任せください。発想力と独創力では藍条森也の右に出るものはいません。私が世界一です」

 などと、臆面もない売り込みまでしてみせる。ますます別人。ヒロははっきり言って森也の面の皮つら かわを引っ張ってやりたくなった。

 ――だって、いつもの藍条とは思えないものね。誰かが変装してるんじゃないかって疑いたくもなるわ。

 「は、はあ……。よろしくお願いします」

 自信満々を跳び越えて、どう見ても『自信過剰』な態度に藤岡も『頼もしい』を越えてうさん臭いものを見るような目になっている。それでも、ギリギリのところで失礼にならないよう自分を抑えているところがさすが、一流のホテルマンなのだった。

 しかし、ヒロは知っている。森也のこの態度が決して『自信過剰』などと言うものではないことを。

 森也は藤岡から説明を受け、さらに一通りの資料に目を通した。うなずいた。

 「なるほど。直前に迫った晩餐会を他のホテルにとられた。仕入れた食材が無駄になる。パーティ会場がまるまる空いてしまう。おまけに、イメージダウン。三重苦が襲いかかっているというわけですか」

 「……そうです」

 「まあ、一番、単純な解決策は仕入れた食材すべて、横取りしたホテルに売りつけることですが……」

 その言葉に――。

 藤岡の表情に露骨ろこつな失望の色が浮かんだ。

 もちろん、森也はその反応は予想済み。笑顔を浮かべて付け加えた。

 「しかし、それでは大枚はたいて仕入れた食材を安値で買いたたかれるだけ。相手を喜ばせた上に、大損が中損になる程度の効果しかない。しかも、パーティー会場とイメージの問題は解決されない。そもそも、こんな解決法ならあなた方も真っ先に思いついたはずだ。でしょう?」

 「え、ええ……」

 「当然ですね。その上で藍条森也を呼び寄せた。ならば、根本的にちがう解決法をお求めのはずだ。食材を無駄にせず、パーティー会場も空かすことなく、イメージも落とさない。そんな解決方法をね」

 「ありますか⁉」

 藤岡の顔に希望と期待がはじけた。

 森也は笑みを浮かべたまま、自信満々に答えた。

 「ありません」

 「なっ……!」

 「この件はどうやったって損にしかなりません。と言うわけで、どうです? どうせ損をするなら思い切り格好良く損をしませんか?」

 「格好良く?」


 その日。出入りの業者をはじめ、市内の多くの人のスマホに相模国ホテルからの招待メールが届いた。


 きたる土日にかけて、皆さまへの感謝を込めて謝恩会を開催いたします。ぜひ、お越しください。

   服装コードなし。

   一組何名さまでも可。

   お気軽に起こしください。


 その日、相模国ホテルを訪れた人たちは一様に半信半疑だった。当然だろう。市内でも最高峰のホテルがいきなり自分たちを招待するというのだ。それも、完全無料で。

 ――なんの詐欺だ?

 そう思うのが自然というもの。

 しかし、相模国ホテルほとの高級ホテルがそんな詐欺をするとも思えない。行くだけ行ってみようか。行くだけなら害はないだろう。そんな思いでやってきたのが一目でわかる表情だった。

 一組の家族連れが緊張した面持ちで受け付けに近づいた。招待メールの表示されたスマホ画面を見せた。

 「あの、これ……」

 「これはうちのメールではありません!」

 半ば以上、そう言われることを覚悟しての行為だった。しかし――。

 「ようこそおいでくださいました。ありがとうございます」

 受付嬢はいままで、かの人が見たこともないような笑顔を浮かべ、案内してくれたのだった。


 最上階のパーティー会場。

 そこに案内された人々はこの期に及んでなお、半信半疑。いや、一信いちしん九疑きゅうぎぐらいだった。まちがいなく歓迎されてパーティー会場まで通されたとは言え、やはり、どうしても信用できない。

 ――どういうことだ? 自分はただのゴミ回収業だぞ。こんなホテル、一生、縁のない身なのに。

 ――まさか、油断させておいていきなり怖い兄ちゃんとが出てくるんじゃないだろうな? まさか、こんな名の通ったホテルがそんな真似をしでかすとは思えないが。

 そんな不安と疑問が渦巻いている。しかし――。

 その場に出てきたのは『怖い兄ちゃん』どころではなく、正装に身を包んだ折り目正しいスタッフたちと、一般市民であるかの人たちでは一生、お目にかかれないような豪華なパーティー料理の数々だった。

 驚き、さらに戸惑う人々の前にホテルマネージャーの藤岡康行が姿を現わした。藤岡とその他のスタッフたちは人々の前に整列すると、一斉に頭をさげた。さらに驚く人々に対し、藤岡は真摯しんしな表情で語りかけた。

 「皆さん。よくおいでくださいました。本日、お招きいたしましたのは資源回収業や下水道の清掃業など、私たちの暮らしを支えてくださっているにもかかわらず、日の当たることのないお仕事に就かれている方々です。

 我々はつい日の当たる場所ばかり見てしまいます。しかし、本当に大切なものは日の当たらない場所にある。我々はそのことを知らなければなりません。当ホテルも我々だけではなく、清掃業者の方、クリーニング業者の方など、日の当たらない場所で懸命に働く方々のおかげで成り立っています。それなのに、我々はいままで一度として、あなたのご苦労を気遣うこともなく、感謝を捧げることもありませんでした。我が身の不明を誠に恥じ入る次第です。そこで今回、ささやかながら感謝の宴を開かせていただくこととしました。どうか、我々のご恩返しを受け取ってください」

 その言葉に――。

 歓声が巻き起こった。


 「すごいですよ、マネージャー! 今回の件、ネット上で大バズりです。うちのイメージも爆上がりですよ! 今後の予約も殺到してます!」

 若いスタッフが興奮しきりに報告した。

 藤岡は満足そうにうなずいた。目の前にいる森也に向き直った。

 「いや、驚いたよ。ヒロちゃんの言っていたことはたしかだったな。まさか、無駄になるはずだった食材とパーティー会場を利用して一大謝恩会を開くとはね」

 「前々から不満があった」

 森也は答えた。

 「なぜ、たかが『球遊び』をしているだけの連中が英雄となり、年に何百億も稼げるのに、ゴミ収集人はまるっきり稼げないのか。球遊びなんぞなくても生活には困らない。だが、ゴミを集め、捨てにいく人間がいなくては社会生活など成り立たないと言うのにな。

 球遊びをしている連中が大金を稼ぐのはいい。連中が並の人間には出来ないことをしているのはたしかだ。しかし、それならゴミ収集人や下水の清掃人など、日の当たらない場所で働く人間も同様に稼げるべきだ。ところが、それができない理由がある」

 「サービスの価格、か」

 「そうだ。誰もが必要とするサービスは誰もが受けられる価格でなければならない。だから、それらのサービス業は何億などと言う給料は決してもらえない。対して、球遊びはなくても困らない。困らないからこそ、金持ちだけが享受できるものでもかまわないからこそ、いくらでも給料があがる。

 理不尽な話さ。社会生活に必要なことをしている人間ほど、まさにこそ高い給料をもらえないんだからな」

 「そのとおりだ」

 藤岡は重々しくうなずいた。

 「私も今回、君にその点を指摘されるまでまったく気付かなかった。ホテルを支えてくれる人たちに感謝ひとつすることなく、それどころか少しでも安い業者を探すようにしていた。そうしてホテルの滞在費を安く抑えることがお客さまのためになる。そう信じて。その一方でホテルを支えてくれる人たちの生活を苦しくしていたと言うのにな」

 「仕方がないさ。誰だって少しでも安い方を求めるものだからな。だからおれは、『金』以外での評価をすることにした」

 「それが『貢献ポイント』か」

 「そうだ。今後、富士幕府では現金以外に、給料として『貢献ポイント』を支払う。安月給で社会のために働く人々に報いるため、金では買えない、貢献ポイントでしか得られないサービスを提供していく。世の中の辞書を書き換える。稼げる仕事だけが価値ある仕事ではないと、世の中の価値観を書き換える。人の世の理不尽さを減らしていくために」

 「うむ。私も今回の件でホテルを支えてくれる人たちに恩返しをすることの大切さを学んだ。我がホテルのスタッフたちにはこれから先ずっと、その精神をもっていて欲しいと思う。これからは定期的に謝恩会を開催していく。君の言う『金では買えない』貢献ポイントでのみ得られるサービスにも協力しよう」

 「ああ。期待している。共に世の理不尽を減らしていこう」

 「もちろんだ」

 そして、ふたりはガッシリと握手を交わした。

                  完

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