三話 娘の出来が問題? 問題なのはお前らだ
寒風吹きすさび、雪の舞い散るそのなかを、厚いコートに身を包んだ若者たちが列を成して進んでいる。
日本の冬の風物詩。
そう言っても過言ではない、試験会場目指して行進する受験生の群れだった。
その受験生たちの群れのなかに
見た目を完全無視した実用一点張りのメガネ。髪の毛もろくに手入れしていない。防寒対策としてもこもこの上下を着込み、さらにその上から厚いロングコートを着込んでいるので体型などまったくわからない。もっとも、他人に見せるような体型ではないと自覚しているし、そもそも見せるような相手もいないのでその点は問題ない。むしろ、ありがたいぐらい。
共に一流大学を卒業して、一流企業に勤める両親のもとに生まれ、同じくエリートコースを歩むことを宿命づけられてきた。
一流の小学校。
一流の中学校。
一流の高校。
一流の大学。
そして、一流の企業。
ただただ親の望むままにそのコースを歩むべく、すべてをなげうって勉学に励んできた。 そして今回、親と同じ有名大学を受験することになった。
もちろん、親の意向で。
高校までは苦労しながらもどうにか親の期待に応えてきた。あとはこの受験に成功し、ストレートで卒業して一流企業に就職すれば、親の望みを完全に叶えたことになる。そうなれば――。
――親の期待から解放される。
ただ、それだけを思い――。
上島才華は受験に望んだ。
そして、合格発表の日。
上島才華の名前は……なかった。
「なんたることだ! 大学受験に失敗したあげくに部屋に閉じこもって一歩も出てこないとは! こんな恥さらしになるとは、お前の教育が悪いんだ!」
「何言ってるの⁉ 娘の教育は全部、わたし任せにして都合のいいときだけしゃしゃり出てきてたくせに! あなたのその無責任さがこんな結果になったのよ。そうよ、全部あなたのせいよ。そうでなきゃ、わたしの娘が大学受験に失敗なんてあり得ないわ。そんな情けないこと……」
「なんだと⁉ おれのせいだと言うのか!」
「ええ、その通りよ! この甲斐性なし!」
両親の叫びが高級住宅地の一軒家のなかに響き渡る。
才華はその声を聞くまいと自室でひとり毛布をかぶり、必死に耳を押さえていた。
上島家に響く夫妻の罵りあう声、そして、声にはならない才華の絶望の叫び。
それは、
「だからだなあ」
いったい、これで何度目だろう。
藍条森也は高級住宅地を走る車のなかで不満たらたらに毒づいて見せた。
「何だってお前は、知り合いの家に問題が起こるたびにおれを巻き込むんだ」
「だからあっ、何度も言ってるでしょ」
と、こちらも森也に劣らず不機嫌な、と言うより、森也の不機嫌さにあてられて気分を害している
「あんたならなんとかできると思うから頼んでるんだってば」
「家族の問題なぞ家族に解決させろ。何度、言わせる」
「それができないからあんたに頼んでるんだって何度も言ってる! あんたこそ、出来るだけの能力があるのに何でやってあげようとしないのよ。一八才の女の子が将来に絶望して閉じこもってるのよ?」
「赤の他人だからだ」
きっぱりと――。
そう宣言する森也であった。
「ああ、もうわかったわよ! とにかく! 会うだけは会ってもらいますからね!」
黒瀬ヒロはそう言ってアクセルを踏み込んだ。
「お前か⁉ 我が家の恥を他人様に漏らしたりしたのは!」
「失礼ね、わたしはそんなことはしていないわ。あなたがやったんでしょ! ヒロさんが昔からの知り合いで若くて可愛いからっていつもデレデレして……」
「何だ、その言い方は⁉ おれが浮気してるとでも言うのか!」
「馬鹿言わないで。あなたがこんな若い子から相手にされるわけないでしょ!」
森也でなくてもうんざりしてすぐに帰りたくなる光景だったにちがいない。森也とヒロが訪問した上島家は最初から大波乱だった。
夫妻共に相手が『我が家の恥』をヒロに知らせたと思い込み、早々に大喧嘩をはじめる始末。実際にはヒロは事態を知って心配した親戚から話を聞いたのだが、そんなことはどちらも聞く耳をもっていない。ヒロの方も話すきっかけを失ってしまった。
「あ、あの、落ち着いてください!」
それでも、森也をここまで連れてきた責任上、言うべきことは言わなくてはならない。必死に声を張りあげて夫妻の罵りあいに割って入った。
「いまはそんなことより才華さんを助けてあげるべきでしょう。かわいそうに、受験に失敗したショックで部屋から一歩も出てこられなくなってるとか。それをまず、なんとかしないと……」
「よけいなお世話だ!」
「よけいなお世話です!」
夫妻の意見がこのときばかりは見事に一致した。完璧なハーモニーでヒロに怒鳴り返す。
「娘は単に甘えているだけだ! 部屋に閉じこもっていれば誰かが何とかしてくれるなどと……そんな甘ったれ根性は通用しないことをわからせてやる。このまま何年でも出てこなければいい。他人が口を挟む問題じゃない!」
「ええ、その通りよ。すぐに帰って」
「そんな、ひどすぎます。才華さんだって一所懸命やってきたからこそショックを受けて……」
「一所懸命? 馬鹿言わないで! 一所懸命やって受験に失敗するなんて、そんな不出来な娘なら産みたくなかったわ。これじゃわたしの人生、いい嗤いものよ」
「まったくだ。娘の出来が悪いせいで親であるおれが嗤われるなど……出来の悪い娘をもつと苦労する」
上島夫妻はふたりそろって本気で『我こそは被害者』と思い込んでいるようだった。その姿を見てヒロはさすがに憤然とした。眉を吊り上げ、言い返そうとした。だが――。
「いい加減にしろ」
ヒロより先に森也が口を開いた。
静かだが深い、地の底から沸き起こる地鳴りのような声。その声に含まれた怒りの深さにヒロはおろか、さしもの上島夫妻も一瞬、黙り込んだ。
森也は怒りと軽蔑を込めた目で上島夫妻を見ながらつづけた。
「問題とすべき点がちがうだろ。娘の出来が悪い? 問題なのはあんたたちだ。あんたたちの娘はたしかに受験に失敗した。だが、受験を目指して勉強するなかでたしかに成長したはずだ。成長そのものを目的にすれば人生に失敗などない。なぜ、そう言ってやれない? なぜ、結果だけを求める? あんたたちのそんな態度が娘を追い詰めているんだろうが」
せっかくの森也の言だったが上島夫妻はふたりそろって鼻でせせら笑った。
「結果がすべてではないと? ふん。いかにもな負け組の論理だな。人生で勝ち組になりたければ結果を出しつづけるしかないんだ」
「その通りよ。あなたたちみたいな脱落組にはわからないでしょうけどね」
その言い草に――。
ヒロが再び眉を吊りあげた。
今度こそ思い切り罵倒してやろうと思った。しかし、やはりそれよりも先に森也が立ちあがっていた。
「帰るぞ、黒瀬。これ以上、こいつらに関わっていても時間の無駄だ」
「こいつらだと⁉」
「なんて失礼な!」
自分たちの無礼と非礼と失礼と、ついでに欠礼を遠いとおい太陽系の果てまで放り出して怒り狂う上島夫妻だった。
森也はそんなふたりを見下ろしながら言った。
「とにかく。この親から引き離さなければどうにもならん。まずは部屋から連れ出す算段を付ける」
「引きはなすだと⁉ 親から子供を連れて行く気か!」
「立派な誘拐じゃない⁉ 犯罪行為を行うつもり!」
夫妻のこんなときばかりは息の合う攻撃に森也はしかし、いささかも動じることなく答えた。
「大学受験に失敗して親に恥をかかせるような娘はいらないんだろ? だったら、こっちで引き受ける。それだけのことだ。帰るぞ、黒瀬。やることができた」
帰り道の車のなか。
助手席に身を沈めながら森也は言った。
「春までにケリをつける」
「春までに?」
どうして?
と、そう尋ねるヒロに森也は答えた。
「冬の間はいいんだ。冬は世間全体が何となく沈み込んでいる季節だからな。自分の惨めさが際立たずにすむ。だが、春になるととたんにヤバくなる。春は世間全体が何となく華やいで新しい出発に向けて賑わう季節だ。そんななかで自分だけが取り残されている。その絶望感は本気でキツい」
「……あんた。そんな思い、してきたの?」
「人並みの体験はしていないが、人並み以外の体験は色々としているんでね」
ヒロは何も言えなかった。森也の過去を多少なりとも知る身としてはうかつに過去に関わることなど出来なかった。そのかわりに尋ねた。
「でも……春までケリをつけるってどうするの?」
「手はある」
「あるの⁉」
「なんで、お前が驚く? そのためにおれを巻き込んだんだろうが」
「そ、それはそうだけど……」
さすがにこうも簡単に対策を見つけるとは考えていなかった。
――こいつ、ほんとに人間?
ときとして、真剣にそう疑うヒロであった。
「手はある」
森也は重ねて言った。
「問題はどうやって実現するかなんだが……例のハッカー小僧の手でも借りるとするか」
そして、熟考モードに入った森也を乗せて、ヒロの運転する車は高級住宅地をあとにしたのだった。
もう何日目だろう。
灯も付けない部屋のなかでたったひとり、毛布をかぶって丸くなっている。
――このままじゃいけない。
そんなことは才華にもわかっている。
でも、他にどうしようもない。
部屋を出れば親と出会う。
親に見られることが怖い。
自分を責める目で見られるのが怖い。
自分を責める言葉を聞くのが怖い。
不出来な娘。
恥さらし。
親不孝。
ふたりの親がどんな目で自分を見て、どんな言葉を放ってくるか、いやと言うほどわかっている。
物心付いたときからずっとそうだった。
自分が期待に応えられないとなるといつだってそうやって自分を責めてきた。それ以外のことをしてもらった記憶なんてひとつもない。責められないように、ただそれだけを思って必死に親の言うとおりに勉強してきた。それなのに……。
「もういや。死にたい」
何度目だろう。
才華は布団のなかで涙に暮れながら呟いた。
そのときだ。
ただひとつ、それだけは枕元に置いていたスマホが光った。
「……なに?」
才華は呟いた。
スマホを手にとった。
一通のメールが届いていた。知らないアドレスからだった。そのメールにある言葉は――。
――死にたい。
自分と同じその一言に才華は思わず引きつけられた。むさぼるようにメールを読んでいた。そこに書かれていた内容とは――。
「……あたしと同じだ」
見ず知らずのメールの主もまた、親の期待に押しつぶされながら大学受験をし、そして、失敗した。親の目が怖くて部屋から出られない。人生のすべてを捨てて受験に懸けてきたというのにこの始末。
もう人生、終わり。
もう死にたい。
そう綴ってあった。
才華は思わず返信していた。
「だめだよ、死んじゃ! 絶対にだめ!」
それから毎日、何日もなんにちも才華は見ず知らずのメール相手と会話を交わした。
そのなかで才華はいつの間にか励まし役に回っていた。
「そんなことない、受験に失敗したからって何の価値もないなんてそんなこと絶対、ないよ。だって、あなたは一所懸命、頑張って勉強してきたんでしょ? それが無価値だったなんて絶対にない!」
「結果がすべてじゃないよ。必死に勉強してその分たしかに成長したじゃない。それだけでも充分すごいことだよ」
「あたしたちまだ一〇代だよ? 一度ぐらい大学受験に失敗したからってまだまだ将来あるんだから」
見ず知らずの相手を励ますためのその言葉は――。
いつの間にか才華自身の胸に染み入っていた。
そして、春。
才華の姿は森也が共同経営者として運営するカフェのなかにあった。ウエイトレス野制服を着込み、トレイをもって店のなかを行き来している。
「今度こそ、自分のために生きよう。親のためではなくて」
謎のメール相手とはそう誓い合って別れた。
そして、才華は部屋から出てきた。誰に言われたのでもない。無理やり引きずり出されたのでもない。自分の意思で、自分から出てきたのだ。そして、
「あの両親から引き離さないとはじまらない」
森也のその意向を受けてヒロが説得し、家を出させたのだ。
才華自身、謎のメール相手とのやりとりのなかで親から離れる決意を固めていたので渡りに舟だった。
幸い、カフェはウエイトレスを募集しているところだったし、社宅のような扱いのアパートにも空きが出来たところだったのでちょうどよかった。
才華は決して美少女と言えるような姿形の持ち主ではなかったが、以前に比べればずっと明るくなっていたし、愛嬌のある振る舞いのおかげでそれなりに人気のウエイトレスになっていた。
楽しそうに働くその姿を見て、ヒロは言った。
「ほんと、ありがとうね、藍条。才華さん、ウエイトレスのバイトをしながら予備校に通ってもう一度、同じ大学に挑戦するって。今度は親の意向じゃなくて、一年前の自分よりも成長できていることを証明するために、だって。すっかり立ち直ってくれてよかった。あんたには苦労かけたけどね」
「まったくだ」
と、森也は『謙遜』と言う言葉を生み出した人間が見れば眉を逆立てそうな態度で答えた。
「大変だったんだぞ。謎の女になりすましてメールのやりとり。一歩まちがえれば共鳴しあって『一緒に死のう』ってなりかねない。それを『成長それ自体を目的とすれば人生に失敗はない』と思うように誘導しなけりゃならなかったんだ。まったく、こんな苦労をさせられていい迷惑だ」
森也がそうボヤくのも無理はない。
そんなこと、性格を熟知した友人相手だって至難の業だろう。それなのに、会ったこともない、性格なんて人から聞いただけでしか知らない相手に言葉の一つひとつから相手の反応を確かめ、性格を見抜き、一語いちご吟味し抜いて会話を重ね、本人が自然とその結論に達するよう誘導したのだ。
そんな芸当が出来る人間がこの世に何人いるというのだろう。
地球進化史上最強の知性。
そう自認する藍条森也の面目躍如たる働きだった。
「……ただ、ご両親は気の毒な気もするけど」
「かまわんだろ、あれぐらい。クビにしたわけじゃない。閑職に回しただけだ」
才華を家から連れ出そうとしたとき、両親は当然のごとく反対した。
しかし、その反対も長くはつづかなかった。
納得した、と言うわけではない。
それどころではなくなったのだ。何しろ、夫妻そろって閑職に回されてしまったので。
自分のことをエリート中のエリート、永遠の勝ち組と信じていたふたりにとって、それはまさに青天の霹靂。予想外の出来事であり、耐えがたい衝撃と屈辱だった。
何しろ、それまでチヤホヤしていた連中からいきなり白い目で見られる立場に落ちぶれたのだ。あまりのショックに呆然としてしまい、娘のことにかまっている余裕などなくなってしまった。
ふたり並んでリビングに座り込み、茫然自失としているその姿は――。
まったくもって見物だった。
その隙をついて才華を家から連れ出したのだった。
「だけど、あんた、よくそれぞれの会社に圧力かけてふたりを閑職に回すような真似が出来たわね」
「大したことじゃない」
森也はごくごく簡単にそう言った。
「昔のおれとはちがうからな。いまでは、おれのことは経済界で知れ渡っている。『藍条森也のビジネスプランと引き替え』となれば、社員のひとりやふたり、どうとでもするさ」
路頭に迷わせてやることも出来たのに閑職止まりにしてやったんだからまあ、ありがたく思ってもらおうか。
ぬけぬけと、とはこのことだろう。追い落としておいてそうのたまう森也であった。
そもそも、クビにするまではしなかったのは才華が、路頭に迷う親のことを心配して親元に残る選択をすること心配したからだ。決して、当人たちのことを思いやったからではない。ついでに言うと、
――藍条森也に無礼を働いた連中だ。白い目で見られる立場に置いてやろう。
との思いもあった。
だがまあ、この際、そんなことはどうでもいいことだ。
「でも、とにかく、お礼を言うわ。ありがとうね、藍条。ご苦労さま」
「まったくだ。苦労させられた」
森也は不機嫌丸出しの声と表情でそう答えた。
「もう二度と、こんなことでおれを巻き込むなよ」
完
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