第5話

「すまんな、七緒、今日から世話になる」

「ええよ、仕方ないわ」

 

 俺は七緒が住んでいるマンションに転がり込んだ。新宿の高層マンションの3階という場所で、ジムもコンシェルジュもいるような高いマンション。

 

「すごい、部屋だわ」

「親から毟り取れた唯一の資産やからな」

「そうなんや」

「ああ、ほんま、こんなことくらいしか役に立たん糞親や」

「お互い親には苦労するねぇ」

 

 部屋の中を見ると、物凄く汚かった。着ているスーツだけはきれいに衣紋掛けにかかってるが、ペットボトルやコンビニ弁当、灰皿には山盛りの吸い殻。自分の部屋は殺風景で、服とか詰め込んでもボストンバッグに収まるくらいしか荷物はなかった。

 布団も、数少ない家具も、全て捨ててきてしまった。身一つで相方の家に転がり込む俺はなかなかに駄目な人間だろう。

 

「とりあえず、そっちの部屋使ってくれや」

 

 指さされたのは、和室の部屋。前の家も和室だったから気を使ってくれたのか、その部屋は随分キレイに片付けられていた。

 

「片付け大変だっただろ?」

「ここはホコリ積もってただけやから、親の仏壇、俺の寝室に引っ越ししたわ」

「え!? そんな、適当な床で良かったのに」

「適当な床に寝られたら、夜ババこくとき邪魔やろ」

 

 そんなもんなのか? と思いつつ、和室に入る。客用の敷布団と何もない押入れ。押入れをそっと見ると、多分仏壇が置かれていただろう四角い跡が残っていた。

 

 七緒と暮らすようになってから、アルバイト以外の殆どの時間を二人で過ごすことが多くなった。全く家事の出来ない七緒の代わりに、家事をしているが、家賃代わりのようなものだ。

 

 そうこうしてるうちに、初めての千両漫才のエントリーが始まった。

 

 記念すべき俺たちの番号は、477番。東京の小さな劇場が一回戦の会場だ。

 去年準決勝まで行った人たちは2回戦シードなので、会場には華々しいメンツはいない。なんならば、子供たちや、お祖母ちゃんなどのアマチュアもちらほら居た。

 

 そして、同じく闇ライブで顔を合わせるやつらや、塾での同期などの顔もあった。

 

「どうも、レディスミスです〜」

「よろしくおねがいします」

 

 一回戦だからか、疎ら過ぎる会場。しかも、ここに来るとなるとよほどコアなファンか、子どもたちの親御さんたちだろう。

 その年、そこそこ面白く出来たネタを持っていった。テーマは「居酒屋のメニュー」。俺が考えて、身近で作りやすかったネタだった。

 

 

 そして、俺たちはしっかりと滑った。俺たち以外も滑った。遠くの扉が締まる音が聞こえるほどに滑った。

 結果、闇ライブのやつらや、同期、何ならば小さい子供たちですら2回戦に進んだのに。俺たちは隣りにいる棺桶間近のババア二人組と同じレベルだったのだ。

 

 その日はマンションで、二人吐くほど酒を飲んだ。

 

 気付いたら俺たちは湯船の中で裸のまま寝ていた。そんなに広くないせいかぎゅうぎゅうの湯船は、若干胃酸の据えた匂いがしている。

 

(うっわ、こう見ると俺の手足って汚ぇなあ)

 

 俺の体は腕にはフライヤーの火傷、脹脛には無数の鞭のあとが残っている。

 

(きっつぃなぁ)

 

 ふと、七緒を見る。傷一つもないキレイな身体か? と思ったが、腹の部分や腕などにまるで蚯蚓脹れしたような手術痕のようなものがあった。

 といっても、汚さは圧倒的に俺のが上だ。

 

 こんなこと考えても仕方ない。

 

 俺はまた、湯船に眠った。

 

 

 それが、初挑戦。何年も何年も挑戦を繰り返す。3年目にして、2回戦へと進めた。5年目でやっと3回戦進出。

 この頃に七緒が書くネタが殆どを占めていた。俺も少しは口出していたが、正直俺の意見が余計なことをしてるのでは、とこの頃から気づき始めていた。

 

「次何のネタにする?」

「うーん、骨董品ネタで高い壺買うか買わないかやりたいなあ、思ってる」

「高い壺、高い仏壇、高い御札はやめてくれ、俺めちゃくちゃ苦労したから、嫌な記憶しかない」

「あーそれなら高いたぬきの置物にしておくか」

「それはいいと思う」

 

 そんなくらいか、七緒が酔うたびに自分にキスを迫るようになってきた。最初はキメェと拒否をしていたが、しつこすぎて諦めて以来、されるがままにされている。

 

「んっ……んっ……」

 

 べちゃり、べちゃり。

 

 何度も唇を割ろうとする舌を拒み続けてはいたが。

 この七緒が奇行に走り始めた頃には、俺にも可愛い後輩たちが出来た。

 

「ほんま、兄さんポンコツですねぇ」なんて舐めた口をきくやつもいるが、純粋に慕ってくれる後輩達は可愛かった。集られてるってのもよくわかっているが、そうやって集まってくる後輩たちに自分の居場所を感じていた。

 だから余計に七緒から自立することは難しくなった。何故ならバイト代は、生活費とチケットの売掛費を抜いて、殆ど後輩たちとの馬と飲み代へと消えるようになっていた。

 

 そんな俺の隣で、七緒は一人で大喜利ライブに出たり、ピンネタを作ったりもしていて、さらに芸人らしく突き進んでいた。

 七緒の物騒な顔から出る生活の知恵的ネタは、深夜番組でたまに出るくらいには知名度も上がってきていた。

 

 そして、6年目。3回戦の結果は、あと少しだった。

 俺が一切口出していない漫才。七緒に言われるがままやった漫才は、大いにウケた。

 自分がやりたい王道のわかりやすいしゃべくりではなく、かなりウィットに飛んだ毒のあるネタをコント漫才で織り交ぜた形だ。

 

「宗教に入りませんか?」

「いや結構です」

「入ってくれたら、この水を差し上げます」

「いや、怖いわ!」

「しかも口移しで」

「やめろ! 気色悪い!」

 

 7年目、七緒に言われるがまま仕事をした。その一環で俺もまた大喜利ライブに参加したが、あまりにも回答の寒さに会場から生暖かい目で見られた。

 その日はバイトに打ち込みまくり、部屋の掃除も一心不乱にやった。

 そして、去年と同じく、七緒が作ったネタで3回戦からついに準々決勝に進んだ。

 だがしかし、決勝に行くことはできなかった。

 

 だから、俺たちは寒空の下、競馬場のど真ん中にある防御力0のテントの中で肩を寄せ合っていた。

 

「くっそ、寒いわ」

「ほんまやな」

「ちょ、お前のコートの中に入れて」

「しゃあないなあ、フードだけなら」

「それは意味ないわ」

 

 準々決勝組に行った人たちには、敗者復活戦というものがある。

 寒空の下、特設ステージで観客に見せ、観客とテレビのリアルタイム投票で敗者復活者が決まる大勝負。

 

 まさかの俺が馬ちゃんのためによく金スッてる会場で、こうして漫才することになるとは思わなかった。

 

 ちなみに漫才の手応えは、正直なかった。何せ俺がくじを引いて、トップバッターだったんだから。

 

 だからこうして掘っ建てテントの控室、置かれた暖房機の熱が行き届かない中ただただ開放されるまで、寒さと苦痛を耐えるしかない。

 可愛がってた後輩たちは、これ幸いと「兄さんたちツイテマセンネ。なんでヤブ兄さんに引かしたんすか」とニヤニヤとイジってくる。

 まじで、芸人の嫌なとこだ。

 

「ええやん、俺はやぶっちゃんの引いたものならよかったんやから」

 

 七緒は言葉少なく、タバコが吸えないイライラからか、後輩に一瞥した後、静かに携帯をいじりだす。

 

 喫煙所は開放してないとか、ほんと芸人たちを殺す気なのだろう。下手したら、ヤニ中共が殴り合いデスマッチして、生き残ったやつが敗者復活かもしれない。

 

 そしたら、七緒が勝ちそうな気がする。逆転か、それもアリだわ。

 

 そんなくだらない事を思いつつ、テントに貼られたポスターを見る。ポスターには決勝にストレートで行った奴らがファイティングポーズで写っている。

 

 今年は同期の一組が決勝に行った。スピーディーな漫才が売りのアイツらは、その道を極めて、もう3年目で劇場所属芸人になった。わーきゃー人気もすごいらしく、前にその劇場に行ったら、女の子たちがやつらを出待ちしていた。

 

 あと、大阪の方の同期のやつも一組決勝にいる。勿論、この敗者復活戦と呼ばれるクソみたいな会場にもいる。

 まあ、殆ど会話したことがないので、今もよくわからん距離感で彼らを見ている。

 何せ、彼奴等は抽選に恵まれたエリートで、俺らみたいな闇ライブに出るしかない奴らは、軒並み3回戦で淘汰されたし、慕ってくれる後輩はたまにいく劇場で仲良くなった子達だし。

 

 そして、勿論だけど先輩たちもいる。

 崖っぷちの、仲良い先輩が一組、ラストイヤーの先輩コンビ「バルクカルク」だ。

 たまに大阪に行く俺たちを、狭い部屋泊まらせてくれる優しい先輩だ。AV鑑賞会始めるのは最悪だけど。

 

 さて、今年の敗者復活戦の結果、勝ち進んだのは、大阪の同期だった。

 

 今脂が乗ってる奴らだ、このまま行けば決勝で掻き回せるくらい面白い奴らではある。

 

「バルクカルク」は、そいつらとも仲良いのか、同期の背中を大きく叩いて、送り出していた。

 彼らは今から決勝に行くのだろう。

 

「寒いなあ、はよ帰りたいわ」

「俺は、ここで結果まで見てくけど?」

「そうか」

 

 後ろの方で見ている俺たちは、静かにその光景を見ている。前の喧騒とも言える熱気、それが今の俺にはない。

 

 その後、楽屋裏のテレビで決勝戦を見る俺。七緒は勿論そそくさと帰っていった。

 

「なんや、七ちゃん帰ったんか? 相変わらずドライやなぁ」

「ほんまや、足速いやっちゃで」

「兄さんたち、すんません、まあ俺いるんで許してくださいよ」

「ええーやぶちゃん、ヤブ芸人やからなあ」

「酷いっすわ!」

「お前お滑り大魔神なのは事実やろ」

 

 バルクカルクの二人とそんな会話をしながら、テレビを見る。

 既に俺たちの同期は最終決戦落ちをしており、残ったのはラストイヤーの山根百合と、バグパッチ、あとは最近頭角を出してる九州本拠地で活動してる九州みかん。敗者復活戦組で行ったアイツラこと、山茶花は敗者復活戦でしっかりと場を荒らして、4位だった。

 

「敗者復活戦勝っても、決勝戦で同じネタやるんはキツイですね」

「敗者復活戦と同じネタはどうしても不利やけど、でも地上波ゴールデンタイムの放送に乗れるやつと乗れないやつとでは大きな差や」

「そうっすね」

 

 バルクカルクのツッコミの山崎さんと話してると、後輩の一人がこっちにくる。あの生意気な後輩「フウライジン」のツッコミ豆助だ。多分今CM中だから、別の軍団からこっちへとやってきたのであろう。

 

「ヤブ兄さん、七緒さん、今年ピン芸人グランプリ出るんすか?」

「多分」

「一緒に暮らしてるんやから、多分てそんな……」

「暮らしてても俺は殆どバイトだし、七緒もバイトかなんかで外出てるから」

 

 俺の返答に豆助は、「ほんとドライですよね」と返す。すると丁度CMが終わる。

 

 遂に今年の、最終3組のネタが始まった。

 

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