第97話 初めまして
最初、彼女から地元を離れることを告げられた時、心の中でどれだけ嘆いたことか。そして、会社の転勤なんていう制度をどれだけ呪ったことか。私が飛んでいける距離ならまだしも、彼女の向かう先はかなり遠い所。おいそれと行ける距離ではなかった。
それからというもの、私たちの交流手段は手紙になった。彼女の仕事が忙しいこともあって、手紙のやりとりは月に一度か二度。これまでに比べれば物足りない。けれど、文句を言っても仕方がなかった。
もちろん、お祝い事の時は、師匠に断りを得て彼女のもとに駆けつけた。結婚、そして出産。彼女の笑顔は、今でも私の目に焼き付いたままだ。
そしてさらに時は流れて。
「うーん」
「どうしたんじゃ、腕組みなんぞして」
「あ、師匠。実はですね、今月まだ手紙が来なくて」
「む。おぬしの友人からの手紙か。珍しいこともあるものじゃ」
「仕事で忙しいんですかね……?」
どうしてそんな悠長な考えしか持てなかったのか。あの頃の私に文句を言ってやりたい。
彼女の死を知ったのは、それからしばらく経ってからのことだった。
天狗は人間よりも寿命が長い。だからこそ、こんな日がいつか来ることは分かっていた。けれど、あまりにも早すぎる。本当なら、もっともっと彼女と一緒に……。
落ち込む私を見かねて、師匠はこう言った。墓参りに行って気持ちを整理してこい。墓の場所くらいは調べてやると。
三日後、私はバスと電車を乗り継ぎ、彼女の住んでいた町へと向かった。彼女の墓の前に立った時、自然と涙があふれてきた。どれだけ目元をこすっても止めることができない。子供のように嗚咽を漏らしながら、人目も気にせず泣き続けた。
そうしてひとしきり泣いた後。私の頭に、ふとある考えがよぎった。
「……息子君に、会いに行ってみようかな」
手紙のやりとりをしていたのだから、彼女の住んでいた所は知っている。すでに引っ越してしまっているなんて可能性もあるが、その時は諦めるしかない。どうか引っ越さないでいて。そんなことを願いながら、私は歩みを進める。
「確か、息子君には私のこと伝えたって手紙に書いてたっけ。じゃあ、最初に正体を明かしたほうが話しやすいのかな。変に誤魔化すとよくないかも」
きっと、息子君は落ち込んでいる。大切な人がいなくなった悲しさは、本当に耐えがたいものなのだから。少しでも、息子君が元気になれるように立ち振る舞わないと。
「そういえば、息子君って将棋できるんだよね。じゃあ……」
目的の場所に到着し、表札を見る。幸いにして、まだ『立花』と書かれた表札があった。ホッと胸をなでおろしながら、インターフォンを鳴らす。期待と不安がぐちゃぐちゃに入り混じり、つい何度もインターフォンを鳴らしてしまう。
「うるさいですよ!」
玄関扉を開けて現れたのは、迷惑そうな表情を浮かべる男の子。この子が息子君で間違いないだろう。息子君の成長した姿は、数年前に彼女から送られてきた写真でしか見たことがないが、それと比較するとずいぶん成長している。ただ、彼女の面影は間違いなく残っていた。
「お、やっと出てくれた」
「……え?」
困惑顔を浮かべる息子君。私は、全力で笑顔を作りながらこう言った。
「初めまして。突然だけど将棋しない?」
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