第86話 こんな所で何をしておるんじゃ

 あれから一体どれくらいの時間がたったのか。一週間? 一か月? 一年? 分からない。分からない以前に、私にはもうどうでもいいことだった。


 誰とも関わらない森の中での生活。木々の間から日が漏れ始めると体を起こし、適当にブラブラと食料を探し、辺りが真っ暗になれば寝る。時々、気分を変えるために別の森へ移り住む。そんな生活が続いた。


 幸いにして、天狗の体は丈夫だ。人間なんかよりもずっと寿命は長いし、数日間飲まず食わずでも問題ない。生きていくだけなら苦労することはないのだ。


 けれど……。


「どうしてこんなことになっちゃったのかな」


 つい昨日移り住んできた森の中。モグモグと木の実を食べながら呟く私。同じ問いを、何度繰り返したことだろう。


 最初はただの好奇心だった。里の外には何があるのか。人間とはそれほどまでに怖いのか。その好奇心が私にもたらしたのは、人間の友達。楽しい楽しい充実した日々。


 だが結局、私はこうして一人でいる。友達に見捨てられ、母に見捨てられ、里の皆に見捨てられた。


 私はこれからどうなってしまうのだろうか。里長が言っていたように、どこかで野垂れ死んでしまうのだろうか。誰とも関わることなく、ひっそりと。いや、もういっそのこと……。


 嫌な映像が頭に浮かぶ。青い空。白い雲。そして、高い高い崖から身を乗り出す私。


 ……って、そんなことする勇気もないんだけどね。


 私は、頭の中の映像を打ち消すように、木の実を勢いよく嚙み砕く。


 その時だった。私の背後から声が聞こえたのは。


「こんな所で何をしておるんじゃ」


 私の肩がビクリと大きく跳ねる。後ろに誰かがいる。おかしい。先ほどまで、全くそんな気配は感じなかった。


 焦って後ろを振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。


 長い金色の髪。相手を睨むかのような鋭い目つき。水色の着物に花柄をあしらった帯。あまりに異様なその姿に、私は言葉を失った。


「ん? おぬし、人間ではないの。気配からして天狗か」


 固まる私に向かってそう告げる女性。


 人間と天狗の見た目はほとんど変わらない。人間は、赤い肌や高い鼻というのを天狗の特徴としてイメージするが、あんなのは誰かが作ったまがい物のイメージだ。だが、目の前の女性は、私の正体を事もなげに言い当てた。加えて、女性から感じる異様な雰囲気。要するに、目の前の女性は……。


「……あなたも、天狗、ですか?」


「いかにも。わしもおぬしと同じ天狗じゃ。この森でずっと生活しておる。といっても、大昔は天狗の里で暮らしておったがな」


 女性は、ニヤリと不敵な笑顔を浮かべる。まるで、今の私の境遇が分かっているかのように。

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