第75話 一つだけ提案があるんです

 僕の語った昨夜の出来事。テンちゃんが眠っていた間の、僕と師匠さんとのやり取り。それを聞き終わったテンちゃんは、小さく「……そんなことが」と呟きました。


「というわけで、僕、テンちゃんの過去とかテンちゃんが引っ越してきた本当の理由とかは知りません。だから、安心してください」


「…………」


「テンちゃんが、言いたいなと思ったタイミングで教えてほしいです。ずっと待ってますから。あ、もちろん、無理はしないでくださいね」


「…………」


 大げさな笑顔を作りながら話す僕。いつものテンちゃんなら、きっと「私を悲しませないためにねー。なるほど、なるほど」なんて言いながらからかってくる。そう思っていました。


 ですが、予想に反して、テンちゃんは僕をからかおうとはしませんでした。僕から視線をそらし、机の上をじっと見つめていました。どうしてか、その頬は痙攣でもしているかのようにピクピクと動いています。


「テンちゃん?」


「…………」


「あ、あのー」


「…………」


 繰り返される無言の返答。困惑する僕。


 次の瞬間、パンッと大きな音が響きました。テンちゃんが、自らの頬を両手で勢いよく叩いたのです。


「ちょ!? い、いきなりどうしたんですか!?」


「いや。何でもない」


 そう告げるテンちゃんの頬は、少々赤みを帯びていました。


「君、ありがとうね。私に気を遣ってくれて」


「い、いえ。それは別にいいんです。で、まあ、その……」


「ん?」


「……テンちゃんに、一つだけ提案がありまして」


「提案?」


 この時、僕の頭の中には、師匠さんの放ったあの言葉が浮かび上がっていました。


『あやつのことをもっと知りたいと思うのなら、関係を進展させるのも一手じゃぞ』


 僕が今からする提案。それを聞いた時、テンちゃんは一体どう思うのでしょうか。どんな反応を返してくれるのでしょうか。全く想像がつきません。笑い飛ばされて終わりなんてことになる可能性だってあります。


 けれど、もし。もし、テンちゃんが僕の気持ちを受け入れてくれたのなら。


 きっと……。


「僕、師匠さんからテンちゃんのこと聞くのは断っちゃいました。でも、やっぱり、テンちゃんのことはもっともっと知りたいんです」


「ふ、ふーん。そ、そうなんだ」


 再度、僕から視線をそらすテンちゃん。心なしか、頬の赤みが濃くなっているように見えます。


「そのために、どうすればいいのかなって考えました。で、肝心の提案なんですけど……」


 高鳴る胸の鼓動。震える唇。僕は、ゆっくりと手を伸ばします。目の前にいる、天狗少女に向かって。大切な大切な将棋仲間に向かって。


「テンちゃん。僕と、友達になってくれませんか?」

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