第74話 やっぱり、やめておきます
昨夜。
「詳しい場所までは教えられんが、とある里で天狗たちは集団生活を送っておるんじゃ。あやつもそこで生活しておった」
師匠さんの口から語られる一言一言。その全てを聞き逃すまいと、僕はほんの少し上半身を前に倒しました。
ですが、その時。僕の心の中で、何かがうごめき出したのです。
あれ?
いいのかな?
師匠さんから、テンちゃんの過去を聞いても。
テンちゃんは、どうしてた?
ずっと、自分の過去を隠してた。
僕に、バレないようにしてた。
それなのに。
それなのに……。
それなのに…………。
「ま、待ってください。師匠さん」
気がついた時、僕は師匠さんの言葉を制止していました。
「いきなりどうしたんじゃ?」
「えっと……やっぱり、やめておきます」
「やめておく?」
「はい。僕、テンちゃんが隠してたことは、テンちゃんの口から聞きたいです」
僕がそう告げると、師匠さんの目が大きく見開かれました。そして、少し静止した後、コホンと咳払いを一つ。
「よいのか? 先ほどまでおぬしも知りたそうだったではないか。あやつ自身の過去を」
「ま、まあ、そうですね。今すぐ知りたいとは思います」
「ならば……」
「けど、そのせいでテンちゃんを悲しませちゃうのは違うなって」
テンちゃんは、きっと悲しむでしょう。ずっと隠していた自分の過去が、自分以外の他者から僕に伝えられるなんて。もし僕がテンちゃんの立場なら、そんなの耐えられるはずがありません。この場から今すぐ逃げ出したい。そんな気持ちになるはずです。
これからも、テンちゃんとの当たり前の日常が続いていく。だからこそ、テンちゃんには悲しんでほしくないのです。たくさん笑っていてほしいのです。
今の僕ができることは、耳を塞ぐことだけ。きっとそれが、テンちゃんへの恩返し。昔、僕の生き方を教えてくれたことに対する、小さな小さな恩返し。
「……ふむ。あやつを悲しませないように、の」
そう呟いて、腕組みをしながら顔を下に向ける師匠さん。金色の髪が、顔の動きに合わせてタラリと垂れます。数秒後、僕に向けられたのは、優しい微笑みでした。
「よかろう。ならば、あやつの過去はあやつ自身から聞き出すとよい」
「……ありがとうございます」
「礼には及ばぬ。そもそもじゃ。あやつは、まだわしとの約束を果たせておらんからの。それを果たすための手助けをおぬしがしてくれたと思うことにしよう」
テンちゃんと師匠さんが交わした約束。テンちゃん自身の過去を僕へ伝える。決して誤魔化さない。これをテンちゃんが果たすのは、一体いつになるのでしょうか。明日か。一か月後か。一年後か。もしかしたら、もっともっと先かもしれません。
けれど……。
眠り続けるテンちゃんに視線を向ける僕。最初苦しげだった彼女の表情は、ほんの少し柔らかくなっているように見えました。
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