第73話 お、おはよう

 翌朝。


「お、おはよう」


 キッチンで朝ご飯の準備をしていた僕。和室の方から聞こえた声に顔を上げると、そこには頭のてっぺんに寝癖のついたテンちゃんが立っていました。


「あ。おはようございます、テンちゃん」


「えっと……し、師匠は?」


 そう言って、テンちゃんはキョロキョロと室内を見回します。挙動不審。そんな言葉が、僕の脳内に浮かびました。


「師匠さんなら、昨日のうちに帰っちゃいましたよ」


「あ、そ、そうなんだ」


「そんなことより、朝ご飯できたので食べましょう。用意するので座っててください」


「う、うん」


 言われるがまま、椅子に座るテンちゃん。その背筋はまっすぐに伸び、体に力が入っているのが傍から見て丸分かりでした。


 僕は、昨夜食べられなかったいなり寿司と先ほど作ったお味噌汁をテーブルへと運びます。本当ならメインになるおかずも用意したかったところですが、諦めてしまいました。実のところ、昨日の疲れが全然とれていないんですよね。なにせ、衝撃的なことの連続だったうえ、将棋で死ぬほど頭を使ったわけですから。まあ、仕方ないということにしておきましょう。


「さ、食べましょっか」


「…………」


 僕が椅子に腰を下ろした時、向かい側のテンちゃんと目が合いました。その瞳は、ただまっすぐに僕の方へと向けられていました。


「テンちゃん?」


「…………」


「どうかしました?」


「……あ、あのさ!」


 少しの沈黙の後、テンちゃんは意を決したように口を開きました。


「は、はい。何でしょう?」


「き、君。し、師匠から、聞かなかった? 私の昔の話……とか。私がここに引っ越してきた理由……とか」


 ああ。やっぱり、気になりますよね。


 昨夜、師匠さんが使った天狗の力によって眠らされたテンちゃん。眠っている間、僕と師匠さんとの間でどんな会話が交わされたのか、テンちゃんは知る由もないのです。だからこそ、気になって当然でしょう。ずっと隠していた自分のことを、師匠さんがどこまで語ってしまったのかが。


 さて、ちゃんと何があったか言わないと。あと、あのことも……。う。やっぱり、言葉にするのは恥ずかしいなあ。


 無言で悩む僕。そんな僕の様子に、テンちゃんの表情がみるみる暗くなっていきます。きっと、テンちゃんはこう思っているのでしょう。僕が、テンちゃんの隠していた全てを知ってしまったと。


 ……迷ってる暇、ないですね。


「テンちゃん。実は……」


「うん」


「テンちゃんが眠っちゃった後、本当にいろんなことがありまして……」


「うん」


「最後には、師匠さんが、テンちゃんのことをいろいろ教えようとしてくれたんです」


「うん。……うん?」


 首をひねるテンちゃん。どうやら、僕の言葉に引っ掛かりを覚えたようです。


「教えようとしてくれた?」


「はい」


 僕は大きく頷き、こう続けました。







「でも、結局、教えてもらうの断っちゃいました」

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