第59話 ……もしかして
帰り道。
「ふー。満腹満腹」
お腹をさすりながら歩くテンちゃん。その後ろを、僕は同じ速度でついていきます。
結局、テンちゃんはいなり寿司を三十個以上たいらげ、店主さんを驚かせていました。「彼女さん、よく食べるなあ。一個一個大きく作ってるのに」と感心したように呟いていたのが印象的でした。
「君、今日はありがとね。カップル割引のために付き合ってもらっちゃって。おかげで少しお得になったよ」
クルリと僕を振り返りながら、テンちゃんはそう告げます。
「いなり寿司、美味しかったですね。僕もたくさん食べちゃいました」
「ふっふっふ。君もいなり寿司の魅力が分かってきたんじゃないかな? どう? これを機に、私と一緒においしいいなり寿司の研究をしてみるっていうのは」
「あ、それは遠慮します」
さすがに、研究したいと思うほどいなり寿司に熱中しているわけではありませんからね。
僕の答えに、「ありゃりゃ。残念」と言いながら両手を広げるテンちゃん。
「そういえばさ」
「はい」
「君、今日は調子でも悪いの?」
「……え?」
テンちゃんから投げかけられた思いがけない質問。それに反応するように、僕の体がピシリと硬直します。
「勘違いだったらいいんだけどね。なんか、私がいなり寿司食べてる時、いつもより暗い顔に見えたというか」
「…………」
「お会計の時なんかも、店主さんに『カップル割引使うだろ?』って聞かれて、平然と『はい』って言ってたし。もっとドギマギするかなと思ってたのに」
「…………」
そう。僕の頭の中では、ずっとモヤモヤが渦を巻いてるのです。それこそ、テンちゃんとのカップル設定に対する恥ずかしさや照れくささが弱まるくらいには。
「……ねえ、テンちゃん」
「ん?」
「テンちゃんが、いなり寿司を好きになったきっかけって何ですか?」
このモヤモヤをどうにかしたい。その思いが、僕の口を自然と動かしていました。
「えっと、急にどうしたの?」
「ちょっと気になりまして」
「そっか。まあ、うん」
テンちゃんは、腕組みをしながら空を見上げます。しばしの逡巡の後、顔を戻したテンちゃんは、曖昧に微笑んでいました。まるで、何かを誤魔化すように。
「ノーコメントってことで」
……もしかして。
このモヤモヤは、僕がテンちゃんを詳しく知らないことだけが原因じゃないのかも。
『テンちゃんは、いつから将棋が会話だって考えるようになったんですか?』
『……秘密』
『私としては、君のためにいろいろお節介を焼きたくなっちゃうんだよ』
『テンちゃん? それってどういう……』
『はいはい。この話終わり』
『人混みが苦手になるきっかけって何だったんですか?』
『ん? ああ、ごめん。ちょっとボーっとしてたよ。で、何だっけ?』
テンちゃんがいるのは、僕のすぐ目の前。ですが、その距離は、なぜだか少し遠くに感じられました。
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