第55話 これは夢ですね

「ど、どうして僕が行くことになってるんですか?」


「あれ? 君、何か予定あったっけ?」


「……ないですけど」


 言ってて悲しくなってきましたね。といいますか、どうしてテンちゃんは、僕に予定がないことを把握してるんですか。


「ならいいよね。一緒に行こうよ。それに、二人で行けば安くなるんだし」


「へえ。いいシステムですね」


「でしょ。ほら。ここに書いてる」


 そう言って、テンちゃんは、チラシの下の方を指差します。書かれていたのは、豊富ないなり寿司の種類とそれぞれの料金。そして、特別割引の説明。


 ファミリー割引。シニア割引。カップル割引。


 …………ん?


「えっと、テンちゃん。さっき、二人で行けば安くなるって言いましたよね」


「言ったよ」


「もしかして、カップル割引使おうとしてません?」


「もちろんそのつもり」


 僕の質問に頷くテンちゃん。その顔には、「どうしてそんな当たり前のことを?」とでも言いたげな表情が浮かんでいました。


 カップル……。


 僕とテンちゃんが……。


 カップル……。


 …………


 …………


「い、いやいやいやいやいやいやいや」


 僕は、ねじ切れんばかりに首を左右に振りました。


「ちょ。急にどうしたの?」


「ど、どうしたもこうしたもないですよ。僕たち、カップルじゃないですよね」


 そう。僕とテンちゃんは、カップルでも何でもありません。ただの将棋仲間です。それなのに、急にカップルなんて……。


 早鐘を打つ僕の心臓。あまりの展開に、頭がクラクラしそうです。


「そりゃ、私と君はカップルじゃないけどさ。でも、演技くらいならできるでしょ」


「で、できるかもですけど。こう、抵抗感があるといいますか……」


 僕の言葉に、テンちゃんは頬を膨らませます。明らかに不機嫌な様子です。


「なにさ。君は、私とカップルになるのは嫌なの?」


「嫌とかそういう問題じゃなくてですね。やっぱり、カップルでもないのにカップルを装うのはよくないと思うんですよ」


「…………」


「分かってくれました?」


「……私は、さ」


 突然下を向くテンちゃん。両手を体の前で組み、恥ずかしそうにモジモジと動かし始めます。膨らんでいた頬は元に戻り、ほんのりと赤みを帯びていました。


 あれ? なんか、雰囲気が変ですよ。


「テンちゃん?」


「……私は、いいよ」


「いいって、何がですか?」


 一体テンちゃんは何を言おうとしているのでしょうか。それが分からず、僕は首をかしげます。


「私……君とカップルになってもいいって思ってる」


 テンちゃんの顔が、ゆっくりと僕に向けられます。真っ白な肌。少々垂れた目。健康的な赤い唇。見慣れているはずのその顔が、今はキラキラと光を放っているように感じました。


 …………


 …………


 ……ふう。


「なるほど」


「?」


「これは夢ですね」


「いや、現実なんだけど」

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