休章 興奮! 天狗少女

第54話 いなり寿司祭り

 それは、僕が学校から帰宅して数分後。和室で服を着替え終わった時のことでした。


 ガチャリ。


「大変だー!」


 突然、玄関の方から聞こえた叫び声。明日は祝日だなとワクワクしていた僕の肩が、驚愕で跳ね上がります。


 その声の主は、大きな足音を立てながらリビングへ。「いない。ということは、こっちか」そんな声とともに、僕のいる和室に姿を現しました。


 見た目の年は僕と同じくらい。黒髪短髪。少々たれ目。透き通るような白い肌。男物のパーカーとジーパンを身に着けた彼女は、ハアハアと息を切らしていました。


「えっと……どうかしましたか? テンちゃん」


「どうもこうも大変なんだよ!」


 興奮した様子で、僕の肩を勢いよくつかむテンちゃん。


 痛い……。


「は、はあ。といいますか、玄関に鍵かけてましたよね」


「そんなもの、天狗の力でどうとでもなるさ」


「いや、どうとでもしてほしくないんですけど」


「つべこべ言わない!」


「ええ……」


 最近、玄関に鍵をかける意味がなくなってきてるような気がするんですよね。いや、防犯上、意味がないわけじゃないですよ。テンちゃんを除いてですけど。


「って、そんなことより、これ見てよ」


 そう言って、テンちゃんは、ジーパンのポケットから一枚の紙を取り出します。折りたたまれたそれを開くと、そこにはでかでかとこんな言葉が書かれていました。


「『いなり寿司祭り』?」


「そう!」


 キラキラと輝くテンちゃんの瞳。まるで、中に星が入っているかのよう。


「ふふふ。実はさっき、商店街を散歩してたんだけどね。『てつ』っていうお寿司屋さんの前で、偶然このチラシをもらったんだよ。ふふふふふ」


 テンちゃんの告げた『てつ』という名前のお寿司屋さん。僕も母に何度か連れて行ってもらった覚えがあります。年季の入った建物。いつもニコニコしていて気さくな店主さん。お寿司の味は申し分なく、加えてリーズナブルな価格設定。おそらく、この辺りに住む人にとっては、かなり馴染みのある店なのではないでしょうか。


「あの店主さん、すごい祭りを考えましたね……」


「お。やっぱり君もそう思う? 『いなり寿司祭り』なんて、最高すぎるよね。天才の所業ってやつだよ」


「……デスネー」


 正直なところ、僕はテンちゃんほど『いなり寿司祭り』に興奮できてはいません。でも、ここはテンちゃんに合わせておくべきでしょう。テンちゃんの機嫌を損ねて、からかい地獄に落とされるよりはよっぽどいいですから。きっと、好きなものや嬉しい発見を誰かと共有したいっていう気持ちは、人間であっても天狗であっても変わらないんでしょうね。


「これ、明日限定なんだって」


「明日は祝日ですからね」


「うー。楽しみだなー。早く明日にならないかなー」


「せっかくですし、楽しんできてください」


 僕が何気なくそう言った時。テンちゃんの首がコテンと傾きます。


「君、何言ってるの?」


「え?」


「君も一緒に行くんだよ」


 それは、計画したこともない僕の予定でした。

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