第47話 名前、かっこいいからね

「それでは、皆さん、対局を始めてください」


「「「よろしくお願いします」」」


 一斉に頭を下げる参加者たち。あちらこちらから聞こえ出す駒音。


「じゃあ、私たちも始めようか」


「はい。よろしくお願いします」


「お願いしまーす」


 弾んだ声とともに、女性は、盤の横に置いてあるチェスクロックのボタンを押しました。「ピー」という大きな音が、対局の開始を告げます。


 先手は僕。軽く息を吐き、飛車ひしゃの前にあるを手に取ります。そして、それをゆっくりと前進させました。


 後手である女性は、軽快な動きでかくの斜めにある歩を前進させます。その体は小さく左右に揺れており、対局を心から楽しんでいるように見えました。そういえば、僕がコンビニに行ったテンちゃんたちを待っている時、「将棋だ将棋だー!」なんて言いながら、女性は僕の横を通り過ぎて行きましたね。きっと、相当な将棋好きに違いありません。


 一手一手、姿を変えていく盤面。女性の作戦が分かったのは、対局が始まって数手後。


 パチリと飛車を大きく横に移動させる女性。その瞬間、僕の口は思わずこう呟いていました。


鬼殺おにごろかい飛車びしゃ……」


 鬼殺し向かい飛車とは、マイナーな戦法の一つです。角を交換するかどうかを相手に選択させるトリッキーな陣形。そして、いざ角交換が行われれば、お互いが持ち駒の角を使って殴り合いを始める展開となります。


「さすがに知ってるよね」


 僕の呟きが聞こえたのでしょう。盤上から顔を上げた女性は、嬉しそうにそう言いました。赤い瞳が、僕をまっすぐにとらえます。


「は、はあ、一応は。でも、あんまり相手にしたことはありませんね」


「ふふ。マイナーだし仕方ないよ。けど、私はこの戦法大好き。だって……」


 いつの間にか、女性の顔にはすがすがしいほどのドヤ顔が浮かんでいました。それはまるで、何かを自慢しようとする子供のよう。次に女性の口から飛び出したのは、僕の思いもよらぬ言葉でした。


「名前、かっこいいからね」


「…………へ?」


「名前、かっこいいからね」


「いや、聞こえてないわけじゃないですよ」


 一瞬、停止してしまった僕の思考。それが動き出した時、言葉で表現しきれないほどの衝撃が僕を襲いました。気を抜くと、「ええ!」と叫んでしまいそう。まさか、名前のかっこよさで戦法を選ぶ人がいるなんて。


「鬼殺しとか、新鬼殺しとかも、名前がかっこいいからよく指すんだー。まあ、一番指すのは鬼殺し向かい飛車だけど。って、ごめん。対局中だったね。続き続き」


 そう言って、盤上に顔を戻す女性。


 きっと、女性にとっては、将棋の勝ち負けよりも、将棋を楽しめたかどうかが重要なのでしょう。戦法の名前というのも、将棋を楽しむ要素の一つなのかもしれません。


 なんか、すごい人と出会っちゃったなあ……。

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