第48話 ……了解です

 結局、僕はかく交換を選択しませんでした。鬼殺おにごろかい飛車びしゃなんてマイナー戦法を好む彼女のことです。きっと、角交換が行われた際のプランは完璧なのでしょう。世の中には相手の得意戦法にわざと飛び込んでいく猛者もいますが、そんなこと僕にできようはずもありません。


 角には手をかけず、王様を斜めに動かす僕。そんな僕の手に応じるように、女性も王様を斜めに動かします。動揺する様子は一切ありません。どうやら、角交換をされない可能性も織り込み済みのようです。


 お互いに王様の守りを作るゆっくりとした展開。角交換がいつでもできる状態ではありますが、今はまだ落ち着いて指していられます。


 ……あ。


 ふと、女性の背後に見知った人物。見た目の年は僕と同じくらい。黒髪短髪。少々たれ目。透き通るような白い肌。男物のパーカーとジーパンを身にまとったボーイッシュな彼女の正体。


 そう、テンちゃんです。


 見に来てくれたんだ……。体調、大丈夫かな……。


 テンちゃんは、腕組みをしながら盤上を見つめていました。数秒後、その視線が上がったかと思うと、僕の視線とピッタリ重なります。


 今は対局中。対局者でないテンちゃんと言葉を交わしてしまえば、マナー違反に当たります。僕は、口を開きかけるのを必死に押しとどめ、盤上に視線を戻しました。


 余裕のある盤面とはいえ、油断は禁物。ぎんを手に持ち、さらに王様の守りを固める僕。


「うーん」


 女性が、頬に手を当てながら悩むような声を漏らしました。僕に合わせて守りの手を指すのか、それとは逆に攻めの手を指すのか迷っているのでしょう。いや、もしかしたら、どちらでもないただの様子見の手を指す可能性もあります。まあ、どんな手が指されるにせよ、落ち着いて切り返さなければなりませんね。


 続く女性の長考。僕は、チラリと女性の背後に視線を向けました。どうやら、テンちゃんも僕の方を見ていたようです。再び重なる二つの視線。


 僕と目が合ったことに気付いたテンちゃんは、フッと優しく微笑みました。そして、ゆっくり大きく頷きます。それはまるで、僕に「大丈夫」と言ってくれているかのよう。


 ……了解です。


 その時、パチリと盤上から聞こえる駒音。見ると、僕のと女性の歩がぶつかっていました。女性が選択したのは攻めの一手。おそらく、ここから激しい駒のぶつかり合いが始まっていくのでしょう。


 僕は、ぶつかってきた女性の歩を駒台に置き、自分の歩を進ませます。その手には、先ほどまでにはなかった不思議な力が込められているように感じました。


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