第45話 ヨロシイ

「た、立花たちばな君。お、おまたせ」


「おまたせー」


 二人が戻ってきたのは、それから数分後のことでした。


「おかえりなさい。って、テンちゃん。何持ってるんですか?」


「何って、いなり寿司だよ。コンビニで買ったんだ」


 そう言ってテンちゃんが差し出したのは、コンビニのおにぎりコーナーで売っているいなり寿司でした。


「あ。そういえば、お昼ご飯持ってきてなかったですね。僕も時間がある時に何か買おうかな」


「……いや。そういうわけじゃなくてさ」


「え?」


「これ、今食べようかなと思って。時間、大丈夫だよね」


「は、はあ。受付が終わるまでまだ余裕はありますけど」


「よかった」


 テンちゃんは安心したように笑い、パッケージの封を開けました。そのまま、ものすごい勢いでいなり寿司にかぶりつきます。「うんうん」と頷きながらいなり寿司を咀嚼するテンちゃん。テンちゃんがいなりずしを食べる姿をこれまで何度も見てきた僕。ですが、今日の食べ方はいつもと明らかに違っていました。


 テンちゃん、よっぽどお腹すいてたのかな? いや、そんな感じでもないような……。


 その時、服の袖が小さく引っ張られる感覚。


天霧あまぎりさん?」


 顔を向けると、そこには不安げな表情の天霧さんが立っていました。


「て、テンさんね。い、いなり寿司食べて気合い入れないとって言ってたんだ。や、やっぱり、人混みの中に行くの、すごく不安なんだと思う」


 テンちゃんに聞こえないような小さな声でそう告げる天霧さん。


「……そっか」


 僕のために応援に行くと言ってくれたテンちゃん。確かに、それはとても嬉しいことです。ですが、本当にいいのでしょうか。僕のために、テンちゃんが無理をしてしまうなんて。


 そもそも、今のテンちゃんを見る限り、ただ人混みが苦手という軽いものではない気がします。人混みに対する恐怖。そんなものすらあるのではないでしょうか。


 やっぱり、無理にでも断って……。


「君たち」


 不意に聞こえたテンちゃんの低い声。僕と天霧さんの肩がビクリと同時に跳ね上がりました。


「て、テンちゃん?」


「ど、どうしましたか?」


「私のこと心配してくれるのは嬉しいけどさ、今日大会に出場するのは君たちだよ。まずは自分たちのことを心配しないと」


 テンちゃんのジトッとした目に、思わず顔をそらしてしまう僕たち。何も言い返すことができませんでした。


「私なら平気ってさっきも言ったでしょ。さ、いなり寿司も食べ終わったし、ビルの中に入ろう。この大会に、立花・天霧旋風を巻き起こす勢いでいこうね」


「て、テンちゃん。さ、さすがにそこまでは……」


「ナニカモンクデモ?」


「いえ、何もないです」


「ヨロシイ」


 ズンズンとビルの入り口に向かって歩き出すテンちゃん。その背中には、えも言われぬ迫力のようなものがありました。コンビニに行くときの丸まった背中が嘘のよう。


「……た、立花君。い、行こっか」


「……そうだね」


 お互いに頷き合い、僕たちはテンちゃんの後を追いかけるのでした。

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