第43話 応援?

 特訓が終わった頃、時計の針は午後九時を指し示していました。テンちゃんの幻術で出されていた三つの将棋盤と駒たち。それらはいつの間にか消えており、部屋の中が少し広くなったように感じます。


「じゃあ、私は自分の部屋に戻るね」


「は、はい。ふうう」


「む。もうバテちゃったわけ? たった30問『次の一手問題』を解いただけじゃん」


「いやいや。30問もですよ」


 あの後、迫りくる時間に追われながら連続して『次の一手問題』を解かされた僕。頭の中では、いまだに将棋の駒たちがグルグルと回転しています。


 これ、寝る前には治ってるよね?


「あ、そうだ。これ、特訓中に決めたことなんだけど」


「はあ」


「私、大会に行くから」


「……え?」


 テンちゃんの言葉に、思わず耳を疑ってしまう僕。そんな僕を見て、テンちゃんは怪訝そうに首をかしげます。


「何? 私、おかしなことでも言った?」


「い、いえ。そういうわけじゃないですよ。でも、テンちゃん、人混み苦手なんですよね」


 人混みが苦手で大会に参加したことがない。それは、将棋を始める前にテンちゃんが言っていたこと。大会に行くということは、その苦手な人ごみに巻き込まれてしまうことを意味しています。この短時間で、テンちゃんに一体どんな心境の変化があったのでしょうか。


「確かに苦手だよ。だから、大会に参加するんじゃなくて、君に着いていくだけ。会場の中で君の応援するためにね。それくらいなら私も大丈夫だろうし」


「ああ、なるほど。って、応援?」


「そ。せっかくこうやって特訓してるんだから。君が勝つところくらい見させてよ」


 そう言って、優しく微笑むテンちゃん。その笑顔はどこか、僕にエールを送る母によく似ていました。


「あ、ありがとう、ございます」


 僕は、テンちゃんに向かってペコリと頭を下げます。大会に参加しないとはいえ、苦手な人混みがあるという事実は変わりません。それでも、僕のために会場へ来てくれる。僕の応援をしてくれる。それが、こんなにも嬉しいなんて。


「なんのなんの。その代わり、ちゃんと勝ってよ」


「は、はい」


「よろしい。じゃ、おやすみー」


 テンちゃんはゆっくりと立ち上がり、団扇を振りながら和室を出ていきました。


 その背中を見送る僕の頭の中に、もう駒たちはありません。代わりにあるのは、テンちゃんの優しい微笑み。そして、「君が勝つところくらい見させてよ」という言葉。


「……頑張ろう」


 そう呟いて、横に顔を向ける僕。視線の先には仏壇。そこに置かれた写真の中で、母は、テンちゃんと同じように優しく微笑んでいるのでした。

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