第37話 私の将棋好きをなめちゃいけないよ

「テンちゃん。一つ、聞きたいんですけど」


 コミュニティセンターからの帰り道。僕は、横を歩くテンちゃんに声をかけました。


「どうしたの?」


「結局、テンちゃんと天霧あまぎりさんはどんな約束してたんですか?」


「……さて、何だったかな」


「誤魔化さないで教えてくださいよ」


「自分で考えることも時には必要なのさ」


 そう言って、チラリと八重歯を覗かせるテンちゃん。


 あの後、大会議室で将棋を指し続けた僕たち三人。テンちゃんが先生と対局をしている最中、天霧さんにも約束のことについて聞いてみたのですが、顔を赤くしてはぐらかされてしまいました。僕の頭の上には、ずっとはてなマークが浮かんだままになっているのです。


「今日はダメだったけど次こそ……でも、少し時間はおくべきかな……ちゃんと作戦を練って二人を……」


 顎に手を当てながら、テンちゃんはブツブツと何かを呟いています。ですが、その内容はよく聞き取れませんでした。


 テンちゃんが僕に何かをさせようとしている。あるいは、天霧さんに何かをさせようとしている。それだけは分かります。ですが、具体的に何をさせようとしているのかまではさっぱりです。とりあえず、流れに身を任せるのが一番ですかね。無理に聞き出そうとして、僕の黒歴史を盾にされたりなんかしたらたまったもんじゃないですし。


 沈みかけの夕日。ふと顔を上げると、視界に広がる赤みがかった空。そこに浮かぶうろこ雲は、まるで空全体をぼんやりと隠す膜のよう。あの膜の向こうでは、きっと母が僕たちのことを眺めているのでしょう。はてさて。どんな表情をしているのやら。


「あ、そうだ!」


 その声に、ハッと我に返る僕。声のした方を見ると、僕の顔を覗き込むテンちゃんと目が合いました。


「ど、どうしたんですか?」


「今度の月曜日、またお昼一緒に食べようよ。今度は、最初からあの子も誘ってさ」


「……忍び込む時、見つからないでくださいよ」


「大丈夫だってー」


 そう言って、バシバシと僕の肩を叩くテンちゃん。こんなやりとりを、ついこの間もした覚えがあります。あの時は、確か白の……。


「君、どうしたの? なんか、急に遠い目してるけど」


「え? ああ、えっと……雲が白かったなって思い出しまして」


「?」


 僕の言葉の意味が分からない様子のテンちゃん。首をかしげながら、訝し気な視線を僕に向けています。


 きっと、分からない方がいいんでしょうね。テンちゃん自身の名誉のためにも。この記憶は、僕の心の奥底に置いておきましょう。


 横に並ぶ二つの影。それらが向かう先には、一つのアパート。僕とテンちゃんが隣り合って住む場所。


「ねえ、君」


「はい」


「今日も、将棋しにそっち行っていい?」


「いいですけど、疲れてません? 今日はたくさん対局しましたし」


「なんのなんの。私の将棋好きをなめちゃいけないよ」


 そう告げるテンちゃんの顔には、子供のような満面の笑みが浮かんでいました。



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