第34話 お礼?

 コミュニティセンターの裏手。建物に遮られる太陽の光。広がる影と充満する冷たい空気。少し足を動かすと、地面に敷き詰められた砂利が小さな音を響かせます。


「こ、ここ来るの、久しぶり」


「だね。小学生の頃は、時々ここで話してたっけ」


「う、うん。た、立花たちばな君が将棋で負けて、な、泣いちゃったときとかも」


「それ、そろそろ忘れてほしいな」


 僕の黒歴史が……。


「わ、忘れないよ」


 そう言いながら、からかうように微笑む天霧あまぎりさん。


 むむむ。テンちゃんに続いて天霧さんまで僕をからかってくるとは。よろしくない。全くもってよろしくないですぞ。


「それで天霧さん。話って?」


「…………」


 僕の言葉に、天霧さんは体をピクリと反応させます。そして次の瞬間には、無言でうつむいてしまいました。その頭の中には、今どんな言葉が浮かんでいるのでしょうか。僕には知りようもありません。


「あの。もし言いたくないなら……」


「そ、そうじゃないの! ちょ、ちょっとだけ待って!」


 この場に響き渡る天霧さんの声。確かな必死さがそこにはありました。


「…………」


「…………」


 訪れる沈黙。表の道路から聞こえる車のエンジン音。ガタゴトというコンクリートの揺れる音。それらが妙に大きく感じられます。


「あ、あの……ね」


 不意に、天霧さんがうつむいたまま口を開きました。


「わ、私ね。た、立花君に、お、お礼が言いたかったんだ」


「お礼?」


 告げられたのは、僕の思ってもみない言葉。一体どういうことなのでしょう。お礼を言われるようなことなんて、僕は何もした覚えがないのですが。


「こ、こんな私に優しくしてくれて。ど、どれだけ私が暗くても、馬鹿にしないでいてくれて。ほ、本当にありがとう。た、立花君と一緒にいるとね。わ、私、自分に少し自信が持てるようになるの」


「……僕、何も特別なことなんてしてないよ」


「う、ううん。そ、そんなことない」


 顔を上げる天霧さん。眼鏡の奥にある右目が、まっすぐに僕を捉えます。そこには、何か特別な光が宿っているように見えました。


「た、立花君。む、昔、私に言ってくれたこと覚えてる?」


「え?」


「『僕、天霧ちゃんと一緒にいて楽しいよ』って」


 それは……確か……。


「僕が将棋で負けて、『もう一回!』って天霧さんにせがんだ後だったよね」


 僕がそう答えると、天霧さんの顔に満面の笑みが浮かびました。







『もう一回! もう一回指そ! 天霧ちゃん!』


『た、立花君』


『どうしたの?』


『あ、あのさ。い、嫌じゃないの? わ、私といるの』


『え? なんで?』


『な、なんでって。だ、だって、私、暗いし。そ、それに、話すのも苦手で』


『…………』


『く、クラスの子にも、馬鹿にされちゃうから』


『……天霧ちゃん』


『へ?』


『僕、天霧ちゃんと一緒にいて楽しいよ』


『そ、そう、なの?』


『だって、天霧ちゃんはいつも真面目に僕と将棋指してくれるんだよ。他の子みたいに、対局の時にうるさくするとか、負けそうになったら文句言うとか、絶対にしないよね』


『ま、まあ。あ、相手に失礼なことするなって、先生にいつも言われてるし』


『僕、それがすごく嬉しいんだ。ああ、それと、将棋指してる天霧ちゃんの真剣な顔も大好き』


『ふえ!?』


『なんか、プロって感じがするしさ。カッコよくて大好きなんだよね』


『…………大好き』


『?』


『…………だいすき』


『??』


『…………ダイスキ』


『あ、天霧ちゃん大丈夫!? なんか、顔が真っ赤なんだけど!?』


『……………………ぷしゅー』


『わー!! 天霧ちゃんがー!!』


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