第33話 ……ふえ!?

 局面は終盤。


 テンちゃんの駒たちは確実に天霧あまぎりさんの王様に迫り、あと一手で詰みが確定します。


 しかし、天霧さんが必死に受けを続けた成果でしょう。彼女の駒台には、テンちゃんが攻めを続けるために捨てていった駒が数多く載せられていました。


「…………」


「…………」


 無言で盤上を見つめる二人。次に始まるであろう天霧さんからの攻め。それに成功すれば、天霧さんの勝ち。王様の逃げ方を間違えなければ、テンちゃんの勝ち。


 …………パチリ。


 かなりの長考の後。駒台に置かれていたぎんが、テンちゃんの王様に王手をかけます。


 パチリ。


 ほとんど時間を使うことなく、テンちゃんはそれをスルリとかわします。


 繰り返される同じようなやりとり。もう全てを見切ったかのようなテンちゃん。最後の粘りを続ける天霧さん。


 二人の間にあるのは、はっきりとした緊張。ですがそれとは同時に、どこか不思議な空気も漂っています。そう。それはまるで、二人で協力しながらゴール地点へ向かっているかのような、一体感。


「負けました」


 その声の持ち主は、天霧さんでした。


「ありがとうございました。いやー。いい将棋だったよ」


「て、テンさん、つ、強いですね」


「ふふふ。褒めても何も出ないよー」


 ニコニコと微笑むテンちゃん。口元からは、真っ白な八重歯が覗いています。


「や、やっぱり、あの端攻めがよくなかったですか?」


「そこだろうね。といっても、あれ以外の手が難しいけど」


「う、うーん」


「って、そんなことよりさ。約束、覚えてるよね」


「あ。は、はい」


 ん? 約束? そういえば、対局が始まる前に二人で何か話してたっけ。


「ちょっと耳かしてくれる?」


 長机の上に手をつきながら、テンちゃんは、天霧さんの方に身を乗り出します。一瞬、チラリとこちらへ意味深な視線を向けたかと思うと、僕には聞こえない声で天霧さんに何かを告げました。


「……ふえ!?」


 次の瞬間、天霧さんの口から間抜けな声が飛び出します。その顔はみるみる赤く染まり、まるで紅葉した葉を見ているかのよう。いや、紅葉なんて甘いものではありません。今にも顔から火が出そうなほどです。


 テンちゃん、一体何を……。


「て、テンさん。ど、どうしてそんなこと」


 困惑する天霧さん。


 おそらく、そう聞かれることはお見通しだったのでしょう。再度僕に意味深な視線を向けたテンちゃんは、天霧さんの問いにこう答えました。


「私としては、彼のためにいろいろお節介を焼きたくなっちゃうんだよ」


 それはどこか既視感を感じる言葉。僕の脳裏には、テンちゃんが学校に忍び込んだあの日の光景が浮かんでいました。


「で、でも……」


「約束したでしょ。それに、こういうのはきっかけと勢いが大事なんだから。うかうかしてると、他の人にとられちゃうよ。嫌じゃないの?」


「そ、それは嫌ですけど」


「じゃあ決まり。頑張ってねー」


 そう言って、テンちゃんは椅子から立ち上がりました。そのまま、スキップをするかのような足取りで大会議室の外へ。


「テンちゃん。どこ行くんですか?」


「ちょっと施設の中を散策してくるよ。それより、ほら。彼女、何か君に言いたいことがあるらしいよ」


「え?」


 天霧さんの方に顔を向ける僕。そこにいたのは、椅子に座ったままうつむく天霧さん。


「…………」


「天霧さん?」


「…………」


「あの……」


「た、立花、君」


 天霧さんは、ゆっくりと顔を上げました。上気した頬。潤んだ瞳。震える唇。胸に押し付けられた右手が、服にしわを寄せています。


「ど、どうしたの?」


「え、えっとね」


 大きく上下する天霧さんの肩。一回。二回。三回。そして……。


「ふ、二人きりに、なりたい」


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