第29話 若いってやっぱり羨ましい
土曜日。僕とテンちゃんは、町の小さなコミュニティセンターを訪れていました。白を基調とした外観。建物に近づくと、壁に黒いシミのようなものが点々と浮かんでいるのが見てとれます。入口の近くには、一台の自動販売機が低い駆動音を響かせていました。
「将棋教室ってここでやってるの?」
「そうですよ。ここの大会議室を、先生が毎週借りてるんです」
「へー」
そんな会話をしながら、僕たちは建物の中へ。ガタガタといびつな音を立てて開く自動ドアを抜けると、目の前には明かりのついたガラス張りの部屋。その中では、コミュニティセンターの職員と思しき年配の女性が、一人でテレビを見ていました。女性は、チラリと僕たちの方に視線を向け、軽い会釈を一つ。そして、すぐにテレビへと視線を戻します。
「さ、こっちですよ」
備え付けのスリッパをはき、『大会議室』のプレートの付いた部屋の前へ。部屋の扉を開けると、パチッという駒の音。そして、懐かしい笑い声。
「こんにちはー」
ほんの少しの緊張を抱えながら、ゆっくりと部屋の中に入る僕。
きれいに並べられたたくさんの机。それを挟むようにして置かれたパイプ椅子。机の上には、プラスチック製の将棋盤と駒、そして、青色のチェスクロック。笑いながら対局する数人の男性。どれもこれも、懐かしい光景です。
「ん? おお!
不意に、僕の声に気が付いた一人の男性がこちらに近寄ってきました。白髪の目立つ頭。目尻の深いしわ。顔に浮かぶ温和な笑み。第一印象は、優しい老人。ですが、そのシャキシャキとした歩き方は、老人と呼ぶには似つかわしくないものを感じさせます。
「先生。お久しぶりです」
「本当に久しぶりだね」
男性の正体は、将棋教室を開いている先生。僕が、小さい頃からずっとお世話になっている方です。
「すいません。ずっと来れなくて」
「いいよ。事情は聞いてるから。大変だったね」
「……はい」
僕が小さく頷くと、先生は優しく僕の肩に手を置きました。
「まあ、無理しないで。いつでも手助けするからさ。といっても、自分にできることなんてほとんどないけどね」
「ありがとうございます」
僕は、先生に向かってペコリと頭を下げます。先生の手を伝って、温かい何かが僕の心に流れ込んでくるのを感じました。
「……ところで、蒼空君。そっちの子は?」
そう告げる先生の視線は、僕の横にいるテンちゃんに向けられています。
「あ、この人は……」
「初めまして。私は、彼の将棋仲間でテンって言います。先日、彼から将棋教室の話を聞いて興味を持ちまして。今日はお邪魔させていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
僕の言葉を遮るようにして行われたテンちゃんの挨拶。思わず親しみを覚えてしまうような穏やかな表情。
雷に打たれたような衝撃が、僕の体中を駆け巡りました。
この人、ほんとにテンちゃん?
初対面の時に、「初めまして。突然だけど将棋しない?」なんてとんでもない言葉を放っていた人と同一人物だとは到底思えません。見事なまでにきっちりとした挨拶。そして態度。今のテンちゃんは、まさしく大人の中の大人といっても差し支えないでしょう。いや、まあ、実際には僕よりずっと年上なんですけど。
「もちろん大歓迎だよ。それにしても、蒼空君の将棋仲間、か。……
「先生? どうしてそこで
「ん、何でもないよ。いやはや、若いってやっぱり羨ましい」
そう言いながら、かつてないほどの生暖かい視線で僕を見る先生。一体何だというのでしょうか。
「こ、こんにちは」
その時、僕の耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた女の子の声でした。
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