第12話 もちろん決めてるよ

 気がつくと、僕はとある場所に立っていました。クリーム色の壁紙。かすかな薬品の香り。光と風の差し込む窓と、その傍にある大きなベッド。


『来てくれてありがとうね』


『なんのなんの』


 一目で病室だと分かるここには、僕以外に二人の女性がいました。一人は、ベッドの横に立つテンちゃん。そしてもう一人。ベッドに座ってテンちゃんと会話をしている彼女は……。


「お母……さん」


 そこにいたのは、紛れもなく僕の母。亡くなった時と比べてだいぶ若い顔立ちですが、見間違うはずなんてありません。もう会えないと思っていた母が、今この瞬間、僕の目の前にいたのです。


「お母さん!」


 思わず叫んでしまう僕。ですが、母は僕の叫びに全く反応してくれません。


「お母さん! 僕だよ! 蒼空だよ!」


 何度も叫ぶ僕。もちろん結果は同じ。母のもとに行こうと試みてもみましたが、足が全く動かないのです。まるで、その場に足を固定されているかのよう。


 混乱する僕をよそに、母とテンちゃんは会話を続けます。


『それにしても、よかったの? ここまですごく遠かったでしょ』


『そりゃ遠かったよ。けど、大切な友人が子供を産むっていうんだから。応援に来たくなるってもんさ』


『そっか。ありがとう。やっぱり、テンちゃんは優しいね』


『ふふふ。もっと褒めてくれてもいいんだよ』


 ……子供を産む?


 その言葉に、僕の体がピクリと反応します。母に会えた興奮で気づいていませんでしたが、よく見ると、母のお腹は大きく膨らんでいます。そういえば、テンちゃんは、僕に昔の母を見せるとかなんとか言っていましたね。もしかして、僕は今、過去の映像を見せられているのでしょうか。


 これがただの夢なのか。現実の僕はどうなってしまったのか。分からないことは山ほどあります。けれど、ただ一つ分かること。それは、テンちゃんが僕に天狗の力を使ったということです。


『君もこれから一児の母かー。あの小さかった君がねー』


『テンちゃんと初めて会った日のこと、一回も忘れたことないよ』


『おー。嬉しいこと言ってくれるじゃないか』


『でも、テンちゃんの見た目ってあの日から全然変わらないよね。やっぱり、天狗だから?』


『そうそう。人間と天狗とでは時間の流れが違うからね』


『ちなみに、テンちゃんの年齢は?』


『……いやー。いい天気だね』


 人間の母と天狗のテンちゃん。その会話を聞いているだけでも、二人の仲の良さが伝わってきます。といいますか、テンちゃんは昔も今も同じような誤魔化し方をしているんですね。全く誤魔化せてはいませんが。


『教えてほしいなー。テンちゃんの年齢』


『わ、私の年齢のことは置いといて。君、子供の名前は決めてるの? 確か、前もらった手紙には男の子って書いてたけど』


『うん。もちろん決めてるよ』


 そう言って窓の方に顔を向け、空を見上げる母。僕の方からでは母がどんな表情をしているのか分かりません。でも、きっと微笑んでいるんだと思います。


立花たちばな……蒼空そら。蒼いに空って書いて、蒼空』


 そんな母の声は、病室の中に小さく響きました。

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