第11話 空

 静寂が覆う室内。漂うい草と線香の香り。部屋の中心で将棋盤を挟んで座る二人。僕を見つめるテンちゃんと、涙を流し続ける僕。


「……私から言えるのはこれだけかな」


 一体どれほどの時間が経った頃でしょうか。テンちゃんは僕にそう語りかけました。そして、腕をゆっくりと持ち上げ、人差し指を伸ばします。それは、ただまっすぐに、上を指し示していました。


「……上?」


「空」


「……え?」


「空を見上げて生きてごらん」


 つられるように、僕は目元を強くこすってから顔を上へ。潤んだ視界に映るのは、部屋の天井。これまで何度も布団の中で見上げてきた天井。白い壁紙。ぽつぽつ残る茶色いシミ。部屋を照らす蛍光灯の薄暗い光。


「空を見上げて生きてれば……あー…………違うな」


「ち、違う?」


「……うーん。やっぱり、こういうの得意じゃないんだよね」


 歯切れの悪いテンちゃんの声。顔を戻すと、目の前のテンちゃんは居心地悪げにキョロキョロと視線をさまよわせていました。


「えっと……すいません。困るような質問しちゃって」


「いや、別にそれはいいんだけどね。ただ、私あんまり誰かにアドバイスするのとか苦手でさ」


「……すいません」


「だからいいって。というか、そもそもさっきのだって、私の考えじゃなくて君のお母さんが言ってたやつだし」


 テンちゃんの口から告げられた言葉。それが、僕の体を硬直させます。


「……テンちゃん。今、何て?」


「え? だから、君のお母さんが……あ、そっか。ああすればいいんだ」


 ポンッと納得したように手を叩くテンちゃん。どうして突然僕の母が出てきたのか、テンちゃんが今何を思いついたのか、僕にはその何もかもが分かりませんでした。


「て、テンちゃん?」


「ねえ、君」


「は、はい」


「君が生まれる前のお母さん、見せてあげるよ」


 そう告げるテンちゃんの手には、いつの間にかあの団扇が握られていました。


「……どういうことですか?」


「まあまあ。いいからいいから」


 真っ白な八重歯を覗かせながら、将棋盤に覆いかぶさるようにして近づいてくるテンちゃん。思わずのけぞる僕。


「な、何するのかちゃんと教えてくださいよ」


「さっき言ったとおりだよ。君に、ちょっと昔のお母さんを見てもらうだけ」


「いや、もっと具体的にですね……」


「むう。つべこべ言わないの。そりゃ!」


 テンちゃんは、僕の頭上を団扇で軽く叩きます。まるで、頭を撫でようとするかのように。青々しい葉の香りが鼻腔をくすぐったその時、不意に意識が遠のき始めました。


「テン……ちゃん……」


 思わず名を呼んだ僕に、テンちゃんは優しく微笑みます。


「これが、君のお母さんの願いだよ」


 最後に聞こえたテンちゃんの声は、どことなく、僕を寝かしつける前の母に似ている気がしました。

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