第10話 教えてください、テンちゃん
「負けました」
僕は、ゆっくりと頭を下げます。視界に広がる将棋盤。その上では、僕の王様が見るも無残なやられ方をしていました。
「ふー。いい将棋だった」
「母から聞いてはいましたけど、本当に強いですね。まさか、ここまでボロボロにされるなんて」
「ふふふ。だてに長生きしてないからね」
ドヤ顔を浮かべるテンちゃん。お盆の上にあったコップを手に取り、中のお茶を一気に飲み干します。
そういえば、テンちゃんは一体何歳なのでしょうか。見た目の年齢は僕と同じくらいですが、少なくとも母より年上のはず。まあ、人間と天狗では、年の取り方や時間間隔なんかも全く違うんでしょうね。
そんなことより……。
「テンちゃん」
「ん?」
「本当に、ありがとうございました」
ピシリと背筋を伸ばして僕はそう告げました。次の瞬間、テンちゃんの目がみるみる見開かれていきます。
「……何で? お礼を言うのはこっちだと思うんだけど」
「そうですか?」
「そりゃ……私、急に押しかけちゃったし。それに、将棋してほしいっていうわがままも聞いてくれて……どう考えても、迷惑かけてるのは私だよね」
かなり混乱してしまっている様子のテンちゃん。視線をキョロキョロとさまよわせ、手を何度も握ったり開いたりしています。といいますか、『迷惑』なんて思ってたんですね。玄関先で初めて顔を合わせた時は、そんな素振り微塵もありませんでしたが。
「まあ、その……将棋してる間、少しだけモヤモヤを忘れられましたから」
「……モヤモヤ?」
「はい」
小さく頷く僕。その声は、自分でもはっきりと分かるくらい震えていました。
「僕、母が病気で亡くなってから、ずっと心の中を黒いモヤモヤが覆ってるんです。何をしてもそのモヤモヤは消えてくれなくて。学校で授業受けてる時も。誰かと話をしてる時も。大好きなはずの将棋してる時も。ずっと……ずっと……」
「…………」
「そんな調子だから、全然『楽しい』って思えることがなくて。ただ時間ばっかりが過ぎていって」
「…………」
僕の口から紡がれ続ける言葉。今日初めてあった相手に、こんな重い話をするなんてどうかしています。普通の人なら、「何この人?」と嫌な顔をするかもしれません。ですが、テンちゃんになら。母の友人であり、人間ではない彼女になら、話してもいいかもしれないと思ってしまったのです。
「知ってますか? 母が亡くなったのって、僕の高校入学が決まった日なんですよ」
「…………」
「僕が高校に受かったって聞いたら、病気で寝込んでる母も元気を取り戻してくれるって信じてたのに」
「…………」
「合格者の中に自分の受験番号を見つけた瞬間、病院から『母が危ない』って連絡があったんです。病室に急いで行ったけど……僕が着いた時には、もう……」
「…………」
いつの間にか滲んでいた僕の視界。頬の上を、生ぬるい液体がゆっくりと伝い、畳の上にポトリと落ちます。腕で軽く目元を拭ってみますが、液体はとめどなく溢れてきます。押しとどめることなんて、できそうにありませんでした。
「ねえ、テンちゃん」
「……何だい?」
「僕は、これからどうやって生きていけばいいんですか?」
「…………」
「大好きな母もいなくて」
「…………」
「ずっと黒いモヤモヤに覆われっぱなしで」
「…………」
「教えてください、テンちゃん。僕の、これからの生き方を」
そんなこと聞いても、テンちゃんが困るだけなのに。けれど、そうせずにはいられませんでした。黒いモヤモヤで覆われた僕の心に、少しでも明るい光が欲しくて
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