第13話 僕の名前

『へー。いい名前じゃん』


『でしょ。一生懸命考えたんだから』


 テンちゃんの方へ顔を戻し、ドヤ顔を披露する母。「ふふん」という声が、こちらにも聞こえてくるかのようです。


『「蒼空そら」……か。どんな意味があるんだい?』


 そう母に尋ねるテンちゃん。昔、僕も母に同じ質問をしたことがあります。ですがその時は、「蒼空が大きくなったら教えてあげる」と言ってはぐらかされてしまいました。そして、答えを教えてくれる前に、母は……。


『むう。自分で考えた名前の意味言うのって恥ずかしいなー』


『何言ってんのさ。私に「テン」っていうニックネーム付けた時、「天狗だから」って笑顔で言ってたのは君だろ。あの時は、単純すぎて呆れちゃったよ』


『あ、あれは若かったからで……。もう。誰にも言わないでよね』


『分かってるって。ほれほれ。さっさと白状しちゃいな』


 そう言って、テンちゃんはチョイチョイと手招きをします。口元に小さく見える真っ白八重歯。昔も今も、やっぱりテンちゃんはテンちゃんなんですね。


『……私さ、持病があるよね』


 母の口から告げられた言葉。それは、予想だにしていなかった暗いものでした。一気に変わる病室内の空気。止まる風と、動きのないカーテン。窓の外から聞こえる車の駆動音。


『……そうだね』


 真剣な表情で頷くテンちゃん。先ほど口元に見えた八重歯は、今はもうありません。


『あんまり考えたくないことだけどさ。私のせいで、この子にすごい迷惑をかけることだってあると思う。持病が悪化して、この子が小さいうちに私が……なんてことも』


『……大丈夫だって、君なら。今までも何とかやってこれたんだから』


『うん。ありがとうね。テンちゃん』


『…………』


 母を無言で見つめるテンちゃんの顔は、とてもとても悲しげでした。きっと、今の僕も同じような表情をしているのでしょう。一か月ほど前に病室で見た母の死に顔が、頭にちらついて離れません。それを振り払いたくて、僕はギュッと目を閉じ、拳を握り締めます。


『きっとこの子には、これからたくさんの困難があると思う。折れそうな時も、くじけそうな時も、きっと。私がこの子を守ってあげたいけど、いつまで守れるかわからない』


『…………』


『だからね』


 その明るい声に、僕は閉じていた目を開きました。視線の先にいる母は、大きなお腹を優しくさすりながら、語り掛けるように言葉を紡ぎます。


『この子には、いつだって空を見上げて生きてほしいんだ』


『……空?』


『そう。空』


 空を見上げて生きる。それは、テンちゃんが僕に語ってくれた言葉。


『空はね、いつだって綺麗なわけじゃない。真っ黒な雲が空を覆ってる時もある。でも、ずっと空を見上げてれば、いつかは雲がどこかに行って、綺麗な蒼い空が見えてくる。この子にもね、どんな困難にも負けないで、その蒼い空を見てほしいんだ』


 蒼空。


 僕の名前。


 母がずっと呼んでくれた大切な名前。


 そこに、こんな意味があったなんて。


『なるほどね。いい意味じゃないか』


『でしょ』


 いつの間にか、僕の目からは大粒の涙があふれていました。体が震え、口も上手く動きません。悲しさやら、嬉しさやら、恥ずかしさやら。いろんな感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、もうどう表現していいか分かりませんでした。


『あ、それにもう一つ意味があってね』


『もう一つ?』


『うん』


 冗談なのか、はたまた本気なのか。最後に母は、こんなことを語っていました。満面の笑みで。


『私が死んで天国に行ったとしてね。その後、この子が空を見上げて生きてくれてたらさ。空の上からこの子の顔がよく見えるかなって』

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