第8話 会話?

 そんなやり取りの後、盤上に駒を並べる僕たち。駒が盤上に置かれるたびに、パチリという優しい木の音が響きます。


「よし、並べ終わったね。じゃあ、始めようか」


「はい」


 頷いて仏壇に視線を向ける僕。母の写真を視界におさめ、盤上に向き直ります。


 昔、僕がテンちゃんと将棋をしてみたいと言った時、母はこう答えました。「いつかできるかもね」と。あの時の僕は想像できたでしょうか。その「いつか」が、母の死後にやってくるなんて。


「「よろしくお願いします」」


 重なる二人の声。いよいよ開戦です。


 パチリ……パチリ……パチリ……。


 序盤ということもあり、一定のリズムで進行していく駒たち。数手後、テンちゃんは、飛車ひしゃを横へ移動させます。


四間飛車しけんびしゃ……ですか」


「そ。古き良きってやつだよ」


「今でも指してる人は多いですけどね」


 四間飛車とは、飛車を四筋へ移動させて戦う戦法。プロ、アマ問わず多くの人が指してきた有名なものです。僕自身、これまで何度四間飛車と戦ったか数えようもありません。


 陣地の形を整える僕。そして、テンちゃんが、美濃囲みのがこいという王様の守りを作っている間に、僕は自分の飛車を四筋へと移動させました。


「お、右四間飛車みぎしけんびしゃかー」


「はい。四間飛車相手には、これが有効だと思うので」


 僕の飛車とテンちゃんの飛車。その二つが向かい合い、バチバチと睨み合います。後は、いつこちらから攻撃を仕掛けるか。すぐに仕掛けることもできますが、もう少し王様の守りを固くしてから仕掛ける手もあります。どちらを選ぶかは人それぞれ。


「ふふっ」


 突然聞こえた、こぼれるような笑い声。思わず盤上から顔を上げると、そこには楽しそうに笑うテンちゃんの姿がありました。


「テンちゃん、どうかしました?」


「いや。楽しいなって思ってさ」


「楽しい?」


 首を傾げる僕。将棋の最中に楽しいと思う場面はいくつか思い至ります。例えば、いい手が思いついた時。例えば、自分の作戦が上手くはまった時。例えば、今まで見たことのない盤面が出来上がった時。ですが、テンちゃんの告げた「楽しい」は、そのどれでもないような気がしました。


「将棋って、会話みたいなものだと思うんだ」


「会話?」


「『次にあなたはどうするの?』、『これならどうですか?』って感じのね」


「…………」


「私の目の前には君がいて、私がどんな手を指しても君はそれに返事をくれる。絶対に相手を一人になんてさせない。これって、本当に楽しいよね」


 チラリと八重歯をのぞかせ、盤上に顔を戻すテンちゃん。しばらく考えた後、駒を一つ動かします。ゆっくりと、優しい手つきで。


「……すごいですね。僕、そんな風に考えたこと一回もありませんでした」


「ふふふ。もっと褒めてもいいんだよ」


「テンちゃんは、いつから将棋が会話だって考えるようになったんですか?」


 僕の質問に、テンちゃんは「そうだなー」と言いながら腕組みをします。そのまま天井を見上げること数十秒。僕の方を向いたテンちゃんは、曖昧な笑みを浮かべながらこう答えました。


「……秘密」

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