第3話 …………いい天気だね

「テンちゃん……」


 僕の口から漏れた言葉。それを聞いた少女が、目をパチクリと瞬かせます。


「お。私のこと、知ってるんだ。お母さんから聞いたのかな?」


「本当に……テンちゃん……ですか?」


「そうだけど」


 当り前だと言わんばかりの表情で首を縦に振る彼女、もといテンちゃん。


 僕の頭は、もう混乱しっぱなしでした。小さかった頃はともかく、小学校の高学年になってからは、全てが母の創作だと思っていたテンちゃんの存在。そんな彼女が今、目の前にいます。そして、つい数秒前に発生した、人知を超えた出来事。どんなに頑張っても動かない体。勝手に開かれた扉の鍵。母の話が本当なのだとしたら……テンちゃんは……テンちゃんは……。


「……天狗」


「へー。君、そこまで知ってるんだね。だったら話は早そうだ」


 そう言って、テンちゃんはニッと八重歯をのぞかせます。いつの間にか、その手に持っていた団扇はなくなっていました。







「えっと……ど、どうぞ」


 僕が恐る恐るテーブルに置いたコップ。テンちゃんは、「ありがとー」と言いながらコップに手を伸ばし、中に入っていたお茶を一口飲みます。


「うーん、おいしい。これ、高いやつでしょ」


「え? それは……」


「ふふふ。私、お茶に関しては結構詳しくてね」


「スーパーで買った安いやつですけど」


 再度お茶を飲もうとしていたテンちゃん。その体が、ピタッと動きを停止します。数秒後、頬をほんのり朱に染めながら、コップに残ったお茶を一気に口の中へ。そして、コップをテーブルに勢いよく置き、窓の方を見ながら一言。


「…………いい天気だね」


 誤魔化してる……。


 はてさて。目の前の人は本当にテンちゃんなのでしょうか。母からの話では、もう少しかっこいいというか、しっかり者の印象だったのですが。


 僕は、そんなモヤモヤを抱えながら、テンちゃんの向かい側の席に腰を下ろします。


「あの……テンちゃん」


「何かな? というか、初対面の人にいきなりニックネームで呼ばれるって不思議な感じがするね」


「あ。で、ですよね。すいません。テンちゃ……じゃなくて。えっと……あれ?」


 そういえば、テンちゃんの本名って……。


「おっと。別に、意地悪言ったわけじゃないから。『テンちゃん』で呼び慣れてるんでしょ。無理に変えなくていいよ。それに、君のお母さんがくれたこの名前、私も気に入ってるしね」


 テンちゃんは、そう告げながらヒラヒラ手を振ります。


 僕は、小さく咳払いをした後、改めて話を切り出しました。


「じゃあ、テンちゃん。テンちゃんはその……本物の天狗……なんですよね?」


「むむむ。もしかして、信じてない?」


「い、いえ。そういうわけでは。さっき、ものすごい体験しましたし。でも、テンちゃんのことは、母の創作だと思ってたので」


 漫画やアニメの主人公なら、特別なことが起こったとしてもそれを素直に受け入れることができるのでしょう。ですが、僕はただの人間。それも、まだ十六歳の子供。今の状況を素直に受け入れられるほど、柔軟ではないのです。


「なるほどね。ちなみに、君の思ってる天狗ってこんな感じ?」


「……え?」


 一体どこから出てきたのでしょうか。気がついた時、テンちゃんの手には、あの特徴的な団扇が握られていました。そして、おもむろに団扇で自分の顔を隠すテンちゃん。


「じゃーん!」


 弾んだ声とともに、テンちゃんは団扇の横から顔をのぞかせます。赤い肌。鋭い眼差し。高い鼻。それは、世間一般に知られている天狗の顔そのものでした。

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