第5話 新たな挑戦

 休日の早朝、ダウンジャケットを着て近所の道を歩いている。坂道が多く、度々、足を止めた。珍しくもない周囲の紅葉を眺めて気付かれないように荒い息を整えた。背後から軽やかな足音が近づいてきた。

 若々しい女性が立ち止まる私をあっさりと抜いた。ウインドブレーカーに身を包み、規則正しく手足を動かす。綺麗に走るフォームに目が引き寄せられた。以前の自分の姿を重ねて強く拳を握る。

 過去を振り返っても仕方がない。今を見据えて歩くしかない。心の中で言い含めて止まっていた足を動かした。

 日々の積み重ねが大事。思ってはいても成果が目に見えないと不安になる。並行して進める就職活動もままならない。連戦連敗が続いてワースト記録を更新中。面接の機会を得られても決まって心臓の話になる。この業界は厳しい。残業は当たり前と前置きのように語られ、最後は当然のように不採用となった。

 そこで私は試してみた。履歴書に心臓の件を書かないで会社に提出した。結果、その場で採用が決まった。即戦力を期待されて社用車で最寄りの駅へと運んで貰う。

 好感が持てる相手だけに私は車内で隠していたことを打ち明けた。心臓を悪くしてペースメーカーを入れていると。表情でやや驚いたものの口調は変わらず、動揺した様子も見られなかった。

 その晩、電話で不採用を告げられた。私が詰問することはなかった。相手の表情は見えないが慎重に言葉を選んでいる。胸中の苦しさは十分に伝わったので電話を切った。

 両親には悪いと思う。甘える形になるが心臓の問題を解決しないと前に進めそうにない。私は就職活動を中断して身体を鍛えることに専念した。


 二十代半ば近くになって、ようやく近所の坂道を止まらずに歩けるようになった。心肺機能が上がったのだろうか。体調の状態に関わらず、ペースメーカーは動いている。右胸の反応で伝えてきた。役に立っているかはわからない。最後の通院はかなり前になる。電池切れにはなっていないので、突然、命を落とすことはないだろう。

 今日も愚直に歩いた。いつもの折り返し地点を無視して足を伸ばす。民家に囲まれた細い道を進んで適当に左へ折れた。

 古い家屋に紛れるようにして一軒の自転車屋があった。店先に小型のバイクが置かれ、肝心の自転車は店内の隅の方に押し遣られていた。過密状態から抜け出した一台のクロスバイクは壁に飾られている。リアとフロントのギアを数えて二十一段変速とわかった。

 子細に見ている最中、店主らしい小柄な男性が店の奥から現れた。声を掛けられた訳ではないが自ら踏み出し、壁を指さして値段交渉を始めた。財布には倒れた時に備えて三万円程度が収められている。

 展示品が幸いした。予想よりも安い値段で手に入った。その場でメンテナンスを済ませると私は真新しいクロスバイクに跨った。

 ペダルを踏み込み、快調に飛ばす。冬にも関わらず、懐かしい風を思い出した。グラウンドの土の匂いが染み込んだ、あの夏をとても近くに感じた。沸き立つ喜びで叫び出したい気分を力に変えて速度を上げていった。


 その日からクロスバイクは私の掛け替えのない相棒となった。

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