第4話 医師の言葉

 息苦しさは見えないストーカーのように絶えず付いて回る。どこにいても深呼吸が必要となり、酸素の行き渡らない頭にはかすみが掛かる。高校の成績は落ちる一方で体育の授業は全て見学となった。

 徐々に早退する回数が増えて出席日数まで危うくなる。担任にはこちらの事情を説明していたが、何度も小言のように注意された。楽しい学生生活は諦めて苦行と思うことにした。

 私の不規則な行動は同級生にも自ずと伝わる。接する態度がどこかよそよそしい。不良の類いに思えたのだろう。ペースメーカーのことは誰にも話をしていない。弱々しい姿を見せたくはなかった。

 日々、溜まる不満は半年に一回の診察の時に全て吐き出した。真っ向から受ける担当医は冷静な口調を崩さず、ペースメーカーは正常に動いていると返した。最初の頃に不具合が出易く、身体が慣れるに従って解消されると付け加えた。医学の知識に乏しい私は口をつぐみ、その言葉を信じるしかなかった。

 息苦しい日々を喘ぐように過ごした。どうにか留年は免れ、高校を卒業することが出来た。大学受験は失敗して推薦枠の無駄遣いとなった。歩くだけで息切れする身では就職先も見つからない。丸裸の状態で高校を追い出された気分だった。

 見えないストーカーは貧乏神となって全身にまとわり付いた。


 卒業後、二年間を無為むいに過ごした。鍛えた身体は怠惰な生活にどっぷり浸かって醜くたるんだ。恩恵と言えるのか。右胸のペースメーカーは目立たなくなった。夏場に堂々と薄着が出来る。海で泳ぐまでには至らない。右胸には縫合跡がしっかりと残っていた。

 好転の兆しは皆無かいむで息苦しさは続いた。少しは耐えることが出来るようになった。数年の苦行で我慢強さを身に付けた。

 そのような日々であっても、ささやかな変化は起こる。自分にではなく、周囲から始まった。担当医が海外留学で不在になる為、別の病院に引き継がれた。

 転院先で新たな医師と出会う。外科部長の肩書きを持っていたが物腰は柔らかい。診察の回数に比例して刺々しい心が丸くなる。病院に対する不信感が薄れていく中で思いもしない言葉を聞いた。

 若い人だと心臓機能が回復する場合があるという。絶対ではない上に確率で出せる問題でもない。未来に立ち込める暗雲に薄明かりが差した程度の希望だが、私には命綱くらい太く思えた。

 医師の口から回復の可能性が示された。具体的には何をすればいいのか。弱いところを鍛えれば強くなる。元々が体育会系なので真っ先に頭へ浮かんだ。

 とは言え、心臓が該当するとは限らない。息苦しさに抗って運動を強行すれば必然的に電池の残量を減らし、電池交換の手術の時期が早まる。再び、苦鳴を上げそうな痛みに耐えなければいけない。そもそも前提となっている方法が間違っていれば悪化の憂き目に遭う。

 内なる声に心が翻弄された。希望と恐怖がせめぎ合い、激しい浮き沈みの末に安定した。


 ただ生きていても電池の残量は減る。


 馬鹿みたいに単純な理由が心を軽くした。運動によって、多少、電池交換の時期は早まるだろう。それだけのことと割り切った。

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