第3話 予想を超えた痛み

 ペースメーカー植え込み手術はカテーテル検査と同じ、局所麻酔で行われる。意識がはっきりした状態で右胸を切られ、余計な部分を切除される。肉体を焼く臭いもするだろう。

 生々しい想像が自身を追い詰める。急に全身麻酔が脳裏にちらつく。直後に無様と思い直し、口に出す前にギリギリで踏みとどまった。代替え案として手術中に好きな曲を流せることになった。力強く励ます歌詞は、きっと勇気を与えてくれるに違いない。

 その考えは甘かった。麻酔の効きが悪く、曲に集中できない。頭部を覆う目隠しが幸いして苦痛で顔を歪める醜態は晒さずに済んだ。終始、情けない声を漏らさないように歯を食いしばり、拳を固めた。手術台のひんやりした冷たさは消え失せた。全身にぬるぬるとした脂汗を感じる。途方もない時間に心が押し潰されそうだった。

 執刀医は手術の終わりを告げた。時間通りの二時間を私は信じられなかった。

 翌朝は大部屋で軽い筋肉痛に見舞われた。ずっと拳を握っていたこともあり、掌に食い込んだ指で内出血を起こしていた。


 手術後、淡々とした病院生活を送った。味気ない食事は調味料の数でカバーした。右胸の抜糸が行われるまで特にすることがなく、簡単な検査のあとは決まって屋上に足を運んだ。

 高いネットフェンス越しに街を見下ろす。平日の昼過ぎとあって豆粒大のスーツ姿がやたらと目に付く。早足ながらも自由で生き生きとして見えた。

 焦りのようなものを感じた。軽い運動のつもりで右腕を回す。右胸に貼られた大きな絆創膏の下の縫合部分を小さな火で炙られた。突然の痛みに背中が丸くなる。その格好で静々と歩いて大部屋へ引き返した。


 ようやく面白味のない生活が終わる。抜糸を終えた私は退院に漕ぎ着けた。これで病院と完全に縁が切れる訳ではない。ペースメーカーの調子や電池の残量等を定期的に調べる必要があった。半年に一回の通院を受け入れて私は迎えにきた母と共に病院を後にした。

 明日から高校生活に戻る。陸上部は辞めているので早朝に起きる必要はなかった。身体が覚えているのか。薄暗い時間に目が覚めた。頭が少しぼんやりする。病院にいた時よりも眠れなかった。久しぶりの登校に緊張しているのだろうか。

 家族揃っての朝食を終えると徒歩で最寄りの駅へ向かう。夏の陽射しは相変わらず厳しい。約二週間で夏休みに入る。退院したばかりの身にはありがたい。

 駅が見えてきた。同じような制服を着た者達に次々と抜かれる。怒りで身体が震えて息遣いが荒くなる。負けじと改札に向かう階段を大股で上り、残り数段のところで足を止めた。

 意識して深呼吸をした。だが絡み付くような息苦しさからはのがれられない。右胸の一部に小さな反応を感じる。体内に埋め込まれたペースメーカーが知らない間に動いていた。

 息が落ち着いても反応は止まらない。貴重な電池を消費して動き続ける。それだけではない。電池交換の時期を早める。不意に手術の痛みを思い出し、その場に立ち竦んでしまった。

 私は一歩を進むことが出来なかった。黙って家に帰ると自室に引き籠り、ベッドの中で物言わぬさなぎのように丸くなる。

 失意の底に沈んでいると右胸の反応が無くなった。途端に意識がぼやける。

 私は強烈な睡魔に身を預けた。

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