第4話・私だって彼女にしてほしかった

 高校生になって一ヶ月、HRホームルームから放課後までの時間をこんなにも長く感じたのは初めてだった。早く、早く帰りたい。

「みゃーちゃん」

「っ……なに?」

 いそいそと教室から出ようとした私の背中に、夜鶴の寂しげな声が浴びせられた。

 なぜ私がこんなにも申し訳ない気持ちでいっぱいかと言えば、それはお昼休みの時間までさかのぼる。私はいつも通り一人でお弁当を広げてさっさと平らげて寝たフリをしていたのだけど、夜鶴はそう、いつも通り、というわけにもいかない。一緒に食べているメンバーは何か聞きたいが何を聞けばいいのかわからず、夜鶴も何を話せばいいのかわからず、非常にギクシャクしている空気が、机に突っ伏していた私にまでムンムンと感じられたのだ。

「今日はこのあと、お店でバイト……だよね?」

 私としても思考をまとめる時間が欲しい。校内で夜鶴と話す時間は極力減らしたかった。

「そうそう」

 弁当屋【みやづる】は、私と夜鶴のお母さんが立ち上げた店だ。基本は二人で切り盛りをしているが、ちょくちょく私も手伝いをすることはあった。そして高校生となった今、正式にアルバイトとして、夕方の混み合う時間帯などにレジ打ちを任されている。

「そっちも事務所で仕事あるんでしょ? 頑張りなね」

「……わ、私も……みやづるでバイトしようかなぁ」

「いやいやモデルの仕事どうすんのさ」

 突然の妙ちきりんな提案に思わず早口で返してしまう。

「それは……。でも、ほら、毎日なわけでもないし」

「急な仕事が入るのだって珍しくないんだしやめとけば?」

「……そう、だね」

 なぜ選ばれた者しかできない仕事があるのに、私でもできる仕事をしたいと思うのか。幼馴染とはいえ夜鶴のこういう思考は理解できない。

「それじゃ、また明日」

「あっ、うん。バイト頑張ってね、頑張り過ぎないでね、気をつけて帰ってね、また明日ね、みゃーちゃん」

「ほいほい」

 なんじゃなんじゃと聞き耳を立てる連中が集まってきたので、早足で帰路につく。急いで帰らなくてはいけない理由はそれだけでなく――バイトがあるから、というだけでもなく――もう一つ、何故か私が担当している面倒な案件が絡んでいる。


×


「ねぇ岩槻いわつき、これは一体どういうこと……?」

 面倒な案件そいつはノートパソコンのモニターをこちらに向けて――巨大なベッドの上で這い這いしながら――私に詰め寄った。病的にまで青白い肌と不健康にやせ細った体躯。名字は白澄しらずみ。下の名前は知らない。私や夜鶴と同じクラスだが、入学式も合わせて一度も登校していない。

「どうもこうも……斯々然々かくかくしかじかだよ」

端折はしょんないで。説明して」

 担任からていよく白澄へプリントを渡す係を押し付けられた私は、三週間前にこいつと初めて邂逅した。豪奢なマンションのピンポンを押して返答を待つ私へ、白澄は開口一番、「私みたいな奴が私係わたしがかりしてる……」と呟いた。それから四十五階にある部屋に招き入れられ、話をしたり愚痴を聞いたりを週に二、三しているうちにある程度の関係性が出来上がって今に至る。

「私と夜鶴が付き合っている、ということだ」

「ありえない……私が寝ている間に世界線でも変わった?」

 私とこいつは互いに忌憚なく言葉をぶつけ合える関係ではあるけれど、友人かと言われればよくわからない。よしんばそうだとしても、欲しいのは共に高校生活を謳歌できるような友人。つまり、ノーカン。

「さぁ。夕方まで寝ているからそうなるんじゃない?」

 白澄は見せてきたのは同級生達が使用しているSNS。みんな思い思いに私と夜鶴について呟いているようだ。

「はぁ……逢妻あいづま夜鶴、落ちるところまで落ちたわね」

「おいどういう意味だ」

 釣り合わないという意味なのはわかっているが、この引きこもりに言われると腹が立つ。

「イタイケな陰キャを弄んで……あまりにも性格が悪いわ」

「そっちかい」

 そもそも真剣交際だと思われてなかったか。いや……そりゃそうか。七岡にも『そうは見えない』ってはっきり言われたわけだし。

「今すぐ別れなさい、岩槻」

 それができれば苦労しない。

「……その心は?」

「私にしておきなさい」

「…………は?」

 普段の適当な会話でも成り立たないことはある。いつもならそのままにしておくが、今回は思わず聞き返してしまった。白澄の青白い頬に浮かぶ、淡い紅色。

「どうしてわざわざ別次元の人間に手を伸ばすのか意味がわからない。私でいいじゃない」

「さっきから何言ってるの……?」

「ずるいって言ってるの。逢妻夜鶴なんてどうせ誰でも選び放題なんだからわざわざアンタに絞る理由ないでしょ? 私にとってはこんなんでも唯一なの。岩槻が女でもいいなら私だって彼女にしてほしかった」

「そんな『そのポケットティッシュ無料で配ってるなら私も欲しかった』みたいに言うな」

 つーか『こんなんでも』とか余計な一言が過ぎる。

「……ずるい」

 その弱々しい声音は、いつも高飛車で傲慢な白澄には全く似合っていなかった。親が金持ちで、それなりの美貌を持ち、タワマンでひとり暮らし。中学時代は妬み嫉みからまずまずの嫌がらせを受け、真っ向からやり合ったものの、『もう面倒は御免だから高校には通わない』と決断した女から漏れた声とは思えない程、薄くて、弱々しい。

「はぁ……。こっちはこっちで大変なの」

「大変? なら尚更別れなさいよ」

「だーかーらーそういう諸々も簡単にはいかないんだって。帰るわ」

 これ以上の会話は不毛に思え、更にバイトが始まる時間も迫っている。異常なレベルで体が沈み込む高価そうなソファから立ち上がり、鞄を持った。

「ちょ、待って、待ちなさいよ」

 聞き馴染みのない慌てた声に振り返ると、サテン織りの高級感あふれるパジャマを纏った白澄がベッドから降りて――腰まで伸びた艶やかな、自慢の黒髪を振り乱しながら――駆け寄って来て、

「ど、どうせ逢妻は……こういうこと……して、くれないでしょう?」

 私の背中に、慎ましく寄りかかるように引っ付いた。本日二度目の、他人の体温。夜鶴の体よりも、ずっと、ずっと冷たい。微かに震えている、ような気がする。

「あんね、別に夜鶴と付き合ったところでここに来なくなるわけじゃないんだから、そんなテンパらないでよ」

「っ……そういう意味じゃ…………もういい」

 珍しく見せた塩らしい態度は秒で終わり、白澄はズカズカと足音を立ててベッドに潜り込んだ。

「アンタみたいな鈍感ペシミスト、さっさと帰って。さっさとフラれてしまいなさい」

 だから……それができれば苦労しない。


×


「時間……ギリギリになっちゃったな」

 スマホのディスプレイを付けたり消したりしながら、体感倍速で進んでいく時間に焦る。

 エレベーターが一階に着くと同時に小走りでエントランスを抜けると――

「お疲れ様、みゃーちゃん」

「……ぇ?」

 そこにいるはずのはい――既に事務所へ赴いて仕事に励んているはずの――夜鶴が、鞄を両手で持ちながら佇んで、微笑みながら私を見つめていた。

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