第2話・屈辱屈辱屈辱!

 翌日、教室に着いて席へ座ると同時に違和感が襲いかかる。ザワザワという擬音が可視化しているみたいだ。私と夜鶴に対して、あちらこちらから熱い視線が送られ全身が針で突かれるように痛い。

 どうやら根岸さんは宣言通り、音速で噂を流布してくれやがったらしい。

 早く誤解をとかなくてはならない。けれど私にそんな力がないことは昨日の時点で証明済み。ならばどうするか。上書きしてしまえばいい。

 私と夜鶴が付き合っていることは(誠に遺憾だが)事実として受け入れ、別れたという事実で上書きし、日常を取り戻せばいい。それだけの話だ。

「夜鶴、ちょっと」

「あっ、うん!」

 その旨を伝えるには教室から離れる必要がある。夜鶴の手を取ってドアへ向かうと、わざとらしいくらいの黄色い悲鳴が点々と零れた。

「どうしたの? みゃーちゃん」

 階段を駆け上がり、鍵で閉ざされた屋上への扉の前までやってきた。夜鶴の頬が妙に赤い。私と違って運動神経も優れているこの女が、あの程度の運動で紅潮するものなのか……?

「気づいているだろう。教室の雰囲気が妙なことに」

「そう、だね、うん。でも……あのね、私考えたんだけど、放っておいてもいいんじゃないかな?」

「いいわけないだろう! 私と夜鶴が付き合っていることになっているんだぞ」

「そんなしっかり言語化されたら……照れちゃうよぅ。あのね、みゃーちゃん、私は……別に……というかむしろ……えへへ……」

 能天気にも程がある。自分の人気ぶりや悪意ある第三者の存在についてまるでわかっていない……。

「……しかしまぁ、私としても、こうなってしまえば訂正は難しいと思う」

 夜鶴が本気で釈明すればどうにかなるかもしれないが、どうにもその気がないように見えるし。

「!! それじゃあ……このまま……私達……本当に……お付き合い……!」

「そうなるしかないだろうな」

「!! やったぁ「でも、今日別れる」「……へ?」

 なんでこの状況で『やったぁ』なんて言葉が出てくるんだ。楽観的で何事も楽しめるオプティミストな夜鶴らしいと言えばそうだが……。私は生来のペシミスト。そう簡単に割り切れない。

「理由はどうでもいいが、夜鶴が私をフったということにして、それでこの騒動を終わらせる。いいね?」

「よぐない!!!」

「!?」

 これ以外にどんな策があるというんだ!!

「……わ、別れるだけでも嫌なのに……私からみゃーちゃんをフるなんてあり得ない。……どうしてもそうしたいなら……みゃーちゃんが私をフって」

「それは…………」

 そうなると……違う。それはダメだ。

恋愛においてフられた者は被害者、フった者は加害者として扱われることを私は数多の恋愛漫画から学んでいる。

 こんな性格の私だが……まだ友人を作ることを諦めたわけじゃないんだ。自身の印象を下げるようなことがあっていいわけがない!

 かくなる上は……。

「付き合うということは!」

「ひゃっ、みゃーちゃん!?」

「こういうことだってしなくちゃいけない。場合によっては人前で! わかっているのか夜鶴」

 夜鶴の背中に回り込み、後ろから軽く手を回した。反射的に両手を挙げた夜鶴は、無抵抗を表しているようにも、万歳をしているようにも見える。

「ボディタッチ嫌いのみゃーちゃんがこんな……こんな……!!」

「わかった? 付き合うっていうことは、夜鶴が想像しているよりもずっと――」

「私が想像してきたこと、していいの?」

「なっ」

 突然振り返った夜鶴は、私が込めていた力を遥かに凌駕して抱きしめ返してきた。

 身長差のせいで彼女の胸の膨らみに顔を押し込まれ、途端に耳まで顔が熱くなる。

「嫌? だったらちゃんと意思表示してね、みゃーちゃん。それで……耐えられないなら、私をフッて?」

 屈辱。屈辱屈辱屈辱!

 されている行為もさることながら、今まで私にべったりだった夜鶴に、こんな意趣返しをされるなんて!

「……はぁ? なに? 全然耐えられるけど?」

「んふ……。ねぇみゃーちゃん、本当にどうなっても知らないよ?」

「それはこっちのセリフ。私は――」あんたにどれだけたくさんの友達がいても、あんたがモデルとしてどれだけ活躍しても、身長や成績をあんたに抜かされても――「負けない。夜鶴が『こんなことするなら恋人やめる~』って泣きついてくるまで、徹底敵に愛でてやる」

「……うん。みゃーちゃんなら……そう言うよね。私、頑張らなきゃね」

「……?」

 夜鶴の声が奇妙に震えて、思わず視線を動かした。逆光のせいで確証はないけれど、その口角は、笑窪エクボができるくらい、歪んでいるように見えた。

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