素直になるメディウム

 結婚してほしい――今、クレマンがそう言ったの?

 とても信じられなくて、瞬きを繰り返してしまう。

「だ、だって、あなたは私のこと、別に妹程度にしか思っていないでしょ?」

 そのとたん、彼はいつものように目を泳がせる。

「あと、私のことを面倒な女って」

「それは俺の失言だ。悪かった」

 クレマンは私の手を強く握ってきた。

「正直、いつからかは自分でもわからないんだ。ただ、お前が半端な状態で計画を終わらせるのが嫌だと思って――」

「同情してくれたってこと?」

「違う。そのとき、気づいたんだよ。お前と一緒に、ああでもないこうでもないと言いながら計画を練るのが楽しくて……いつだったかお前が言ったように、ずっとこの時間が続けばいいと思ってたんだって」

「ずっと……」

 ああ、そうだ。この感覚。

 大人としてそれぞれの道を進まなければいけないと実感したときの、心の燻りを思い出す。

 見合い相手には、魅力的な人も、豊かな人も、優しい人もたくさんいた。けれども、彼らのうちの誰かと手を携えて進む自分が想像できなかった。クレマン以外の誰かと協力して何かを成し遂げることも、前世の思い出を語ることも。

「私も、そう思ってた……かも」

 私は、瞠目するクレマンの手をぎゅっと握り返す。

 いつも私を小馬鹿にしてくるクレマン。すぐ調子に乗って偉そうにする半面、結構うかつなところもある。でも、一度味方についてくれたら心強くて、私と同じくらいに真剣に悩んでくれて、どうしたら私が嬉しいのかをわかってくれて――。

「ずっと、あなたと一緒がいい。こんな面倒な私に付き合ってくれるの、あなたくらいだもの」

「だから、そう言ったのは――」

「自分でも面倒と思うわよ。前世の記憶があって、誰からも求められていないことを必死に取り組んで」

 視界がぼやける。それに動揺して言葉が途切れると、すかさずクレマンが空いているほうの手で私の涙を拭いてくれた。なんだか、昔を思い出してしまう。

 この関係はずっと変わらないかもしれない。それを心地よいと感じてしまう自分がいた。

「……結婚したら、前世の記憶は封じ込めて、ただのフロランスに戻るつもりだったのよ。あなたと一緒にいると、永遠に戻れないけれど、それでもいいの?」

「いい。俺は今のお前が好きだから」

 無意識に出た言葉だったのか、彼の顔が急に赤くなる。

「ええと、これは昔のお前と区別しているわけじゃなくて――」

「姫さま」

 女官の一人が、落ち着いた態度を取りつつも明らかに焦れたように割り込んでくる。

「宴のお時間です」

 気づけば、もう夜の帳が下りようとしていた。

「とりあえず、行くぞ」

 クレマンは腕と身体に隙間を作ってくれる。私はためらいつつ、そこに自分の手を添えた。


 宴の広間に二人で現れると、場内がざわめいた。悠然としているのは、私の家族を含めたムーレとニンフェアの人々くらいで――。

「ほら、最初から僕の言うとおりにしておけばよかったのに」

 お兄さまはにやにやしながら、私とクレマンを交互に見る。

「あの、お父さま……」

 たくさんの見合いを手配してもらっておきながら、結局幼馴染であるクレマンを選んでしまった。気まずさを拭いきれずに声をかけると、お父さまは静かに目を閉じた。

「お前たちが民の幸福を考え、その暮らしを良くするために共に励む姿を、ずっと見てきた。私が反対する理由などどこにもない」

 決して間違ったことは言われていないのに、ますます居たたまれなくなる。

 ごめんなさい、あなたの娘は心清らかなわけではなく、ただ自分の野望のために邁進しておりました……。

「フロランス、お披露目のダンスを」

 目を潤ませるお母さまに促されて、私とクレマンは広間の中央に出る。音楽が始まり、私はクレマンのリードに身を任せた。

 彼は私の髪飾りを見つめながら、ふと呟く。

「そういえば、ちょうど七年だな」

「何が?」

「十歳の誕生日直前だっただろう? お前が前世の記憶を取り戻して、変になったのは」

 言い返したり足を踏んだりしたくても、今は我慢する。今日だけは、婚約したばかりの幸せなお姫さまでいたい。

 そうか、七年……。いろいろあったな。美術館を設立するには足りなさすぎるけど、レピエが紫の花をつけるまでの時間だと考えると、案外長く思える。

「クレマンったら。せっかくの日なのに、そんなことしか言えないの?」

「今さら、他に何を言えば?」

「綺麗だとか、幸せだとか。あと……さっきのように、好きって――」

 その瞬間、クレマンのステップが乱れた。

「ク、クレマン?」

「……悪い」

 またそうやって視線を泳がせる。こういう仕草も、きっと変わらないのだろう。

「お前の……前世を受け止められるのは、この世で俺だけだからな」

 ようやく出た言葉がそれで、つい吹き出してしまう。けれど、嬉しかった。彼の前では、何かを取り繕うことなく心から笑えるのは事実だったから。


 それから数ヶ月後、私は婚礼のために祖国のムーレを出立した。とはいっても、昔から行き来している隣国だ。一片の寂寥もない旅立ちとなった。

「ちょくちょく帰ってきていいよ。この距離なら、夫婦喧嘩したときに逃げ込むのも迎えにきてもらうのも楽だろう?」

 お兄さまだけは、もう少し別れを惜しんでくれても良かった気がする。

 両王家は代々仲が良く、昔から私のことを知ってくれているクレマンの両親からはとても歓迎された。城で働く女官や侍従も知った顔が多くて、嫁ぎ先とは思えないほど気楽に過ごせている。

 それでも、挙式の日が近づくと、自分でも驚くほど胸が高鳴ってしまう。相手はクレマンなのに、彼と夫婦になれる日が待ち遠しいのだ。

 ニンフェアの王城は、芸術の国にふさわしく、あちこちに素晴らしい絵画や彫刻、工芸品が溢れている。挙式後は宝物庫にも入れるようになるので、今からわくわくしている。ただし、クレマンは違うようだ。

「ムーレの宝物庫で、前世を思い出して倒れたんだろう? 今からその調子なら、うちの宝物庫に入ったら逆に記憶を全部失うんじゃないか?」

 そんな妙な心配をするものだから、今は冷戦中だ。でも、私は絶対に譲るつもりはない。

「お二人は喧嘩も微笑ましいですわね」

 女官長は目じりを下げながら、私の身支度を手伝う。

「ところで、今日の髪飾りは、どちらにいたしましょうか?」

 差し出された中に、仲良く並んでいる赤と紫のレピエの花があった。比較してみると、私がわけのわからないまま仕上げた赤のものより、クレマンが気合いを入れて整えたという紫の花のほうが硬質化の状態がよくて綺麗だ。

 最初に教えてくれたら、私だってもっと丁寧に魔力を込めたのに。今度、別の色で再挑戦してみよう。

「いっそ、七色全部揃えてみようかしら」

 ふと漏らした呟きに、周囲の女官は揃って微笑する。

「そういえば、ご存知ですか? 男性が女性に贈るレピエの髪飾りには、色ごとに意味があるのですよ」

「そうなの? クレマンは一言も教えてくれなかったわ」

 女官たちの笑みがますます深くなった。

「きっとお恥ずかしかったのでしょうね。赤は『初恋』、紫は『永遠の愛』と言われております」

「まさに王女殿下は、王太子殿下の初恋相手ですものね。一途に想い続けて……」

 そんな甘い言葉が出てくるような関係ではないと思ったものの、どこかくすぐったい気分に――やっぱりなれない! 赤いほうを硬質化させたのは私で、クレマンは摘んで髪に挿しただけだ。責任とれだのなんだの言って。

「殿下、せっかくですから本日は赤いレピエになさいませんか? お二人の思い出なのでしょう?」

 女官たちの満面の笑みに囲まれたら、とても拒めなかったし、真実を告げる気にもなれなかった。


「……懐かしいな、それ」

 二人で長椅子に座って、いろいろな書類に目を通しているとき、ふとクレマンが呟いた。

「ええ、あなたが何も知らない私に固めさせて、何も教えないまま髪に挿した花ですとも」

 つい嫌味っぽくなってしまう。この場面だけ切り取ったら、数日後に結婚する男女とは思われないだろう。

「それより、美術館の話だが――」

 クレマンはまた気まずそうに視線を逸らしつつ、私の機嫌が直るように話題を逸らしてきた。まあ、ここは乗ることにしよう。

 芸術学校の付属施設という性格をつけると、美術館の設立は驚くほど順調に進んだ。今はまだ、貴族のほかには学生や芸術関係者にしか公開できないけれど、徐々に範囲を広げられたらと考えている。

 クレマンと私のコレクションを合わせただけでも、年に数回は展示替えできそうだ。展示品の組み合わせを考えると胸が躍る。

 学校付属だから、生徒たちの学びの場にしやすいのは言うまでもない。学校の授業とは違った形の学習をどう提供するか、今はあれこれ模索しているところだ。

 ニンフェアに嫁ぐことになったのもあり、結局、美術館設立が先になってしまった。けれども、総合博物館もまだ諦めていない。この国の歴史を整理しつつ、各時代をわかりやすく紹介する展示ができたらと思う。国民が、自分の国に愛着をもてるような施設にしたい。

 ニンフェアでの運営がある程度成功したら、その経験を生かして、ムーレの博物館美術館設立を支援するつもりだ。初心は忘れない。

 夢がどんどん膨らんでいくのを感じていると、ふとクレマンが苦笑する。

「美術館設立のほうが、俺との結婚よりも嬉しそうだな」

 それは当たり前――となぜか言えない自分がいた。

「……そんなこと、ない」

 クレマンとの結婚が嬉しくないどころか、むしろ……。それに、彼が私の理解者であるのは事実で、彼だからこそ私の野望がここまで形になったわけで……。

「一生、クレマンには頭が上がらないわ」

「そういうことを言ってほしいわけではないのだが」

「じゃあ、いったい――」

 彼はいきなり私の肩を抱いて、耳元で囁いてくる。

「幸せだとか、好きだとか」

 それ、婚約のお披露目のときに私が言った台詞では……。

「まったく、こんなところでやり返――」

 それ以上は言葉を紡げなかった。クレマンが私の唇を塞いだから。

 動揺しすぎて呼吸のしかたを忘れてしまう。ようやく解放されたときには、すっかり息が上がっていた。

「い、いきなりすぎるわよ」

 声が裏返ってしまう。けれども、ニンフェアに着いてからもいつもどおりに過ごして、まったく恋人や婚約者らしい触れ合いをしてこなかったのだ。戸惑っても仕方ない……はず。

「式が近いんだし、そろそろこういう練習も必要だろう? お前、本番で緊張して何かやらかしそうだし」

「もう、どうしてそんな言い方しかできないのよ!」

 昔から、それこそ前世の記憶を取り戻す前から、こうしたやりとりを繰り返してきた。きっと、私たちはずっとこうして生きていくのだろう。

「ちゃんと心の準備をしてから、したかったわ……」

 クレマンと初めてキスしたのに、全然余韻に浸れなかった。求婚のときだっていきなりで、バタバタしてしまって、こういう雰囲気になれないままだった。

 恨みを込めて見つめると、彼は一瞬だけ目を逸らす。けれどもすぐに視線を戻して、抱きしめてきた。

「そうだな、お前の願いはきちんと叶えてやらないと。じゃあ、もう一度……心の準備ができたら教えてくれ」

 そうは言うけど、クレマンの顔がすごく近い。準備するどころか、胸の鼓動がどんどん大きくなっていく。

「あの、クレマン。これでは落ち着けないのだけど」

「芸術の話をしているときよりも胸が騒ぐ?」

「その比較は……ずるいわ」

「ずるいのはお前のほうだろう」

 時間切れとでも言うように、クレマンは再び唇を寄せてきた。

 結局、素直に好きだと口にできるようになったのは結婚式後で、あなたと夫婦になれて幸せだとはっきり言えたのは美術館の開館日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

【完結】転生王女の美術館設立計画 仁志日和(にしひより) @HiyoriNISHI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ