花のクルール
十七歳の誕生日を間近に控えた私は、積み重なった紙束にうんざりしていた。
「お兄さまの嘘つき。何が、『お父さまの想定よりもかなり少ない』よ。これ全部、私に来ている縁談なのよね?」
「嘘は言っていないよ。父上は、この十倍は来ると予想していたから」
机を挟んで正面に座ったお兄さまは、いつもの笑顔で反論してくる。
ああ、お父さまの親馬鹿を侮っていた。そうよね、数日寝込んだ私が意識を取り戻したと聞いたとたん、すぐに駆けつけてきたような人だもの。
「今度の建国記念祭では、各国から使節が来る。そこで、結婚相手が決まるはずだよ」
偶然、五日間続く祝典の日程に、私の誕生日が含まれる。挨拶の口実にはちょうどいいだろう。朝から晩まで見合いに追われそうだ。
こんなことなら、せめてあと一ヶ月くらい遅れて生まれておけばよかった。
慣習のせいで、相手は未定でも花嫁支度は少しずつ整いはじめている。相手の国に合わせるべきもの以外は、ほぼ準備完了と言っていい。
「そういえば、クレマンとのやりとりは続いているのか?」
「ええ、手紙だけは。あちらは、才能ある子どもを通わせる芸術学校の設立が承認されたそうよ」
私はまず総合博物館を作ってから、より専門的な美術館を作るつもりだったけど、このままでは先を越されそうだ。芸術学校の付属施設としてなら、美術館設立はさほど難しくないだろう。
もともと国の水準が違うとはいえ、羨ましい。私は悔しさをこらえて、前世での教育普及活動の経験や、美術教育の専門家から教わったことを手紙に書き綴った。役に立っていればいいな。
「それ以外は?」
「え? 私たちがする話って、だいたいそんなものじゃない」
「昔は、乗馬やら剣術やら魔獣狩りやらが共通の話題だったのになあ」
お兄さまはしみじみと呟く。
「もっと、別の話はしなかったの?」
「……今年の誕生祝いは何がいいか聞かれたくらいね。これから怒涛の見合い続きになるから、幼馴染とはいえ他の男性がくれたものを表立って喜ぶのはまずいでしょう? だから、今年からは遠慮するって返しておいたわ」
その瞬間、お兄さまは机に突っ伏した。
「お兄さま、どうしたの?」
「……クレマンから、それについて何か返事は?」
「えっと、『お前もそういう気配りができるようになったんだな』と。相変わらず偉そうよね」
お兄さまはもう一度机に上半身を伏せた。天板が額に当たったような音が響いた。
「本当に大丈夫? 今、思いきりぶつけなかった?」
「……大丈夫だ」
去年までと違って、誕生日が近づくにつれて憂鬱になっていく。
建国祭に出席するため、各国の使節が続々とムーレに到着した。その多くが、私の花婿候補を連れてきている。
まだ式典が始まっていないのに、面会の希望が殺到した。クレマンと一緒に孤児院巡りをしたせいか、各国に「心優しくて民を思いやる王女」といい印象を与えてしまったようだ。完全なる善意ではなく個人的な野望を果たすためです、と言える空気ではなかった。
クレマンのように近場の王族としか交流がない私にとっては、遠く離れた国の話は興味深かった。けれども、どれだけの人と会っても、なかなか心が熱くなれない。前世でも恋愛経験がほとんどなかったせいだろうか。
みんな、クレマンとは比べものにならないほど、最初から優しい。私の容姿や行いを称賛し、美術収集や慈善事業を好きに行えるほどの富を持っていると丁寧に説明してくれる。
中には、私のわがままならなんでも許す、とさえ言ってくれる人もいた。以前の自分なら喜んで応じても不思議ではないはずなのに、なぜか胸が凪ぐ一方だった。
お兄さまは、お見合い相手の男性一人ひとりについて、どれだけ私やムーレに利益があるのかを分析してくれた。
「特にこのあたりは、ニンフェアよりも条件がいい国ばかりだよ?」
いちいちあそこを引き合いに出してくるものだから、最終的に怒ってしまった。
「その言い方、全ての国に失礼でしょ!」
「だって、フロランスの基準は、あそこだと思ったから」
「……!」
お兄さまの言うとおり、私にとって身近な目標はニンティアとクレマンだった。けれども、結婚と博物館設立計画は全然違う。
確かに、見合い相手とクレマンの性格を比べてしまうことはあったけれど……博物館に関しての比較はしていない。
「しつこいわよ、お兄さま。私はちゃんと趣味と王族の務めを分けて考えられるんだから、そういう配慮は不要なの」
お兄さまは眉を下げながら頬を掻いた。決まりが悪いときに、お兄さまはこういう仕草をしがちだ――クレマンが目を逸らすのと同じように。
「そういえば……クレマンは今回遅いわね」
お父さまの在位十周年のときから、ムーレの慶事にはクレマンが代表として来るようになった。少し早めにやってきて、私やお兄さまと一緒に遊んだり外出したりするのが常だった。
「今回は遠慮するかもしれないな。ほら、フロランスは彼からの誕生祝いを辞退したじゃないか」
「え? それとこれとは話が別じゃない?」
「どうせ、フロランスはクレマンを花婿候補とは見ていないのだろう? それなら、各国から見合い相手が来ているのに自分が親しげに振る舞ったら障りがある、と思っているかもしれないよ。ただでさえ、噂になっているのだから」
「でも……」
最近のクレマンとのやりとりを思い出すと、お兄さまの言葉を否定できない自分がいた。
けれども、今回がムーレの王女として最後の誕生日になるかもしれない。結婚が決まったら今までどおりのように接することができないだろうに、彼が来てくれないのは寂しい。
ああ、まただ……。
ぎりぎりまでやれることはやると宣言したし、私の婚約が確定するまで当然彼が付き合ってくれるものだと、勝手に思い込んでいた。
五年前、バルコニーで問い詰められたときのことを思い出す。クレマンが剣に手をかける瞬間まで、私は彼がいつも無条件で自分の味方になってくれると信じていたのだ。
甘えてばかりだな。
兄妹同然とはいえ、彼は隣国の王子だ。幼馴染だから、前世の秘密を共有しているから、私の夢を手伝ってくれるから……。そうした理由で、つい節度を超えた態度になってしまったのかもしれない。
「フロランス? 話、聞いている?」
お兄さまの声で我に返る。
「ごめんなさい、なんの話をしてた?」
「建国祝いの初日の夜に、なんのドレスを着るか」
初日の夜の宴は、各国との交流のなかで最も重要な行事だ。お父さまのことだから、ここで最も私に合うと思った相手との結婚を決めるだろう。
「前も話さなかった? 緑の刺繍入りよ」
ムーレの王族は、慶事に白いドレスを着ることが多い。ただし、真っ白のドレスは結婚式のときだけ。それ以外の場合は、差し色を入れなければならない。私は今回、緑を選んだ。
十二歳でニンフェアを訪れたとき、クレマンからレペテの花を数株分けてもらった。大切に育てて、四年目の緑色の花を咲かせた段階で摘んで、今回のドレスに使う染料にしておいたのだ。
「とても綺麗な色に染まったのよ。その糸で裾と袖と首元に、蔓と葉の文様を入れてもらうつもり」
ムーレの雄大な自然が好きだから、十七歳のドレスは緑を使おうと昔から決めていたのだ。クレマンに会ったら自慢するつもりだったのに。
「ああ、そう……」
お兄さまは顎に手をやりながら、何か考えているようだった。
「ごめんなさい。もしかして、お義姉さまとかぶってしまったかしら?」
「いや、彼女は赤を使うらしい」
それを聞いて、ほっと胸を撫でおろす。
建国祭には、お兄さまの婚約者も来る予定だ。気が早いけど、もう「お義姉さま」とお呼びしている。ずっと姉が欲しかったから嬉しい。
できれば、お兄さまたちの結婚式後しばらくは姉妹として仲良く暮らしたかったけど……。
「違う色ならよかったわ。でも、それならどうして?」
「まあ、いろいろあるんだよ」
お兄さまのすっきりしない言い方が、どうも引っかかった。
毎日、何人とも見合いをしていれば、さすがに疲れる。建国祭初日を迎え、祝典が始まったときはひそかに安堵した。儀式の間は、見合いのことを考えずに済む。
クレマンはというと、前日の午後にやっと到着した。ただ、私は各国の使節への応対に忙しくて、ほとんど話せなかった。
いろいろ言いたいことはあったけれど、彼の顔を見たら、それだけでもういいと思ってしまった。このまま縁談がまとまってしまえば、今までのように親しく語らうこともできない。気まずいまま嫁ぐのは嫌だった。
日が傾いてくると、夜の宴に向けて、城内は華やいだ空気に満ちていく。儀式用の重い装飾品を外し、化粧を直していると、女官たちが予定とは違う宝飾品を持ってきた。
「王太子殿下が、今夜の首飾りと耳飾りはこれを使うように、と」
そういえば、お兄さまは私のドレスを気にしていた。けれども、理由がいまだに思いつかない。
紫水晶は、緑色の刺繍に合うとはいえ……。
「ねえ、髪飾りが足りないわよね?」
「髪飾りは――」
一人の女官が口ごもると同時に、別の女官が歩み寄ってくる。
「姫さま、ニンフェアの王太子殿下がいらっしゃいました」
「え、クレマンが? こんなときに?」
「中庭でお待ちです」
クレマンは、半分身内のようなものだ。ムーレで式典と宴を行うときの流れは彼もわかっている。つまり、私の身支度の時間をわざわざ狙ってきたということだ。
私はひとまず首飾りと耳飾りを身につけて、髪をある程度整えてから、彼のもとへと向かった。
「久しぶりね、クレマン」
「ああ……」
実際は、最後に会ってから数ヶ月しか経っていない。長い付き合いの中、一年近く会わなかったこともあったから、久しぶりというほどでもなかった。けれども、変な別れ方をしたせいか、会えない時間がいつもより長く感じた。
「何か急用? 今はのんびりおしゃべりしている時間じゃないってわかっているわよね」
妙な時間に来られたせいで、無意識に声が尖ってしまう。本当は仲直りをしたいのに。
「やはり、どうしても誕生祝いを渡したくて」
「え? そんな、気を遣わなくていいって言ったのに」
「ああ、だからこれは俺の押しつけだ」
クレマンは、上質な布張りの箱を差し出してくる。芸術の国の王子らしく、いつも彼は趣味のいいものをくれるから、つい身構えてしまう。
「……とりあえず開けるわよ」
恐る恐る受け取りながらゆっくり蓋を開く。
「これって、レペテ……?」
硬質化した花が、黄昏の光に煌めいた。露のような宝石が添えられて、髪飾りの形に仕上げられている。しかも、その色は――。
「待って、紫? 紫って貴重なんでしょう? 顔料にも染料にもしないで、髪飾りに?」
私は動揺のあまり、血の気が引く。
レペテの花の栽培は難しい。私もこの緑の刺繍に使った花の世話は人任せできず、毎日水加減と魔力加減に気を配っていた。
七年かけないと出せない色は、足りないことはあっても余ることは決してないと聞いた気がする。それをわざわざ硬質化して髪飾りにするなんてありえない。
クレマンは無表情のまま、花を手に取って、私の髪に添えた。
「うん、似合っている」
「似合っている、ではなくて。受け取れないわよ。今夜、私は――」
「結婚相手を決めるんだろう? だから、受け取ってくれ」
「それって……」
「俺と結婚してほしいんだ」
私は目も口も大きく開いて、立ち尽くした。
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