ベルエポックは黄昏時

 前世のことを打ち明けて、博物館設立計画に巻き込んでから、クレマンとは前よりももっと仲良くなれた気がする。

 隣国といえ、お互い王族だ。実際に顔を合わせるのは年に数度だけど、その分通信魔法を使って、頻繁にやりとりをした。

 お兄さまも、私たちが真剣に取り組んでいるせいか、興味をもってくれて協力を申し出てくれた。ただし、一歩引いた立場で。

 お兄さまはやや保守的だ。芸術家の支援には理解を示しても、教育をはじめとした社会制度の改革や博物館設立にはあまりいい顔をしなかった。これは仕方ない。王族・貴族・国民のそれぞれがあまり損をしないようにきちんと練った計画であれば、お父さまに口添えしてくれるという約束になった。

 ということで、とにかくやれることからどんどん進める。私はまず、ニンフェアの事例を参考にしながら、芸術家の保護と支援から着手した。

 これは人々の理解を得られやすく、私は芸術好きの王女として認知されるようになった。ニンフェアだけでなく、他の隣国の王侯貴族からも、外交のときは芸術関係の話をよく振らる。

 そのおかげでコレクションも増やせた。台帳と作品カードを追加するたびに、頬が緩んでしまう。

 ムーレの美術史の整理は、前世を思い出してからこつこつ進めていたので、わかりやすい年表は仕上がった。こちらは想像以上に薄い反応しかもらえなかったけれど、いつかきっとムーレの皆の役に立つはずだ。

 全体の国史は意外と複雑だったので、誰にとってもわかりやすいようにかみ砕いてまとめるには、もう少し時間をかけなければならなかった。

 途中、私の個人のコレクションを公開するだけなら、先に美術館を建ててもいいのではと思ったけれど、芸術家たちは不特定多数の一般市民への公開にいい顔をしなかった。

 作品の安全云々の話ではなく、自分たちの作品は身分高く教養のある人々に理解してもらえたらいい、と彼らは思っているようだった。やはり新たな価値観を広めるのは慎重に行うことにしたほうがいいようだった。


 そして一番の問題は教育制度。クレマンと何度話し合っても、なかなかいい案が浮かばなかった。

 能力のある一般市民がきちんと活躍できる環境を整える取り組み自体は、彼としても興味があったらしい。ただ、いきなりがらりと変えることはできない。少しずつ、周囲を納得させなくてはならない。

 ムーレやニンフェアで、一般の子どもにそれなり教育を与える施設といえば孤児院だ。そこで、私たちは二国の孤児院でどのような教育がされているか、つぶさに調べた。独自の手法を持っているところには、実際に二人で訪ねたりもした。

 最初は警戒が強い子どもたちも、話しているうちに少しずつ心を開いてくれる。そのときの達成感は格別だった。

「お前、周りに年上しかいないわりに、意外と子どもの扱いが上手いよな」

「ふふ、前世では子ども向けの催しの手伝いもしてたから」

 珍しくクレマンが褒めてくれるので、つい得意げになってしまう。

「精神が子ども同然だからじゃないのか?」

 前世でも二十歳は超えていたから、むしろ彼より大人なのに。何度言っても、クレマンはわかってくれない。

 博物館設立計画の一環で始めた孤児院回りだったけれど、予想外の成果がいくつかあった。まず、調査の中で劣悪な環境の孤児院もいくつか出てきて、その是正ができたこと。

 また、ムーレの王女やニンフェアの王子が孤児たちと交流する姿は、各国民の王家支持率を上げた。

 加えて、私たちに気に入られたい貴族たちが慈善事業に力を入れ始めた。おかげで、国民全体の暮らしに余裕が生まれつつあり、さらなる支援を行う下地が整っていった。

 少しずつではあるけれど、確実に前には進んでいる。けれども、やはり時間は足りなかった。

 気づけば、あっという間に私は十六歳、クレマンは十七歳になってしまった。


「お前、最近焦りすぎじゃないか?」

 恒例となった、うちの城の書庫での話し合い。クレマンは眉をひそめながら尋ねてきた。

「焦るに決まってるわよ。そろそろ結婚相手探しが本格的に始まるもの」

 十七歳になれば、今のように自由に動けないのはほぼ確定だ。

 婚約者選定の一環で何度かは見合いもしなくてはならないし、婚約成立後は婚礼支度で慌ただしくなるし、嫁いだあとはその国に尽くすことが第一となる。

「なんとか、今のうちに少しでも道筋を作りたいの」

 そんな私の横で、自称傍聴者のお兄さまはのほほんと微笑んでいる。玉座が約束されていて、既に婚約者も得ているせいか、なおさら余裕綽々な態度に見える。

「安心していいよ。君たちの活動は、うちの貴族たちも認め始めている。もう少し形になってきたら、フロランスの計画は引き継ぐと約束するよ。きちんと、君の名前が残るようにね」

「ありがとう、お兄さま。でも、できれば自分の手で博物館をつくりたかったわ。十八歳過ぎてもムーレに残れたらいいのに」

 どうして、こんな慣習があるのだろう。今の祖国としてムーレのことは大事に思っているものの、これに関しては苦々しい気持ちになる。

「まあ、諦めるなよ。お前みたいな女をもらってくれる相手なんて、あと一年では見つからないかもしれないぞ」

 クレマンの慰めは、いつも微妙に受け入れがたい。

「理解のある人が現れてくれたらいいけど……現実はそううまくいかないわよね」

 優しい男性との縁談なら、お父さまが叶えてくれるだろう。けれども、王族の結婚は国同士の問題だ。いくら夫となる男性が私の夢を大事にしてくれても、その国の人々まで理解してくれるとは限らない。

「じゃあ、クレマンに嫁げばいい」

 突然、お兄さまがとんでもない提案を投げ込んできた。

「な、何を言ってるの、お兄さま……!」

「芸術に理解があって、フロランスの夢を叶えてくれようとする相手がいいんだろう? なら、ぴったりじゃないか」

「ユベール、冗談言うなよ。こんな面倒な女、誰が――」

 言いかけて、クレマンは口をつぐんでしまう。そんな彼を見つめながら、お兄さまはにやりと笑う。

「だったら、二人で動くべきではなかったね。ムーレではもう、フロランスがクレマンと結婚するのだと噂になっているよ」

「ええっ! 知らないわよ、そんな話」

「ちなみに、この間ニンフェアに行ったときは、フロランスはいつ嫁いでくるのかって何度も聞かれたかな」

 大誤算だった。私たちは幼馴染で、お互い兄妹のようなつもりで接している。けれども、よくよく考えれば、未婚の男女がお互いの国を何度も行き来して行動を共にすれば、そうした噂が立って当然だ。軽率だった……。

「それ、すごく問題じゃない?」

「フロランスに来る縁談が、父上の予想よりもかなり少ないくらいには影響が出ているね」

 複雑な気分だ。縁談の選択肢が少なくなれば、おのずと私にとって良い夫に出会える可能性も低くなる。

「だから、クレマンが責任取るしかないって僕は思うんだけど」

 お兄さまは圧の強い笑顔で彼に訴える。

「お、俺は……別に、そういうつもりじゃ……。それに、ニンフェアとばかり関係が深くなるのは、ムーレとしては良くないだろう?」

「そんなこと言って、今の状態だともう手遅れじゃないかな」

 クレマンは視線を彷徨わせた。さすがに少しは罪悪感を持ってくれているのかもしれない。

「ねえ、クレマン。あなたは芸術面の人脈を持っているでしょう? 芸術に理解のある王族で、良い人知らない? あなたの紹介が一番確実な気がするの」

 その瞬間、お兄さまが低く呻いた。

「お兄さま、どうしたの?」

「なんでもない……。フロランス、縁談に関して、君は口を挟まないほうがいい気がする」

「まあ、最終的には、父さまやお兄さまが決めることだものね」

 お兄さまは唇で曲線を描きながら、クレマンへ視線を向ける。

「クレマン、今ならうちの父に口添えできるけど、どうする?」

「馬鹿なこと言うな。他国の王子が口を挟む問題ではないだろ。それよりも、妙な噂のもみ消しに動いてくれ」

 彼は不機嫌そうに腕を組んで、押し黙ってしまう。

「まったく……世話がかかるな」

 お兄さまは肩をすくめた。


「ねえ、クレマン。なんか急に機嫌悪くなったわよね。どうしたの?」

 夕刻になって書庫を出ると、クレマンはムスッとした顔をしながら早足で歩く。

「別に」

「何よ、それ」

 十七歳にもなって、その態度はどうなの? でも、この数年間、あれこれ世話になっているから強く出られない……。

「ごめんね、クレマン。うちの妹がこんなので」

 お兄さまは微笑みながら、さっさと自室へと戻っていった。こんなの、って。

 もう、お兄さまが変なことを言い出したのが、そもそもの原因では? あれからクレマンは急に拗ねた態度になってしまった。

「そういえば……クレマンもそろそろ結婚相手を決めなくてはならないわよね。候補はいるの?」

「少なくとも、お前よりは困っていない。お前は自分のことだけ心配していろ」

 クレマンは少し口が悪いけど、なんだかんだ言って自分の身内と認定した相手に対しては面倒見がいい。きっと政略結婚でも妻を大事にするだろう。

 お互い結婚すれば、今のように二人で精力的な行動はできなくなる。それは少し寂しいけれど……仕方ないことだ。

 お兄さまの婚約者は朗らかな人柄で、すぐに親しくなれた。同じように、彼の妻となる人とも仲良くなれたらいいな。私の夫も、お兄さまやクレマンと気が合う人なら嬉しい。

 三人で乗馬したり私の計画について話し合ったりはできなくなっても、新しい関係が生まれるはずだ。それが、大人になるということだと思う。

「お互い、いつまでも子どものままではいられないわよね」

「お前は子ども時代が二回あったようなものだけどな」

「何よ、それ」

「前世を思い出す前と、その後」

 今度は私がむっとする番だ。前世を思い出してから、むしろ大人っぽくなったはずなのに、もう。

 いまだに、お兄さまにさえ記憶のことは話していない。相変わらず二人だけの秘密だ。

「……ねえ、将来の夫に、私が前世の記憶を持っているって打ち明けても大丈夫だと思う?」

「はあ?」

 クレマンは一段と低い声になる。

「……やめておけ。最悪、破談になるぞ」

「わかってるわよ。言ってみただけ」

 前世の記憶を持つ人が見つからないから当然かもしれないけれど、長い付き合いのクレマンにすら転生や前世という概念を理解してもらうのに時間がかかった。これから出会う人に期待するほうが間違いだろう。

「結婚したら、ずっと隠したまま生きていかなくてはならないなんて、とっくにわかっていたことだもの」

 たまたまクレマンという理解者を得たものの、あの一件がなかったらずっと自分の心に留める秘密だった。本来の形に戻るだけなのに、どうしてなのか切なく感じてしまう。

 クレマンに理解してもらえたのって、実は幸運だったのでは? そんなことを思っていたら――。

「お前は隠しごとが下手だから、いつか知られてしまうかもな」

 ほら、またそんなことを言うから素直に感謝できない。私は代わりに、つんと顔を背けた。

「大丈夫、うまくやるわ」

「全然想像できないんだが」

 そこで突然クレマンは立ち止まり、私の目をじっと見つめる。

「嫁いだ先で美術館を作ろうとは思わないのか?」

「クレマンだってわかっているでしょ。自分の国ですら、なかなか話を通すのが難しいのよ。嫁ぎ先の国なら、もっと大変に決まってるじゃない」

「野望は捨てるのか? まだ美術館どころか博物館も建てていないのに?」

「お兄さまが引き継いでくれるって約束してくれたもの。それで満足しなくてはならないわ」

 私は胸に溜まった重い空気を吐き出す。

「ムーレの王族としての務めを果たせないのであれば、それこそ私はフロランスではなくなってしまう」

 クレマンは口を開きかけるけれど、すぐに閉じてしまった。

 言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに。

「あなたの協力だって、最初からそういう話だったじゃない。結婚で区切りをつけて、その後はきちんとフロランスとしての人生を歩むつもりよ」

 あと数年したら、前世の私の年齢を追い越してしまう。きっと、フロランスとしての人生はずっと長いものになるはずだ。

「ぎりぎりまで……最後までやれることはやるわ。大切なものを放り出したりはしない」

 斜陽の光が二人の間に差し込み、ふと一緒にレペテの花畑へ行ったことを思い出す。同じような夕暮れのはずなのに、その輝きはまったく違って見えた。

 時は、確実に流れているのだ。

「クレマン、私、本当に感謝しているのよ。私の前世の話を信じてくれて、夢のために協力してくれて……あなたにも幸せになってほしいと心から願っているわ」

「そうか」

 クレマンはそれ以上何も言わず、踵を返して自分の滞在する部屋へ戻っていった。

 そして翌日、気まずい空気を解消できないまま、彼は帰国の途についた。

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