ままならぬ時のフィギュラティフ

 クレマンは、魔獣・ベテルニエの狩り場にも連れて行ってくれた。鬱蒼とした森で、うちの城周辺とはだいぶ景色が異なる。馬を走らせにくい。

「馬具についた石が光ったら、やつらが近くにいる証拠だ。気をつけろよ」

 ベテルニエは、ニンフェアでは旅人を襲う害獣として扱われている。そこで、狩った人には国が報奨金を与える制度を設けているらしい。人々が安心して往来できるし、絵の支持体となる革も手に入るので一石二鳥だ。

「狩りつくすことはないの?」

「やつらは繁殖力が高いから、その心配は今のところない。ベテルニエの革を大量に入手できるのも、うちの国が芸術面で発達した理由のひとつだろうな」

 ムーレでは凶暴な魔獣が少ないため、興味深い話だった。ただ、クレマンにとって、幼いうちから気ままに馬を駆れるムーレの環境は羨ましいらしい。

「毎回、お前やユベールと森や平原に出るのが楽しみだったんだ」

 だから私が本の虫になったときに不満そうだったのか、と腑に落ちる。

「私だってクレマンが羨ましいわよ。今回はどこに行っても楽しくて……こういうところで暮らせたら幸せよね」

 ニンフェアとの外交は、王太子同士の付き合いがあるお兄さまの担当だ。私は小さいころに来たきりだったから、今回の芸術を学ぶ旅は何もかも新鮮だ。十二歳になった今の私だからこそ気づけることがたくさんある。

「だったら――」

 クレマンはぼそりと何かを呟いた気がしたけれど、木々のざわめきで聞こえなかった。

「何か言った?」

「別に。楽しいのは当たり前だろ。お前の興味に合わせて、俺が予定を組んでやってるんだから」

 恩着せがましい言い方をしてくるところが彼らしい。でも、私の単独訪問は異例だから、彼が気を配ってくれているのは事実だ。

「ありがとうね、クレマン。ムーレに美術館を建てたら、名誉研究員に任命してあげる」

「お、おう……」

 私としては最高のお礼のつもりなのに、なんだか反応が微妙だった。

「さすがに館長の座はあげられないもの」

「それより、フロランス! 手元見ろ、光ってる!」

 言われて視線を下げると、馬具のあちこちにつけられた探知魔法の石が鈍く光っている。ということは――。

「ベテルニエ?」

 次の瞬間、耳をつんざくほどの鳴き声が響いた。木々の向こうにうごめく影が見え、どんどん近づいてくる。

 曲がりくねった赤い角、濁った瞳、泥色の体毛、太い四肢。馬を一飲みできそうな大きな口に、細い歯が並んでいる。

「フロランス、俺の後ろへ」

 クレマンも周囲の護衛も、身にまとう空気が引き締まる。けれども、恐怖に慄く人は誰もいない。

「お前のために待ち伏せていたんだ。ちゃんと見てろよ」

 クレマンは短剣を抜くと、魔力を込める。そしてまだ距離があるのに、素早くそれをベテルニエの額に向けて投げつけた。

 ベテルニエは短い悲鳴をあげると、すぐに倒れた。その衝撃で、地面がかすかに揺れる。

「さすが殿下、お見事です」

 従者の朗らかな声にも、クレマンは鼻を鳴らすだけだった。

「いつも、クレマンに魔獣狩りで勝てない理由がよくわかったわ……」

 彼がムーレへやったきたときは、一緒に魔獣狩りに出ることがある。下手くそってよく馬鹿にされたけど、こんな魔獣をあっさり倒してしまうなら当然だ。人の命を奪う獰猛さを感じる暇もなかった。

「ムーレはお可愛らしい魔獣しかいないもんな」

 あ、ちょっと得意げになっている。

「わ、私だってやろうと思えば、同じように――」

「無理だ。コツがいる」

 即座に却下されてしまう。この二年は、真面目に魔力の扱い方も学んできたのにな。

 けれども、他国の王族に何かあったら、ニンフェアの責任になってしまう。私はぐっと我慢する。

「そんなにむくれるなよ、次はユベールには案内しないようなところに連れて行ってやるから」

 クレマンは私の頭に手を置くと、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてきた。

「ちょっと、髪型が崩れるじゃない!」

「はっ、あんまり変わらないだろ」

 笑うクレマンの横で、控えていた人々がベテルニエに駆け寄り、あっという間に解体していく。角や歯、臓器も活用方法があるらしい。

 あの大きさの革だと、キャンバスでいえば最大何号までとれるのだろう。

 頭の中で計算しながら眺めていると、クレマンの手で視界を塞がれる。

「あまり見るものじゃない。あとは任せて、移動するぞ」

 手を離すと同時に、彼はさっさと森の入口へと向かってしまう。私は慌てて手綱を取り、彼に続いた。

「ねえ、ベテルニエの標本は入手できるかしら」

 解体作業を見ていたら、自然系の博物館も欲しくなってきた。ムーレには生息していない魔獣を展示したら、きっと国民の役に立つと思う。貴重なものを展示する博物館や美術館よりも、案外理解を得られやすいかもしれない。ムーレは自然いっぱいの国だし。

「は? なんでわざわざ標本に? ベテルニエだぞ?」

 クレマンだけでなく、周囲の人々までぽかんとしている。またひとつ、実現が難しい夢が増えてしまった気がした。


 クレマンが連れて行ってくれたのは、レピエの花畑だった。

「本当に色とりどりなのね!」

 咲くたびに花弁の色を変えるレペテは、あえて言えばシャクヤクに似ている。それが広大な土地を埋め尽くすように咲いている。

「こんなに綺麗なところなのに、お兄さまは来ないの? もったいないわね」

「あいつ、花には興味ないだろ。お前なら……喜んでくれると思った」

「うん、すごく素敵! 気に入ったわ!」

 植えた年ごとに管理している畑もあるそうだけど、彼があえて連れて来てくれたのはごちゃまぜに植わっている場所だった。画家のパレットみたいで心が浮き立つ。

「確か、一年目の花が赤なのよね?」

 仕入れてきた知識を口にすると、クレマンは苦笑しながら頷く。

「ああ。これが二年目、その手前が三年目の色で――」

 七年目は紫。ただでさえレピエの栽培は難しく、ここまで育てるのは時間も手間もかかる。そのうえ、魔法でも出せない色なので、紫の花はとても貴重だという。そのため、この紫で染めた衣装は王族にしか許されていないそうだ。

「ちなみに、時間を進める魔法をかけたらどうなるの?」

「……やってみろ」

 彼がそう言うなら、きっと何かあるんだろうな。

 私は赤い花に手をかざして、時間に干渉しながら少しずつ魔力を注いでみた。すると――。

「えっ?」

 花弁に透明感が生まれると同時に、硬い質感になっていく。ガラスみたいだ。

 瞬きすら忘れてしまいそうになっていると、クレマンはくすくす笑う。

「こいつらはひねくれ者だから、時間魔法をかけようとすると反発を起こすんだ。こうなるともう、来年別の色の花を咲かせることはない」

「じゃあ、顔料や染料になるはずだったものを台無しにしちゃったってこと?」

 慌てる私がよほどおかしいのか、彼は肩を揺らす。

「いや、これはこれで工芸品の材料になるし、ニンフェアでは髪飾りとしてよく使う」

「なら、よかったわ」

 生花も綺麗だけど、これはこれで素敵な気がする。ほんの少し、ガレやラリック気分を味わえたということにしよう。

 クレマンは硬質化した花を摘むと、私の髪に挿した。

「お前がやったことだから、お前が責任持って引き取れよ」

「はーい」

 いや、待って。何も知らずにただ疑問を口にして、説明もなく「やってみろ」と言われて、そのとおりにしただけなのに、責任とは……?


 レピエの花畑はいくら時間が経っても見飽きることがなかった。気づけば日が傾き、陽光が眩しく差し込むようになった。

「今日もあっという間だったわね」

 ニンフェアに来ると、時間の進みが早い気がする。クレマンが教えてくれること、ひとつひとつが、とても新鮮だった。

 ムーレでも、宮廷画家や出入りの画商からあれこれ尋ねてみたけど、私が物知らずなせいか、話があまり発展しなかった。

 多分、昔は勉強嫌いで、教師の授業を聞き流していたのが原因かもしれない。魔法全般に関する知識が乏しかったところに、魔法が存在しない世界での記憶が入ってしまったものだから、少しちぐはぐな状態なのだろう。

 きちんとしたインプットができていないと、たいした質問ができないと痛感する。

 私の事情をよく知っているせいか、クレマンの説明はとてもわかりやすかった。そんなことも知らなかったのか、と以前のように呆れたり馬鹿にしたりせず、真摯に向き合ってくれた。

「毎日、とても勉強になっているわ。ありがとうね、クレマン」

「……」

 クレマンはなぜか気まずそうに目を逸らす。

「クレマン?」

「その、あのときは……ごめんな。お前のところの祝宴で、魔獣呼ばわりして」

「今さら? 別にいいわよ」

 あの瞬間は怒りやら悲しみやらで取り乱してしまったものの、こうしてクレマンの協力を得られた今となっては、悪くない思い出になりつつある。

 彼は相変わらずこっちを見てくれないまま、ぼそぼそと口を開く。

「最近、真面目になった今のお前にも、それなりに可愛げを感じるようになった」

「妹分として?」

「……そう、妹分として」

「なら、充分よ。元には戻れないかもしれないけど、新しい身内が増えたと思って、これからも仲良くしてね」

 こくりとクレマンは頷いた。よほど決まりが悪かったのか、まだ視線が泳いでいる。まあ、精神的に大人なのは私のほうなので、流してあげることにした。


「ああ、ずっとこのままでいられたらなあ」

「なんだよ、急に」

「ほら、うちの国の王女は十八歳までに婚約者を決めて嫁がなければならないでしょう? そうしたらきっとこんなことはできなくなるわ」

 ムーレの王女は原則、外国の王族か、それに準ずる身分の男性に嫁ぐのが慣習となっている。

 ニンフェアも含めた近隣諸国には、もう数代以内に嫁いだ例がある。クレマンも、高祖母にあたる人がムーレの王女だ。

 そこで、お父さまとお兄さまは、遠距離で普段なかなか交流できない国へ私を嫁がせようと考えていた。

「意外だな。そっちの陛下もユベールも、お前が近くにいてくれたほうが嬉しいだろうに」

「まあ、あまり特定の国との関係ばかり深めてもね。ニンフェアは隣国で、あなたとお兄さまの年齢が近いから特別なのよ?」

 二人が仲良くしているからこそ、私がニンフェアへ嫁ぐ可能性はないだろう。

「お父さまは、距離よりも私を幸せにしてくれる相手を重視してくれているわ」

「お前はそれでいいのか」

「もちろん。それでね、クレマン」

 改めて、私はクレマンに向き直る。

「あなた、私がフロランスとして生きていけるように協力してくれるって言ってくれたでしょ。博物館設立は、その区切りになると思う。美術館もつくりたいけど、ひとまず博物館を先に建てて、誰かと結婚して……それからはちゃんとフロランスとしての人生を大切するわ」

 だから今は、博物館設立に全力を注ぎたい。そう決意している。

「……なら、かなり急がないといけないな。お前が今十二歳ってことは、たった六年しか猶予がないってことだろ?」

 クレマンは真剣な声色になる。

「もうすぐ十三歳になるから、ほぼ五年ね。本当に時間がないの。だから、頼りにしてるわよ?」

 彼は渋い表情を作りつつも、頷いてくれた。

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