二人のアサンブラージュ
翌日、私はクレマンを書庫に呼び出して、前世の記憶について打ち明けることにした。
「……嘘だろ? そんなことがありえるのか?」
フロランスとしては同意するし、元・日本人としては「魔法を使う人に言われてもな」と思ってしまう。
こちらの世界は魔法や魔獣は存在しているのに、相変わらず前世の記憶を持っている人の話は聞かない。そのおかげで、クレマンに理解してもらうまで、かなりの時間を要した。
「まだ、他の人には黙ってて。お兄さまにも。二人だけの秘密よ?」
「あ、ああ……」
気力のない返事だ。彼のことだから、お兄さまの前では気が緩んで口を滑らせてしまうかもしれない。
「絶対よ?」
念を押すと、クレマンは複雑そうに頷く。これはもう巻き込まれ事故だと思って、諦めてほしい。
私はというと、ずっと一人で抱えていた秘密を打ち明けたせいか、一気に心が軽くなった。話を聞いてくれる相手に飢えていたのかもしれない。乞われてもいないのに、クレマンにいろいろと説明してしまう。
「向こうはね、魔法は存在しなかったけど、高度な文明があったのよ。魔力がなくても便利に暮らせていたんだから!」
私が簡単な絵を交えて語ったところ、クレマンは眉間のしわを深くする。
「お前の絵……とんでもなく下手だな」
……前世も今世も、鑑賞専門だから仕方ない。それに、私が学んでいたのは、実践的な美術ではなく学問としての美術だ。
「よく、目が肥えている俺にそんなもの見せようと思ったな。その無謀さ、魔獣よりもよほど恐ろしいぞ。うちの国に来たときは、絶対絵を描くなよ。ムーレの国益を損ねる」
「そこまで言わなくてもいいじゃない……」
怒りで声が震えてしまう。目が肥えているって、自分で言う? 確かにニンフェアの水準の高さは認めるけど。
「とにかく私は博物館――特に美術館を作りたいの! それで、たくさんの国民に楽しんでもらいたい。特に小さい子には、早い段階でいろいろな芸術に触れて、豊かな感性を持ってほしいの。身分に関係なく、教育は必要ではないかしら?」
頑張って主張してみるものの、クレマンの表情は渋くなる一方だった。
「ムーレの国民は、それを望んでいるのか? うちもそうだが、子どもが重要な労働力になっている家庭はたくさんあるだろう?」
「う……」
クレマンの言うように、親の職業によっては働き手を欠くのは大きな痛手となる。元の世界でも、そうした話はあった。
「特に魔力持ちの子は、幼いときから一家の暮らしを支えているのに、わざわざ彼らの労働時間を奪って教育に充てるのか?」
一般的には、王族や高位の貴族は魔力が高い。けれども時々、同じくらい高い魔力を持った子どもが普通の家庭に生まれることがある。庶民にとって彼らの存在はありがたく、仕事とお金には困らないという。
「お前は、博物館というものを作りたいって思いが先行しすぎている。それに民を付き合わせるのは、傲慢すぎないか?」
薄々自覚していたことだけど、正面から指摘されると耳が痛かった。
「……あなたの言うとおりよ」
なるべく前向きに考えるようにしていたものの、心の隅に追いやっていた小さな迷いが、次々に浮上していく。
この際、クレマンには話してみてもいいかもしれない。
「あと、今のところ教育ってほとんど貴族の特権よね。全国民に高度な教育を施せば、国全体の力は上がると思うけれど、貴族からは当然反発が出るだろうし……その対策も悩ましいの」
知識を得た民が、王侯貴族の居場所を奪うかもしれない。実際、前世の歴史の授業でそういったことも学んだ。
一般市民でもきちんとした教育が受けられるなんて素晴らしい。前世の私がそう思っていたのはきっと、自分が確立された教育制度のなかで育った庶民だからだ。
王族になった今は、少しでも加減を間違えれば我が身が危ない。元の世界の歴史から対策を講じようとしても、この世界で通用するとは限らない。
この二年間、美術館を設立したい一心で努力したものの、その熱意を取り除けば困難ばかりが見えてくる。
それでも、私は――。
「わかっているのよ、違う世界の価値観や制度をいきなり投入したら混乱が起きるって。前世の私にとっての幸せが、この世界の人々の幸せとは限らない。でも、国民みんなの選択肢を増やすのは悪くないと思わない? いろいろな可能性を持ってほしいのよ」
もしかしたら、本来は縁がなかったような美術品を鑑賞して、埋もれていた才能が花開く人がいるかもしれない。そうして、一人でも誰かが幸せになったら嬉しい。
教育を義務とするのは難しくても、望む人が進んでいけるような道筋があれば、巡りに巡ってムーレの利益になるのではないか。
屁理屈、と言われるのは覚悟していた。けれども、クレマンはじっと話を聞いてくれて、最後に天井を仰いだ。
「そんな顔……止めてくれ」
「え?」
私、どんな顔していたのだろう。
「能天気じゃないフロランスは、なんか気持ち悪い」
「勝手に押しつけないでよ。これが今の私なんだから」
言い返してやると、彼は力なく笑った。
「……そうか。まあ、俺にとってはやはり別人だが、それを抜きにすれば今のお前のことは興味深く思っている」
「それはどうも」
「だから、力になってやるよ」
彼の言葉に、私は思わず身を乗り出した。
「いいの?」
「その前世の記憶とやらは珍しいし、どこかで役に立つ可能性は残っている。その情報料として、お前の野望を現実的な形に整える手伝いくらいはしてやる。ただし、芸術関係だけだぞ」
「クレマン……!」
前日の冷たい刃のような面影はどこにもない。いつもの彼だ。
「でも、今のお前は前世とやらにかなり引きずられている。その気持ちに一区切りつけるため……フロランスがフロランスとして生きていけるように、協力するんだからな」
私がフロランスとして生きていけるように――その言葉に、彼なりの思いやりを感じる。
「ええ、充分よ。ありがとう!」
衝動的に握手したところで、お兄さまがやってくる。
「あれ、二人ともここにいたんだ? どうも姿が見えないと思ったら」
お兄さまの視線は、私たちの手に注がれている。私はすぐにクレマンから離れて、顔を背けたのだった。
一度味方についたクレマンは、予想以上に頼もしかった。数ヶ月後には私をニンフェアに招待して、いろいろな人々に引き合わせてくれたし、いろいろな場所に連れて行ってくれた。
その過程で、好みの絵をいくつか購入できたのが嬉しい。念願のマイコレクション……! 台帳と作品カード作ろうっと。
ニンフェアでは、低い身分で魔力が少なくても、芸術の道が閉ざされることはない。成り上がりたい庶民は、まず芸術家を目指すらしい。
「とはいえ、最近はうちでもいろいろ課題は抱えているんだ」
十年ほど前、ある発明家によって、その瞬間の風景や人物の姿を簡単に記録できる魔法が開発された。それによって、肖像画の需要が減ってしまい、写実的な絵を得意としている芸術家たちが行き場を失いかけているそうだ。
これは、前世の美術史で学んだ、写真が登場したときの流れに似ている。写真と絵画の関係については、それだけでいくつも論文が書けるようなテーマだ。
「前の世界では、写真――記録魔法では表現できない、絵の特性を生かした作品が発展していったけれど……」
印象派、好きだったなあ。
「ああ、そういう流れは起こるだろうな。かといって、全ての肖像画家が時代の変化に対応できるわけではないだろう?」
クレマンとしては、まず肖像画家たちの保護を考えたいらしい。私は意識を切り替えて、必死に思考する。
「記録魔法が普及しきったら、むしろそれを使わずに描いた写実的な絵が再評価されると思うけど、時間がかかるわよね」
「記録魔法を使えるのも、まだ王侯貴族や裕福な者だからな。ただ、肖像画はまさにそういう層に求められていたものだ」
「そうなると、新しい層に需要を生み出すとか? 普及に時間がかかるなら、写実的な絵は欲しいけど記録魔法には手が出せない人々へ働きかけてみるのはどうかしら」
前世で歴史として学んだときはさほど気に留めていなかったことも、いざ自分に関わる問題として直面するととても手強い。
クレマンの力になりたくても、なかなかいい提案ができていない気がする。世話になりっぱなしで、なんだか居心地が悪い。彼とはもっと対等な関係になりたいのに。
そういえば、印象派でもうひとつ欠かせない話題といえば、チューブ入り絵の具の登場。そのおかげで、戸外の制作がしやすくなったのだ。
うちの宮廷画家たちは使っていなかったけれど、ニンフェアはどうだろうか。口を開きかけたところで、わざわざチューブの絵の具を持たなくても、魔法で解決可能だと気づく。
いけない、美術のことになると、たまに日本人的な思考になってしまう。
印象派といえば、ジャポニスムの影響についても言及したいところだけど、これも聞かないでおこう。
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