誤算続きのエスキース

 前世の記憶を取り戻してから二年。十二歳になった私は、かなり博識になったと自負している。

 思い出した知識と王女の身分を活用して博物館と美術館を設立する――そんな夢を変わらず抱きつづけているものの、現時点でいろいろな問題に直面していた。

 まず、前世ではちょっと自信があった、西洋美術史の知識。なんといっても、ここは異世界だ。ジョットもレオナルドもミケランジェロもフェルメールもモネもゴッホもダリもマグリットも存在しない。時代背景と共に生まれた美術様式も同様。というわけで、ほとんど役に立たない。

 次に素材。ムーレや隣国ニンフェアの文化は一見、近世ヨーロッパに近い。とはいえ、ここは魔法や魔獣が存在する世界で、やはり違いがあった。

 前世の記憶を取り戻してから、私は城にある絵画ひとつひとつをじっくり観察するようになった。そして、その支持体が紙でも布でもなく動物の革だと気づいた。宮廷画家に聞いたところ、ベテルニエという魔獣の革がよく用いられるらしい。

 元の世界に存在していた羊皮紙は、保存性に少々難があった。けれどもベテルニエの革には、一度顔料や染料を定着させると半永久的に保ってくれる魔力が含まれているそうで、まったく傷まないそうだ。今さらだけど、魔力すごすぎない……?

 ちなみに絵の具は、レペテという魔力を帯びた花を煮詰めたものが人気だ。多年草で、毎年異なった色の花を咲かせるらしい。

 発色がいいうえに、少ない魔力でも色味の調整を簡単に行える。しかも、ベテルニエの革との相性が抜群で、描いたときの色をいつまでも保てるという。

 特に、宮廷に出入りするような画家は皆レペテを使っているとのことで、鉱石を砕いて使う人は見かけなかった。

 木材が豊富なムーレでは、彫刻作品に木を使うことが多い。仕上げにしっかり保存魔法をかけるので、劣化も破損も心配しなくていいらしい。

 というわけで、資料保存論の授業で覚えたこともここでは通用しない。素材ごとの湿度条件や照度の数値、必死で覚えたのに……! まあ、ここが地球と同じ気候なのかも怪しいけど。

 そして一番の問題は、一般市民への公開だ。

 博物館の機能と言えば、資料収集・保存、調査研究、展示、教育普及。美術館で来館者対応のボランティアをしていた私にとって、あとのふたつはどうしても諦めきれなかった

 けれども、貴重な財産をわざわざ不特定多数に見せる意義を語るには、文化が違いすぎる。私だって、前世の記憶がなかったら、王家の宝を多くの市民の目に触れさせようなんて絶対思わなかっただろう。ムーレで日本と同じような博物館を運営するには、教育制度をはじめとした社会のしくみを変えるところから始めないといけない。

 必要なことを洗い出しているうちに、一国の王女という身分であっても、この道のりが思いのほか果てしないことを実感してしまった。

 気に入った美術品を集め、身近な人たちと一緒に愛でることならできる。でも、それでは満足できない自分がいて、私は美術品以上に美術館という場所が好きなのだと自覚した。


「うう、悩ましい……」

 広間のバルコニーで庭を眺めながら、一人ため息を吐いていると――。

「せっかくの祝宴なのに、なんでこんな隅で暗い顔してるんだよ」

 突然声をかけられて、はっと顔を上げる。盛装をしたクレマンが立っていた。

 今日はお父さまの即位十周年。その節目を祝いにきてくれたのだ。

 いけない、いけない。思考に集中したくて、つい人目につかないところに来てしまっていた。

 それに、ムーレの王女である私が、来賓の前で変な顔をしていたら失礼だ。一応、彼だって、十三歳ながらニンフェア国王の名代として来ているのだ。

 慌てて澄ました笑みを作る私に、クレマンは呆れ顔だ。

「また変なことでも考えていたんだろ」

「変なことじゃないわ」

「よくわからないけど、野望とやらは実現しそうなのか?」

 まさにそれで悩んでいたところだった私は、つい顔をしかめてしまう。すると、彼はおかしそうに喉を鳴らす。

「お前って本当に顔に出やすいよな」

「うるさいわね。それより、クレマン。明日あたり時間作れない? 今回、あなたが来てくれるのをすごく待ち遠しく思っていたのよ」

 彼は一瞬目を見開くものの、朗らかな顔つきになる。

「お前からの誘いって珍しいな。乗馬か? 魔獣狩りか?」

「ううん、ニンフェアで行われている芸術家への支援について聞きたくて」

 彼の国は、近隣諸国のなかで最も芸術家の保護に熱心だ。芸術の道を志す者はみんなニンフェアを目指すし、王族も貴族も質の高いコレクションを多数抱えていると聞く。ああ、羨ましい。

 特に魔力や魔獣絡みのことは、前世の記憶が役に立たない。ニンフェアで成功している事例があれば参考にできたらと思っていた。

 けれども、私の弾む気持ちとは裏腹に、クレマンの表情が曇っていく。

「クレマン……?」

 幼いころからの付き合いだけど、こんな顔は初めて見る。なんとも言えない不安に襲われ、気づけば身体が微かに震えていた。

「ねえ、どうしたの?」

「どうしたって聞きたいのは俺のほうだ」

 言いながら、クレマンは腰に提げた剣に手をかける。まさかの行為に、私は飛び上がりかけた。

「な、なんなの?」

「お前、誰だ?」

「は?」

 ぽかんと口を開けた私は、きっと間抜けな顔をしていたことだろう。けれども、いつもならからかってくるはずの彼の視線は鋭いままだった。

「俺の知るフロランスは、甘えてばかりで怠惰で、勉強よりも外に出て遊ぶほうが好きなやつだった。本当に王女らしくなくて、どうしようもないやつだって思ってたけど……」

 あの、私、酷い言われようじゃない?

「それでも、俺なりに可愛い妹分だったんだ。お前、フロランスをどこにやったんだよ。化けるならもっとうまくやれ。魔力だけ真似ても意味ないぞ」

「何言ってるの、私は――」

「ずっと変だと思ってたんだ。急に小難しい本を読み始めたり、変な言い回しを口にしたり」

 私は驚きと戸惑いで、ろくに声も出せない。

 この二年、前世の記憶を生かそうと頑張ってきたのに、その間クレマンはずっと私のことを怪しんでいたの? 事実を受け止めきれず、目眩がしそうだ。

「魔獣の類か? 本物のフロランスはどうした?」

 かちゃり、と彼の剣が音を立てる。魔力は抑えているものの、今にも切りかかってきそうな気迫だ。

 魔獣とか化けているとか、もはや滑稽なくらいクレマンは盛大な勘違いをしている。それなのに、私は呼吸さえままならないほど動揺してしまう。

「ほ、本物の私って……」

 視界がにじむ。意思とは関係なく、涙が溢れてしまった。

 クレマンは少しだけ動揺するけれど、警戒は緩めない。厳しい表情のままだ。

 ふと、幼い私が泣いてしまったとき、いつも彼はぶつぶつ言いながらも頭を撫でてくれたことを思い出して、余計に悲しくなる。

「私……そんなに変わった?」

「見た目以外はほぼ別人だ」

 クレマンは、聞いたことないような低い声で断言した。

 前世の記憶を取り戻してから、自分の心境が変わったのは事実だ。でも、好きなものと知っていることが増えただけで、他はフロランスのままのつもりだった。

 彼の困惑には気づいていたけれど、まさかこんな行動を取られるなんて。

 家族と同じように、なんだかんだ言って彼はいつも私の味方でいてくれる――そう思い込んでいたことを、この瞬間になってやっと自覚した。ここまで冷ややかな敵意を向けられるなんて考えもしていなかった。

 

「そ、そこまで言わなくてもいいじゃない……。何よ、勝手に魔獣呼ばわりして……。クレマンの間抜け、粗忽者、大馬鹿、勘違い男」

 ああ、泣きたくない。私だってもう十二歳だし、二十年以上生きていた記憶だって持っているのに。けれども、全然涙は止まってくれない。止める魔法があればいいのに、そういうものに限って存在しなかったりする。

 少し勉強熱心になったくらいで、クレマンはどうしてそんな勘違いをするのだろう。私は変わらずに彼と接していたつもりだ。感情がぐちゃぐちゃになる。

 だいたい、何が「どうしようもないやつ」で「可愛い妹分」なのか。クレマンだって、結構うかつなところがあって、私が世話を焼いてあげることもちょくちょくあったのに。

「いつだったか、あなたが森で大事なお守りを失くしたとき、一緒に探してやったじゃない。お兄さまの作った落とし穴にはまって、服が破けたときは私が繕ってあげたのに。恩知らず」

 悲しみを通り越して、だんだん怒りが湧いてきた。

「……」

 クレマンは少し気まずそうに目を泳がせる。

 前世の記憶を取り戻したら、それまでの私は全部なかったことになるの? 小さいころの思い出も消えてしまうの?

 そんなことはない。二人でお守りを見つけたときに思わず手を取り合った喜びも、上手に彼の服を修繕できた誇らしさも、その他の思い出に宿った感情も、全部この胸の中にある。

 どうしようもないのはどっち?

「……そうやって泣いてるところは、昔のフロランスっぽい」

「泣かせてるのは誰よ」

「ごめん」

 ああ、こうしていると思い出す。五歳くらいだったころ、クレマンのくだらない悪戯に巻き込まれて泣いたときも、彼はこんなふうに決まり悪そうに謝ってきた。

「あなたって、いつもそう。少しでも自分が悪いと思ったら、急に威勢がなくなるの。器が小さいわ」

「……悪かった」

 ぼそりと彼はつぶやいて、ようやく剣から指を放した。

「謝るけど、完全にお前への疑いがなくなったわけじゃない。明日、詳しく話を聞かせろ」

 どこまでも偉そうな口調だけど、クレマンはハンカチを取り出して私の涙を拭いてくれる。

「わかったわ。その代わり、落とし前つけてもらうから!」

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