【完結】転生王女の美術館設立計画

仁志日和(にしひより)

いつか見たコンポジション

 城のずっと奥にある宝物庫。その扉が開いた瞬間、大嵐に飛び込んだような気分になった。

 遠い国の綺麗な工芸品、大きな石をいくつも繋げた宝飾品、ほとんど壁みたいな神話画、どうやって作ったのかわからないほど細かな彫刻、七色に光る獣の皮。

 そのすごさにびっくりしていると、自分の奥に眠っていた変な記憶が急に暴れ出した。まるで、魔力がうまく抑えつけられないときみたいに。

 そして、目の前が真っ白になる。

「ひ、姫さま……!」

 慌てた侍女たちの声が遠く聞こえた。

 そうだ、私はムーレ王国の王女、フロランス。でも、生まれる前は――。

 そこで私の意識は完全になくなった。


 事の発端は、お父さまの「フロランスの十歳の誕生祝いは、王家の宝物庫の中から選ぼうか」という思いつきだった。

 それまで縁がなかった宝物庫に入った瞬間、私は妙な既視感に襲われた。そして、その光景が遠い昔訪れた博物館の風景に少し重なるのだと思った瞬間、急激に前世の記憶が頭に流れ込んできた。

 この国で生を受ける前、私は別の世界で一般人として暮らしていた。ごくごく平凡な過程で育った、日本の大学生。美術史を学んでいて、学芸員になるのが夢だった。

 四年生になったら博物館実習に行って、卒業後は大学院に進んで、ゆくゆくはどこかの美術館に採用されて……そんな未来を思い描いていた。三年生のとき、事故に遭って潰えたけど。

 ようやく十歳となる身に、異世界で約二十年生きていた記憶は少し重かったらしい。衝撃のあまり、私は三日ほど高熱を出してうなされた。

「ああ、フロランス。ようやく目覚めてくれたのね」

 ようやく苦しさが和らいで目を開けたとき、目の下にくまを作ったお母さまがこちらを覗き込んでいた。その傍らには二歳上のユベールお兄さまが、声もあげずに泣いている。

 しばらくすると、慌ただしい足音が聞こえてきて、重そうな装束を身につけたお父さまが侍従たちとともに駆け込んできた。私が目覚めたことを知って、議会を早めに切り上げたらしい。

 家族はもちろん、侍女や護衛の皆も、よかったと喜び合ってくれた。そこで私は、自分がとても愛されていることを実感した。

「みんな、ありがとう」

 そう言うと、お母さまが潤んだ目を拭いながら首を横に振った。

「お礼を言うのは私たちよ。フロランス、戻ってきてくれてありがとう」

 ぎゅっと抱きしめられる。とても優しくて幸せな温もりに、私も泣きそうになった。


 その後、前世の記憶は少しずつ、このフロランスの中に馴染んでいった。

 前世の両親や友人の顔を思い浮かべると、切なくなる。悲しませてしまったかな、私が死んでから皆どんなふうに過ごしたのかな。気になることはたくさんあった。

 けれども、もう知る術はない。やり直すこともできない。終わった人生なのだから区切りをつけない――そう自分に言い聞かせて、前向きに生きようと誓った。

 科学技術が発達していた元の世界に対して、ここは魔法や魔獣が一般的な世界だ。

 これまではなんとも思っていなかったことも、「そういえば日本人の目から見れば不思議だな」と新しい視点で見られるようになったのは得かもしれない。

 ひとつ困ったことをあげるとすれば、語彙力だ。日本語ではすぐ言い表せることが、こちらの言葉ではなかなか表現できない。

 まだ十歳の子どもであるうえに、私――フロランスはそもそも勉強よりも外で遊んでいるほうが好きだった。お兄さまたちと一緒に外で馬を駆ってばかりで、よく教師を嘆かせていたし、読書の習慣もあまりなかった。

 ただ、日本語の語彙力だけ豊富なのは、かなり気持ちが悪い状態なのだ。それを解消するために、とにかくいろいろな本を読んで、知識を得ることにした。

 前世の私はむしろ勉強が好きなほうだったと思う。一度その感覚を取り戻すと、学ぶことは苦にならなくなり、乗馬とは違った面白さを見出すようになった。

 この国の言語が、フランス語に近いことも幸いしたかもしれない。第二外国語に選んでおいてよかった!

 両親も教師陣も、そんな私の変化に驚きつつも喜んでくれた。ただし、お兄さまとその友達――隣国ニンフェアの王子クレマンだけは少し違った。


「フロランス、お前ここにいたのか」

 いつものように城の書庫で読書をしていると、お兄さまとクレマンがやってきた。

 年齢が近く、王太子という共通点を持った二人は、定期的にお互いの国を訪問し合っている。今回はクレマンが、うちの城に数日滞在する番だった。

「話には聞いてたけど、お前本当に読書するようになったんだな……」

 彼は気持ち悪そうな目で見てくる。彼が失礼なのは昔からとはいえ、ついむっとしてしまう。

「何よ、私だって本くらい読むわよ」

「いつも教師から逃げ回ってたくせに」

 うっ、と私は口ごもる。確かに、以前はそうだったから反論できない。

「ユベールの言うとおり、熱で頭がおかしくなったんじゃないか?」

「ええっ? お兄さま、そんなひどいこと仰ってたの?」

 私が目覚めたときは号泣してくれたのに。

「ク、クレマン! 別にそこまでは言ってないよ。少し変わったなって思っただけで」

 お兄さまは慌てて弁明を始めるが、クレマンはしれっとしている。

「おかしくなったわけじゃないわ。ただ、気づいたのよ。私にはいろいろな分野の勉強が必要だってね」

「なんで?」

「そ、それは……」

 いくらここが魔法の世界といっても、前世の記憶を持っているのが普通かどうか、まだわからなかった。今まで聞いたことないし、そういう人がいないか調べても資料がない。だから、まだ周りには言えないでいる。

 もじもじする私の手元にあったメモを、クレマンはさっと取り上げる。

「あっ、ちょっと、勝手に見ないでよ!」

「ムーレ周辺の美術史の整理、画材の調査、美術品に使われる保存魔法の確認、魔獣の有益な活用方法、市民の魔力量、市民教育の現状、教育制度の改革、鑑賞文化の普及……なんだこれ」

 別に変なことは書いていなくても、読み上げられるとなんだか恥ずかしい。

「うるさいわね。クレマンには関係ないでしょ?」

 顔が熱くなるのを感じながら、クレマンからメモを取り返す。

「それが、必要な勉強? お前、何やりたいの?」

 そう聞かれて、一瞬言葉に詰まる。

 実は、記憶を取り戻した私は、ある野望を抱えていた。

 ここは、前世とは異なる世界。今はフロランスとして楽しく生きようと思っているものの、ひとつ心残りがある。それは、美術館で働けなかったことだ。

 前世の私は、子どものころから博物館――とりわけ美術館が大好きで、絶対学芸員になってやると意気込んでいた。

 学芸員の就職口は悲しいほど少ないし、採用されたからといって理想の働き方ができるとは限らない。そうした現実を知っても、展覧会を企画したり美術の研究で成果を出したりする夢は持ちつづけていた。

 まあ、博物館実習にすら行けずに終わったけれど……。

 そんな過去を振り返りながら、私はふと気づいた。王女という身分を使えば、美術館を設立することができるのではないかと。

 ムーレや周辺諸国――このあたりで最も芸術が盛んなニンフェアでも、博物館という概念は存在しないようだった。

 珍しいものや芸術品をコレクションして客人に披露する、ヴンダーカンマー的な文化はある。その延長で専門的な施設を作れたらいいのに。そう考えた瞬間、視界が一気に明るくなった気がした。

 日本の学芸員職は狭き門だったけれど、ムーレで自前の館を持てば同じような活動ができるはずだ。

 まずは親しみやすい総合博物館を設立して、皆に展示施設という概念を知ってもらう。同時進行で質の良い美術品を集めて、専門的な施設として美術館を独立させる。そうした計画を思いついてからは、毎日が楽しくて仕方ない。

 ただし、これをそのまま語ったら、クレマンはきっと「お前、現実逃避だけは上手いよな」なんてからかってきそうだ。だから、まだ考えを整理している今の段階では絶対に言えない。

「フロランス、なんだか一気に難しいことに関心を持つようになったね」

 お兄さまは目を丸くしながら、私のメモを見つめる。

「私の野望を果たすために必要なのよ」

「野望、ねえ……」

 クレマンが鼻で笑ってくる。本当にむかつく。

「じゃあ、乗馬するより読書してるほうがいいか?」

 そもそも二人が書庫まで私を探しにきたのは、乗馬に誘うためだったようだ。

「行くっ! さすがに頭を酷使しすぎて、そろそろ休憩がほしかったところなの」

 そう答えると、お兄さまはほっとした顔を見せた。

 必要になったから勉強する時間を増やしただけで、外遊びが好きなのは変わらない。

「支度してくるから待っててね! 今日は北の森まで競争してみる?」

 ムーレは自然豊かで、王城の周りには美しい森や平原が広がっている。馬で駆けると最高に気持ちがいいのだ。

「フロランスはやっぱりお転婆だなあ。結婚してくれる相手がいるといいんだけど」

 やれやれとお兄さまは肩をすくめる。

「いないだろ、フロランスに求婚するような男なんて」

「ちょっとクレマン? そういうこと言うのなら、競争のとき一人だけ遅延魔法でも課すわよ?」

「別に構わないぞ。ユベールはともかく、フロランスには圧勝する自信あるからな。お前、魔法の使い方が王族とは思えないほど下手だし」

 もう本当に嫌味な人! たった一歳しか違わないのに、いつも偉そうなのよね。

「先に行くのは禁止ね。首洗って待ってなさい!」

 本を棚に戻した私は、急いで書庫を出る。視界の端で、クレマンがまだ怪訝な顔つきをしていたような気がした。

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