第24話

「これとかいいんじゃない?」

「あの、來羽?」

「駄目? じゃあねー……これとか」


 來羽は並んだピアスを一つずつ私に見せてくる。

 結局私はアクセサリーショップに連れてこられていた。


 夏休み前よりさらにピアスが増えた來羽は、プロフェッショナルです、みたいな顔をしてピアスを選んでいる。

 ううむ。


「來羽、あの……」

「気分転換。必要でしょ」

「え」

「一つのところにとどまりすぎてると、腐っちゃうものだよ。水みたいなもんで」

「でも」

「でももくそもないって。焦りは禁物。高校生活も残り少ないんだし、楽しまないと。でしょ?」


 來羽はそう言って笑う。

 なんの含みもない、綺麗な笑顔だと思った。

 私は自然に彼女に笑い返して、繋がれた手を少し強く握った。


「よし。じゃあ今日は私がなんでも奢ってあげよう。どーんときな」

「……じゃあ、車でも買ってもらおうかな」

「調子乗んな」


 頭を軽く叩かれる。

 私たちは手を繋いでしばらく店を回って、やがて一つピアスを買った。


 当然それで解散ということになるわけでもなく、そのまま街を歩いて、近くのカフェに入る。


 注文を済ませると來羽はいつものように最近彼氏とどうだとか、クラスで何があったとか、そういうことを話してくる。

 私はそれに相槌を打ちながら、注文した品が来るのを待った。


「地味に私たちももうそろ卒業なんだよねー」

「そうだね」

「夏澄、受験勉強とかしてる?」

「まあ、ぼちぼち。一年の頃からしてるから、そんなに必死にはやってないけど」

「優等生のセリフだ。じゃあどこ行くかとかもう決めてるの?」

「うん。一応ね。來羽もでしょ」

「ま、ね。……はぁ」


 來羽は唐突にため息をついた。


「どうしたの?」

「え? えー。言っちゃっていいのかなー。どうしよっかなー」

「あ、見て來羽。外でスズメが飛んでる。最近あんま見ないよね、スズメ」

「いや、聞けよ。ここは聞く流れでしょうが」

「來羽がウザい態度とるから……」

「うわ、ウザいとか初めて言われた。最近口悪くなってない?」


 來羽と中身のない会話をしていると、注文したものが運ばれてくる。

 私は栗のミニパフェで、來羽はパンケーキだ。飲み物はどっちもコーヒーである。


 來羽は一枚じゃなくて、二枚もパンケーキを頼んでいる。

 よく食べるなぁ、と思うけれど、私が食べなさすぎるのかもしれない。


「で、結局どうしたの?」

「いやさ。そろそろ卒業だって思ったら、憂鬱になって。もう制服着れないんだよ? やばいでしょ」

「……やばいかな?」

「それだけ歳取ってきたってことだし」

「いや、うーん。大学生なんてまだまだ若いでしょ。むしろ全盛期だよ」

「そうかもだけどさ。色々環境も変わるわけじゃん? ちょっと、なんだかなぁって感じ」


 來羽はため息をつきながら、器用にパンケーキを切り分ける。

 フォークに切り分けたパンケーキを刺して、そのまま私の方に差し出してきた。


 私は差し出されたパンケーキを口に入れる。

 甘い。


 付属のメイプルシロップをさっき來羽が浸るほどかけていたから、当然かもしれないけれど。


「彼氏とうまくいってないの?」

「や、そっちはまあ普通。ピアス開けすぎってめんどいこと言われたくらい? 別にいいじゃんって思うけど、これくらい」


 確かに來羽は結構ピアスを開けている気がする。

 見たところ、四つ。

 まだ開けられる余地はありそうだけど、どうなんだろう。


「夏澄に一年の頃から結構相談乗ってもらってるし、なんとか別れずに済んでるよ」

「それはよかった」

「ん」


 來羽はそれ以上何も言わず、パンケーキを食べていく。

 私も自分のパフェを食べ始めた。


 來羽との沈黙は、不思議と心地いい気がする。空気が痛くなることもないし、気まずくもならない。友達だから当然なのかもしれないけれど、沈黙していてもいい友達というのは結構貴重だったりする。


 天乃との沈黙は、どうだろう。

 考えたことはなかったけれど、彼女と一緒にいる時、私は沈黙を許せなくなる気がする。


 何か話したくなって、向こうからも話しかけてほしくなって、焦ってしまう。


 それはいいことではないのかもしれないけれど、必ずしも悪いこととも思えない。


 ただの先輩後輩だった頃は気づかなかったが、私は自分が思っている以上に天乃のことが好きなのだろう。

 だから少し、暴走してしまっている。


「自分の気持ちも人の気持ちもいまいちよくわからない時って、どうすればいいのかな」


 私はぽつりと呟いた。

 來羽は私を一瞥して、パンケーキに戻る。


「わからないなら、確かめるしかないんじゃない」

「確かめるって、どうやって?」

「それは人それぞれじゃない? 押して駄目なら引いてみるとか、一度距離を置いてみるとか。近すぎると見えなくなることってあるし」


 近すぎると見えなくなる。それは、どうなんだろう。

 私は天乃との距離感を大事にしてきた。


 一緒に暮らす前は、天乃と少しずつ仲良くなって、急激に近づけないもどかしさも楽しんでいた気がする。


 でも家族として一緒に暮らすようになってから、そうもいかなくなった。

 お父さんとお母さんが離婚してから、私は家族というものにこだわりすぎているのかもしれない。


 家族なら、もっと仲良くしたい。

 そういう気持ちが、私を焦らせているのだろう。

 だとしたら、ううむ。


 押して駄目なら引いてみる。でも、天乃は何も考えられなくなるくらい強引に手を引いてほしいと言ってきた。


 なら。

 いや、しかし。


「一度、ほんとにしたいことがなんなのか考えてみたら? 人の気持ちなんて変わりやすいし、そもそも自分が考えてることが自分の望むこととは限んないしね」

「そういうもの?」

「ん。人間は自分に嘘をつけるから。もしかしたらつき続けた嘘を本当と思い込んでるだけかもしれないよ」

「うーん……」

「言うことも、考えることも。人間は嘘が多いんだよ」

「來羽もそうだったりする?」

「まあね。実は私も十股とかかけてるとんでもない悪女かもしれないよ」

「あはは、似合わなすぎ」


 嘘。嘘かぁ。

 私が天乃と姉妹になりたいという気持ちに、嘘はないと思う。

 でもそれが本当とも限らないのかな。


 私は天乃と仲良くなりたいという気持ちに、家族としてという条件を付け加えたことで、迷子になっているのかもしれない。


 本当はもっと別の形で仲良くしたかった、のかも。

 天乃に向ける感情はどんなもので、真になりたかったものは何か。


 そして、天乃が目指しているものは一体、なんなのか。

 それを知らないと私たちは何にもなれないのだろうか。


 最初に彼女の手を強引に引いたのは私だ。だから私には、私たちの目指す先を決める責任があるのかもしれない。


「……人を好きになるって、どんな感じ?」

「だるくてめんどい感じ」

「えぇ」

「だってそうでしょ。ある程度趣味とか時間とか合わせなきゃだし、相手がしたいことと自分がしたいことを擦り合わせなきゃだし。だるいことこの上なし」


 來羽はそう言って、カップに手をつけた。

 コーヒーを飲む彼女の所作は堂に入っている。


「でもま、人の前で完全に自然体でいるとか無理だし。時々自然でいられて、ドキドキして、たまーに好きだって思ったり。そんな感じよ」

「んー。……そっか」

「人を好きになるって、別にそんな綺麗なことじゃないよ。良くも悪くも感情が動くし」

「ああ、わかる気がする」

「だしょー? だから、まあ。そういうものとして受け入れた方がいいよ。どんだけやーな思いになっても、嫉妬とかしても、それが当たり前だから」

「……すごいね。さすが恋愛歴三年の先輩だ」

「尊敬しな」

「はーい」


 私はコーヒーを一口飲んでみる。

 苦くて、酸っぱい。美味しいとまでは思えないけれど、不味いとも思わない。

 不思議な飲み物だ。


「まー、あれだ。色々戸惑うこともあるだろうけど、失敗を恐れず行ってみなよ。恋は人を暴走させるから、何したって正当化されるよ」

「それは違うと思うけど」

「いいのいいの、そんくらいの気持ちで。とりま、頑張んな」

「……うん」


 なんだか今日は、來羽がすごく大人に見える。

 一年の頃から來羽の相談に乗ることが多かったから、こういうのは新鮮だ。考えてみれば來羽は恋愛に関しては私よりずっと先輩なのだ。


 その知恵を借りるのも、いいのかもしれない。

 いや、待て。


「……あれ? なんか、私が誰かに恋してるって話になってない?」

「うん? 最初からそういう話でしょ? 好きな人の気持ちも自分の気持ちもわからないけど好きな人ともっと近づきたい! っていうあれじゃん?」

「……え」

「こっちがえ、だよ。いや、え? むしろなんの話してると思ってたわけ」


 好き。

 天乃のことが好きといえば、その通りだ。


 でもそれは先輩としての健全な好きであって、恋だのなんだのそういう話じゃない。

 少なくとも一緒に暮らすようになる前までは、そうだった。


 じゃあ、今は?

 いや、いやいや。

 だって、私は天乃と姉妹になりたくて、もっと仲良くなりたくて。


 え。

 うん?

 あれ?


「おーい、夏澄。どうしたー?」


 そんなわけない。

 私が天乃に恋してるなんて、そんな。


「……違うよ」

「何が?」

「私、別にそういうのじゃなくて、ただ友達として好きな人について話してただけで、恋とかそういうのじゃなくて、ほら。ね?」

「……夏澄は一度自分の顔を鏡で見た方がいいと思う。めっちゃ真っ赤だし」

「いや、そんなの」


 今の私は、恋している顔なんだろうか。

 天乃と恋の話をした時、私は彼女に恋しているとは思わなかった。

 そのはずなのに、どうして今こんなにも動揺しているのだろうか。


 違う。

 違う、はずなのに。

 

 その後私が何を來羽と話したのかは、もう覚えていない。

 けれど彼女と別れた後も、まだ顔が熱いことだけは確かだった。

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