第22話
私たちは一体何をしているんだろう。
遠くに聞こえる蝉の声が催眠術みたいに頭の中で響いて、私の心から違和感を消し去っていく。
あるいはその音に集中することによって、思考を避けているのかもしれないと思った。どちらにしても私の頭は今、うまく働いていない。
夏の暑さのせいにするには冷房が効きすぎていて、姉妹だからと言って何もかもを許してしまうには、私たちは遠すぎる。
それでも二つの体を生まれたままにしてさらけ出して、互いに触れ合うことができたなら。
私たちは一つ、何かを乗り越えられるのかもしれない。
「やっぱり、思っていた通り。余裕を失っている先輩が、一番綺麗です。……私の前じゃ余裕ないなんて、嘘です。いつも余裕ばかりなんですよ、先輩は」
天乃はそう言いながら、ゆっくりと服を脱いでいく。
脱いだ服は、私の服の上に重ねられる。
手と手を重ね合わせて、一緒に歩くことは何度もしてきた。服だってきっと、洗濯籠の中で何度も重なり合ってきたのだろう。
しかし、今ここで重なり合った服には今までにない意味があるような気がして、少し息が苦しくなった。
元々外界とは切り離されていたこの室内という別世界が、さらに別の形に変化していくような感じがする。
どんな形に変わるかは、まだわからない。
ただ、衣擦れの音と共に重ねられていく彼女の服と下着が、何かの始まりを告げているようにも思えた。
「先輩。ちゃんと見ててくださいね。私のことを。ずっと、その顔で」
天乃は真っ赤になった顔を私に向けている。
見ているこっちが溶けてしまいそうになるくらい、熱そうな顔だった。
彼女の身を守っていた最後の一枚が服の山に重ねられると、下敷きになった私の服はほとんど見えなくなる。
一糸まとわない姿で、二人。
私たちは向き合っていた。
「拭いてください、先輩。私が風邪を引かないように」
「……天乃」
「姉妹なら、きっとやりますよ。体を拭くくらい。それとも、私からやったほうがいいですか?」
事ここに至って、止めるという選択肢はないような気がする。
私は彼女の手からタオルを受け取って、その体に触れようとした。
「……は、くしゅ」
その瞬間、くしゃみが出た。
考えてみれば、全裸でこんなにも涼しい部屋にいたら、寒くなるのも当然だ。
私はちらと天乃を見た。
彼女は呆れたように息を吐く。
「……もう、乾いてるね」
私の言葉に、彼女は反応しない。私はタオルを彼女の首にかけて、にこりと笑った。
「天乃の体も、乾いてる。もう拭かなくても大丈夫そうだね。……というか、服着ないと逆に風邪引いちゃいそうだよ」
「……先輩は、簡単に余裕を取り戻せてしまうんですね」
天乃は小さな声で言って、私の手を胸に導いていく。
その柔らかい肌に触れると、奥の方から心臓の鼓動が伝わってきた。
どくん、どくん、どくん。
私の鼓動よりも、もっと速いその音は、何よりも天乃の余裕のなさを表していた。
自分のくしゃみで少し冷静になった私は、この状況に違和感を抱くようになっていた。
いくらなんでも、おかしい。
でも、そう思っているのは私だけではないらしい。
天乃もまた、平静とまではいかないにしても、さっきより目に正気が戻っているように見えた。
「先輩。私は……」
視線が泳いでいる。困ったような、何か信じられないものを見たかのような表情を浮かべている天乃に、私は笑いかけた。
「天乃。服、着よ」
「……そう、ですね。これ、せっかく買いましたから。つけてくださいね」
天乃はそう言って、私に紙袋を押し付けてくる。
天乃に選んでもらった下着を身につけると考えると、少しひるむ。けれど下着は身につけるためにあるのだから、飾っておくわけにもいかない。
結局私は彼女と一旦別れて部屋に戻り、買ってもらった下着を身につけた。
いつもとは違う感触にやや戸惑いを感じながらも、不思議と気分は悪くなかった。私は部屋で服を着た後、ダイニングに無造作に放られた服を洗濯カゴに入れた。
天乃の着替えももう終わっていそうだったけれど、彼女は部屋から出てこなかった。
私は小さく息を吐いて、もう一度部屋に戻った。
「先輩。今、時間いいですか?」
「いいよ、入って」
「……お邪魔します」
あれからしばらくして、天乃は私の部屋を訪れてきた。
部屋に入ってきた天乃は、すっかりいつもの調子を取り戻しているようだった。さほど楽しくもなさそうに私の部屋に入ってくると、真っ先に机の上を見た。
「なんですか、これ」
「見ての通り、あみぐるみだね」
「それはわかりますけど。そうじゃなくて、なんでこれがここにあるんですか。捨ててくださいって言いましたよね」
私の机の上には、天乃が最初に作ったあみぐるみが置かれていた。歪な形のそれは、今の天乃が作るものとは比べ物にならない。
でもその歪さが、今との違いを明白にしてくれる。最初と最新がちゃんと目に見える形であるからこそ、天乃と過ごした時の流れを強く実感することができる。
私はそのあみぐるみを時々こうして机の上に飾っていた。
「うん。でも、せっかくの最初の作品だから。時々こうして飾ってるんだ。……あの頃から天乃は真面目で可愛かったなーって、思い出したりしてる」
「なんかそれ、すごいキモいですよ。捨ててください……って言っても、先輩は絶対聞きませんよね」
天乃はため息をついて、ベッドの上に座った。
私の部屋に天乃が来ていると思うと、なんだか新鮮な気がする。
天乃とは部屋の外で会うことが多いから、まだ彼女の部屋には入ったことがない。
どこにいても天乃は天乃だから、そこまで積極的に彼女の部屋に行きたいと思ったことはないけれど、どんな感じか気になりはする。
意外にぬいぐるみとかたくさん置いてたり?
すっごい少女趣味な家具とかあったりしたら、可愛いかも。
想像して微笑んでいると、天乃はそれを見て不機嫌そうな顔をした。
「……お姉ちゃん。ちょっとこっち、来てください」
「はーい」
天乃がお姉ちゃんと呼んでくるのは、珍しい。
私は彼女に言われるまま、隣に座った。
すると、天乃は私の太ももの上に頭を乗せてきた。
自分からこういうことをしてくるのは、失いかけていた姉妹らしさを取り戻そうとしているためなのかもしれない。
頭を撫でると、天乃は私を見上げてくる。
「私たちって、今は一体どんな関係なんでしょうね」
「……見習い姉妹で、熟成された先輩後輩?」
天乃は小さく息を吐いた。
「一歩間違えば、腐敗してしまうってことですか?」
「大丈夫だよ、多分」
「断言しないんですね。……もしかしたら私たちの関係はもう、腐敗してるのかもしれませんけど」
天乃の頭の重さを感じる。
梳くようにその髪を撫でても、何かが変わるわけではなかった。
「姉妹に、なれますかね。私たち」
「なりたい。なろう。……なれるよ、きっと」
「自分に言い聞かせてません? それ」
「そうかも」
「先輩は本当に、適当です」
私は天乃と姉妹になりたいと思っている。
それは間違いない。
けれど、本当に心の底から姉妹になれると思っているのだろうか。今はわからなくなっているけれど、でも。
天乃ともっと仲良くなりたいという気持ちに嘘はない。
嘘はないからこそ、わからなくなっているのかもしれないけれど。
私が目指す天乃との関係は、本当に……。
いや。
それ以外に、一体何があるというのだろう。
「私は、家族がいいものとはやっぱり思えません。今までの私たちの関係を崩してまでそれを目指すべきなんて、とても」
「……天乃」
「だけど、先輩。私は、先輩のその強引さは、嫌いじゃないです。好きとは言いませんけど。先輩が手を引いて歩いたその先に、極端に悪いものがあるとは思いません」
「……うん」
「でも。私たちは本当に、今のままで……」
天乃は何かを言いかけてから、首を振った。
「やっぱり、いいです。先輩は先輩のままでいてください。これ以上、変わらないままで」
天乃はそう言って、目を瞑った。
私は彼女の頭を撫でながら、深く息を吐いた。
天乃は変化を恐れているのだろうか。一度家族がバラバラになって、全く別の人間と家族になると言われて、変化を恐れずにいるのは難しいのかもしれない。
だけど、それだけじゃない気がする。
天乃は単に変化が怖いのではなく、もっと別の何かがあるように思うのだ。
私は本当に、このままでいいの?
天乃の言う通り、他の全ての選択肢が考えられなくなるくらい強引に彼女の手を引いて、姉妹になってしまえばそれでいいんだろうか。
私が求める姉妹の形は。
天乃とどんなことがしたくて、何を天乃にしてほしいのか。
姉妹になれたとして、その先の未来で天乃を幸せにすることはできるのだろうか。
わからないから、天乃の手を握る。
天乃は私よりずっと強い力で、手を握り返してきた。
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