第13話

「あれ、なんか編み目がおかしいんだけど」

「どれ? ああ、ここはね……」


 私は編みかけだったあみぐるみを來羽と一緒に作っていた。他の編み物は來羽にはできそうにないし、縫い物は針を使うから來羽にやらせるには怖すぎる。


 結局比較的簡単なあみぐるみにしているけれど、編み方を完全に忘れているらしい來羽は悪戦苦闘していた。


 ちらと正面を見る。

 普段私が座っている席に座った天乃は、黙々とあみぐるみを作っていた。


 天乃がいつも座っている席には來羽が座っていて、私はその隣に余ったパイプ椅子を置いて座っている。

 いつもとは違う配置には少し違和感があるけれど、これはこれで楽しい。


「……疲れてきた」

「ええ、もう?」

「ちょっと休憩させて。老眼になりそう」

「まーた適当なこと言って。手芸部の名が泣くよ」

「幽霊ですから」

「もー、不真面目な。ちょっとは天乃を見習いなよ」


 一言も発することなく作業をしている天乃は、部活に入ったばかりの天乃を彷彿とさせた。


 あれから一年経って、私たちも随分仲良くなった気もするけれど、來羽が部室に来ただけで時間が逆戻りする。


 それって、どうなんだろう。

 強固な絆があるなんて思い上がったりはしてなかったけれど、でも思った以上に私たちの関係は脆いのかもしれないと思う。


 なんかちょっと、不安になる。

 私の知っている、毎日見ている天乃の顔が見たい。澄ました顔の天乃も可愛いけれど、やっぱり私はいつもの天乃の方が好きだ。


 一緒に過ごした時間の流れを、実感するから。

 一年間天乃と一緒で、私は嬉しかった。できればこれからも一緒に楽しく過ごしたいから、逆戻りはしてほしくないと思う。

 ううむ、しかし。


「天乃ちゃんは何作ってるの?」

「ウサギのあみぐるみです」

「へー、可愛い」

「そうですね。赤本先輩も作ってみたら、楽しいかもしれませんよ」

「そうねぇ……」


 來羽は気のない返事をしている。

 でも天乃はにこやかに彼女に接していて、いい後輩ですって感じの顔をしている。


 思えば天乃がこの部室で私以外と話している姿は、ほとんど見たことがない。


 胸がむずむずした。

 このむずむずは、多分恥ずかしさとは違う。もっとなんか、掻きむしりたくなるようなやな感じで、あんまり味わいたくない類のものだ。


 もしかして。

 この感情がどんなものか、考えたらわかるような気がする。名前をつけるのも簡単な気がする。でもそうしてしまうと余計にこの感情が強くなるような気がして、私は無心でかぎ針を動かした。

 大丈夫。手の動きは乱れていない。


「天乃ちゃん、夏澄と二人で部活してて楽しい?」

「來羽。天乃が困る質問はしないで」

「大丈夫ですよ、野坂のさか先輩」


 むず、とした。

 野坂先輩。そう呼ばれるのは久しぶりだ。この部室にいる天乃の先輩は今までずっと私一人だった。だからわざわざ野坂なんてつけなくても、先輩だけで意味が通じた。


 でも今は違う。

 一年で築き上げてきた常識が変化して、呼び方も前みたいになっている。このまま來羽が部活に頻繁に来るようになったら、時間の流れは逆行してしまうのかもしれない。


 來羽と一緒に編み物したら、楽しいと思うけど。

 だけど、なんだろう。


 もしかして私は、天乃と二人の部活に慣れすぎて、それを崩したくないと思っている?


 それって、つまり。

 駄目だ。

 せっかく考えないようにしていたのが台無しである。


「野坂先輩は私に親切にしてくれますから。一緒にいて、楽しいですよ」


 天乃はなぜか來羽じゃなくて私の方を見て笑った。

 今日も明日も天乃の笑顔が見たい、とは思っているけれど。こういうのはなんだか、違う気がする。


 何が違うなんてわからないけど、でも。

 ああ、なんかやだ。


 天乃の笑顔がってよりは、変になっている自分の心が嫌だ。

 天乃とは二人で過ごした期間が長すぎるから、天乃と私と他の人と三人でいる時に自分がどう感じるなんて考えたこともなかった。


「……なるほどね。よし、休憩終わり。夏澄、次やらせて」

「うん。じゃあ、次はね……」


 私は小さく息を吐いて、來羽にかぎ針を渡す。

 來羽に編み方を教えている間、天乃はずっと編み物をし続けていて、私に話しかけてくることはなかった。





「やー、今日は楽しかった。ありがとね、夏澄」


 駅まで向かう道の途中、來羽が言った。天乃は教室に忘れ物をしたとかで、私たちに先に帰るよう言ってきた。


 気を利かせてくれたのかな、と思う。

 天乃はあれで結構しっかり者だし、忘れ物なんてするとは思えなかった。


 天乃とはいつも一緒に帰っている。それに、來羽とこうして肩を並べるのは久しぶりだから、たまにはこういうのもいいかと思う。

 二人で並んで歩いていると、心のむずむずは無くなっていた。


「ううん。私も久しぶりに來羽と会えてよかったよ」

「そっか。……夏澄が元気そうで何より」

「もしかして、それ確認するために部活に来たの?」

「まあ、そうね。ほら、ちょっと前に見かけた時元気なさげだったから」


 來羽は何気ない口調で言う。

 道端の石を蹴りながら、來羽は私に笑いかけてきた。

 天乃とはまた違うけれど、爽やかな笑みだと思う。


「來羽は優しいねぇ。でも、もう大丈夫だから。來羽が私を見たのがいつかはわからないけど、ちょっと悩んでただけだし」


 悩んでいたというより、試行錯誤していたと言った方が正しい。前より天乃と仲良くするために、あの頃は色んなことを試していた。


 結局どれもうまくはいかなかったけれど、最終的に彼女は姉妹っぽいことに付き合ってくらている。


「ならいいけどさ。天乃ちゃんとも仲良くやりなよ? あの子、多分かなり心に壁があるタイプだろうから、下手こと言って地雷踏まないようにね」


 來羽は冗談めかして笑う。

 それに関してはすでに手遅れだと思う。


 私は天乃の地雷を踏みまくっていて、だからキモいとかウザいとか言われているんだろう。

 天乃との心の距離は近いようで遠い気がする。


 色々知ってはいるし、それなりに仲良いとは思うけど、内心がどうかはわからないし。でも、本当に心の底から嫌われているわけではないのは確かだ。


 確か、だと思う。

 うん、きっと。


「ぼちぼちやるよ。來羽は彼氏とはどうなの?」

「こっちもぼちぼち。もう付き合ってから三年経ってるしね」

「三年かー。早いねー。付き合いたての頃はしょっちゅう喧嘩してた気がするけど」

「遠い目をして言うなし。ババ臭いから」

「む、心外な」


 話していると、駅に着く。私と來羽は帰る方向が逆だから、ここでお別れだ。別れの挨拶をしようとすると、その時いきなり、來羽が私の耳に触れてきた。


「來羽?」

「夏澄はピアス、開けないの?」

「ん、まあ。機会がなかったからねぇ」

「じゃあ今度、開けようよ。お揃いのピアスとかしたら楽しいかも」

「えー。友達とお揃いって、なんかあれじゃない? きもきもな感じ」

「キモキモて。何その語彙力。誰に影響受けたのよ」


 知らぬ間に天乃に影響を受けている。私はなんだか、笑ってしまった。


「友達の影響かな。……それより、急にどうしたの?」

「いや、久しぶりに会ったら耳の形綺麗だなーって思ってさ。私も最近新しく開けたし、夏澄もどうかと思って」

「そっか。……うーん。お揃いにするかはともかく、開けてもいいかもね。その時はよろしく」

「ん、おっけ。……じゃ、また」

「うん。またね」


 軽く手を振って彼女と別れ、なんとなく来た道を振り返る。

 何かがぶつかる音がした。


 わけでは、ない。

 でも、視線がぶつかる音が聞こえたような気がした。


 この世の不機嫌を寄せ集めて作ったんじゃないかってくらい不機嫌そうな顔をした天乃が、私を見ている。


 私は否応無しに、天乃と向き合った。

 奇妙な緊張。


 でも、私の前でしか見せないその表情を見て、安心している自分もいた。

 確かに私は、ドMなのかもしれない。

 なんておかしなことを考えたけれど、不思議と笑えなかった。

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