第12話

 お母さんたちの旅行は三泊四日なので、明日には帰ってくることになる。

 二人は有給をとっているけれど、世の中は普通に回っているわけで、今日は月曜だから当然学校がある。


 私はいつものようにそれなりに授業を聞いて、それなりに睡眠をとりながら放課後を迎えた。


 部室の扉を開けると、そこには天乃が……いなかった。

 代わりに最近見かけていなかった友達の姿があった。


來羽くれは


 甘い匂いがしたから、來羽が来ているんだってすぐにわかった。

 いつも天乃が座っている席に座った來羽は、私を見て軽く手を挙げた。


「おっす、夏澄かすみ。相変わらず淋しい部室だね」


 來羽はどこからか取り出したらしい私のあみぐるみをいじりながら言う。

 一年の頃からの友達である來羽は、我が手芸部の幽霊部員の一人でもあった。元々同じクラスだったから手芸部に誘ったけれど、彼女は数える程度しか部室に来ていない。


 明日は槍でも降るのだろうか。

 そう思いながら、扉を閉めていつもの席に座る。


「いっつもその席座ってんね」

「まあね。ていうか、私が座ってる席、覚えてたんだ。全然来てないのに」

「そりゃ、一応私も手芸部の一員なわけだし?」

「幽霊だけどねー」

「そりゃ言いっこなしですよ夏澄さん」

「言わせてください來羽さん」


 思わず笑うと、來羽も笑う。

 最近見ていなかったけれど、相変わらず元気そうだ。耳の開けられたピアスの数は増えていて、インナーカラーは青に変わっている。確か前見たときは赤だった気がするけれど。


 最後に遊んだのっていつだったっけ。三年になってから一回は遊んだ記憶があるが、ここ二ヶ月くらいは顔を合わせることもなかった。


 連絡は結構な頻度でとっているけれど、こうして会うと少し新鮮で楽しい。甘い香水の匂いも、なんだか特別な気がする。

 天乃が犬なら、來羽は猫だ。


「まだ一人で手芸してんの?」

「ううん、一人じゃないよ。天乃がいるし」

「あまの? 誰だっけ」

「忘れたの? 大湊おおみなと天乃。去年入部してきた、私たちの可愛い後輩だよ」

「あー……。んー? どんな子だっけ」

「素直な子だよ。いつも一生懸命だし、可愛い後輩。來羽もきっと気に入ると思うよ」


 犬のあみぐるみをころころ転がしながら、來羽は私の方を見た。

 眠そうに細められた目に、興味の色は見えない。


 一応來羽だって手芸部の先輩なんだから、ちょっとくらい天乃に興味持てばいいのに。


「ま、今更でしょ。じゃあ、あれか。夏澄はいつもその天乃ちゃんと二人で手芸してるんだ」

「そうだよ」

「え、気まずくない? 二人っきりって、何話すの?」

「うーん……その日あったこととか、適当に?」

「ふーん。つまんなそう」

「よく言われるよ、天乃にも」


 先輩の話はとても面白いですー、なんて天乃が言うわけない。でも、私はそういう天乃が好きだ。


 素直だけど私のことが好きってわけじゃなくて、それでも一緒にいてくれる、真面目で可愛い後輩。


 つまらないと言われることも、キモいと言われることも楽しんでいるけれど、それを天乃に言ったらドン引きされるだろう。


「でも、そういうとこが可愛いんだー」

「何それ。ドMなの?」

「違うよ。天乃のつまんないには愛があるんだよ、多分」

「ほーん、そうですか」

「興味なさそうだなぁ。……で、來羽様は今日はどうして部室に来たの?」

「ん……まあ、夏澄の顔を見に?」

「それは嬉しいね」


 來羽が部室に来るときは、大抵何かあった時なのだ。テストの成績が悪かったとか、彼氏と喧嘩したとか。


 今日は何があったんだろうと思うけれど、言わないってことは何か話しづらいことがあったんだろう。


 でもそれを無理に聞き出す必要もない。私はここでいつものように過ごして、來羽から話をしてくるのを待つのみだ。


「……天乃、遅いな」

「いつもはもう来てんの?」

「うん。ちょっと教室、見に行ってみようかな。なんかあったのかもだし」

「過保護な先輩だ」

「なんとでも言いなさい」


 私は立ち上がって、部室の扉を開けた。

 視界の端で、何かの影が動く。見れば、そこには天乃の姿があった。しゃがみ込んでそっぽを向いた天乃は、小動物みたいに頼りない感じの背中をしている。

 私はその背中をぽんと叩いた。


「何してるの?」

「立ちくらみがして、うずくまってます」


 天乃の顔を覗き込もうとすると、くるりと体の向きを変えられる。

 また覗き込もうとして、逃げられる。


 絶対立ちくらみじゃない。もしかしなくても私たちの会話を聞いていたんだろうと思う。でも、どこから?


 聞かれて困る話はしていないけれど、天乃のつまんないには愛があるーとか、そのくだりはできれば聞いていなければいいなと思う。


 流石に恥ずかしいというか、むずむずする。

 顔覗きの攻防戦が続いていると、來羽が部室から出てきて、呆れたように私を見ていた。


「夏澄、どうしたの?」

「後輩と戯れてた」

「何それ。……その子が天乃ちゃん?」

「そ。天乃、覚えてる? 一応同じ手芸部の、赤本あかもと來羽」


 私の言葉を聞いて、天乃は來羽の方に体を向けた。


「あ、見たことある。そっかそっか。君が天乃ちゃんね。お久」

「……久しぶりです、赤本先輩」

「うわ、すごい新鮮な響き」


 來羽はちょっと楽しそうな顔をしている。先輩という響きには、私たちを少しわくわくさせてくれる効果があると思う。


 でもその効果は、來羽を足繁く部室に通わせるほどじゃないんだろうなぁ。


 手芸、結構楽しいのに。今年入った一年の子ももう来ていないし、天乃以外の二年生も来なくなったし、人気がなさすぎると思う。


 ほとんどの部員が幽霊の部活って、どうなんだろう。

 でも、だからこそ天乃と長く一緒にいられて、仲良くなれたのだから、いいのかな。部活としては間違っている気がするが。


「とりあえず、久しぶりに來羽が来たことだし、なんか作ろっか」

「私もう編み方忘れてるよ」

「最初から覚えてないでしょ。教えてあげるから、やろうよ」

「いいけどねー」


 來羽は先に部室に戻っていく。私もそれを追って部室に戻ろうとすると、天乃に服の裾を掴まれた。


 振り返ると、私を見つめている天乃と目が合った。

 天乃は露骨に不機嫌そうな顔をしている。


 來羽の前では、普通の顔をしていたのに。二人の相性はそこまで悪くないと思うのだが、今日は虫の居所が悪いのかもしれない。


 ……いや、もしかして私のさっきの発言のせい?

 愛がどうのとかやっぱり聞かれてて、本気で引かれてたりするんだろうか。


 でもあれは嘘じゃないから、撤回はしない。天乃の言葉にはいつも、罵倒以上の意味があると思う。錯覚かもだけど。


「……先輩のことなんて、好きじゃないですからね。いつもキモいって思ってますから」

「さっきの話、聞いてた?」

「立ちくらみがひどかったので、聞いてません」


 天乃はそう言って、私の背中にぴたりとくっついてくる。

 言動と行動が伴っていないと思っていると、不意に膝が折れた。


 天乃が私から離れて、部室に入っていくのを見て初めて、膝カックンされたんだと気がついた。


 振り返って私を見る天乃の表情はいつも以上に不機嫌そうで、今にも爆発しそうな感じだった。


 謝った方がいいのかな。

 でも、ううむ。

 悪いことは言っていないと思うけれど、やっぱりキモかったのかも。


「いつまでそうしてるんですか。早く入ってきたらどうですか?」


 声には愛がない。

 その声はいつも通りな気もするけれど、やっぱり違う気もする。


 いつもの罵倒に愛があると感じていたのは、やっぱり錯覚だったのかもしれない。


「先輩はほんとに、どうしようもないです。一人じゃ立てないんですか?」


 天乃は自分で私を跪かせたことを忘れたのか、挑戦的な顔で手を差し伸べてくる。その手を掴もうとしたら、逃げられた。代わりにべっと舌を出される。


 自分の手が宙を切ると、ちょっと寂しいような、そうでもないような感じがする。

 今日も天乃は絶好調だ。

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