第7話

 経験は感情を人にもたらす。感情は経験と共に心に染みついて、その人を構成する血肉になる。


 今ここにいる私たちは過去の集合体みたいなものだから、過去を切り離して私たちの体を再構築することはできない。


 できない、けど。

 新たな血肉を作っていくことはできると思う。


 そうして新しく出来上がった私たちは、きっとただの他人より、少しだけ姉妹に近づいた私たちになるんじゃないだろうか。

 わかんないけど。


「先輩。いつまで毛糸見てるんですか」

「んー、ごめん。後もうちょっと見たいから、疲れたならどこかで休んでて」

「……先輩。今日私たちが、なんでおてて繋いでこんなところに来たか、もう忘れたんですか。鶏ですか、先輩は。三歩歩いたら忘れてしまうんですか?」


 なんの変哲もない土曜日。私たちは姉妹として距離を縮めるべく、手を繋いで街を歩いていた。


 私が住んでいた街とは違い、天乃が元から住んでいるこの街は都会だ。

 私のお母さんと天乃のお父さんが結婚してからは天乃の家に住むようになったけれど、この辺の地理にはまだ明るくない。


 でも意外と居心地がいいと思う。おしゃれなカフェとか、雑貨屋とか色々あって飽きない。


 今日はせっかくだからということで、手芸に使う毛糸を雑貨屋に買いに来ている。

 天乃は恐ろしく退屈そうな顔をしているけれど、ううむ。


「より仲良くなるため。姉妹に近づくため、だよね」

「わかってるじゃないですか。せっかく姉妹で遊びに来ているのに別行動をとったら、仲良くなんてなりようがないです」

「確かに、そうだね。うん、ごめん。できるだけ早く済ませるね」


 手を繋ぎながら、色んな毛糸を手に取ってみる。

 蛍光カラーの赤やピンク。パステルカラーの水色や紫。ちょっとずつ複数の色が混ざっているものなんてのもある。


 これでセーター作ったら楽しそう、とか、あみぐるみにはこの色がいいかもしれない、とか。


 そういうことを考えながら毛糸を選んでいると、思わず笑顔になってしまう。


 これで何が作れるだろうって思いながら毛糸を見るのは楽しい。うきうきした気分になって、心が弾む。


「……先輩は、本当に手芸が好きなんですね」

「うん、まあね。だって、魔法みたいじゃない?」

「どういうことですか?」

「一本の毛糸が服になったり、うさぎになったり、犬になったり。かぎ針を使って編み込むだけで、ただの糸が色んな形になるって、すごいことだと思う」

「……そういうものですか」


 私はカゴの中にいくつか毛糸を入れた。

 会計を済ませると、天乃は少し挑戦的な目で私を見てきた。


「じゃあ、先輩は自分のことを魔法使いだと思っているんですか?」


 その声にはからかうような色がある。

 可愛いなぁ、と思って頭を撫でると、天乃は唇を尖らせた。


「どうかな。私のことはわかんないけど、天乃のことは魔法使いって思ってるかもね」

「わけ、わかんないです」

「天乃は何事にも一生懸命だからね。あみぐるみ作ってる時もすごい真面目で、魔法使いって感じ」

「それを言ったら……」


 何かを言いかけて、天乃はやめたようだった。私は毛糸の入った紙袋を持って、店の外に出た。


 相変わらず猛暑日が続いているから、出た瞬間溶けそうなくらいの熱気が肌を焼いてくる。


 日焼け止めは塗ったけれど、じりじり日光に焼かれていくのは変わらない。


 夏は訳もなく楽しくなるから結構好きだけど、暑いのはちょっと苦手かもしれない。


 天乃はどうだろう。去年は二人で冷たいものを食べに行ったりはしたけれど、あまり楽しそうにはしていなかった。


 夏、夏。夏かぁ。

 空を見上げると入道雲。


 手に集中すれば少しベタついた天乃の手の感触。

 うーむ。なんてことないはずなのに、なんだか特別で、楽しい気がする。


「あ、見て天乃。バタフライピーのクリームソーダだって。飲んでみない?」

「いいですけど、散々待たされたので奢ってくださいね」

「うん、いいよ。入ろ」


 私たちは手を繋いで、雑貨屋から少し歩いたところにあるカフェに入った。


 どうやらここは雑貨カフェだったらしく、木のテーブルの上にいくつか雑貨が置かれているのが見える。


 席に通された後、注文を済ませた私は雑貨を少し見ようかと思ったが、天乃が手を伸ばしてきているのを見て、やめた。


「なんですか、先輩」


 天乃は不機嫌そうにそっぽを向いている。

 伸ばしかけていた手は行き場を失って、テーブルの上でうろうろしている。


「ごめんね、つい夢中になっちゃって」

「別に、どうでもいいことです。先輩が雑貨やら毛糸やらが大好きな人間だってことは、知ってますから。将来は毛糸と結婚するんですよね」

「しないよ。毛糸より天乃のほうが大事だから、もっとお話ししようよ」

「当たり前のことを真顔で言わないでください」


 むすっとしながら、天乃はメニュー表を開いたり閉じたりしていた。放っておいたつもりはなかったけれど、もっと天乃と仲良くなりたいなら天乃のことを最優先するべきなんだろう。

 私はメニューを置いた天乃の手を捕まえて、両手で握った。


「先輩?」

「天乃はどうして手芸部に入ったの?」

「……私にもできそうだったからです」

「幽霊部員になるって選択肢はなかったんだ」

「そんなの、真面目にやってる人に失礼じゃないですか」

「んー。……んふふ、そうかもね」

「何笑ってんですか」


 くすりと笑うと、手をつねられた。

 天乃は相変わらず不機嫌そうな顔だったけれど、でも、その力はあんまり強くなかった。


 祈るように彼女の手を両手で包む。

 何を祈ったのかは自分でもわからなかったけど、何かが天乃に届いたのか、彼女は微かに目を細めた。


「天乃は真面目だなって思って」

「馬鹿にしてるなら、そう言ってください。殴りますから」

「してない。真面目で、いつも精一杯で。そういうところが好き。天乃の一番いいところだよ」

「……せん、ぱいは」


 天乃は私の手を強く握ってくる。

 逃さないようにしているのか、何かを確かめているのか。

 力は強いのに頼りないその感触は、天乃そのもののようにも思えた。


「なんだって、好きじゃないですか」

「私にだって嫌いなものはあるよ」

「具体的には」

「……天乃と離れ離れになることかな」

「……」


 家族と離れ離れになるのはあまり、好きではない。好きな人が悲しそうな顔をしているのも、嫌いだと思う。


 天乃が言うようになんだって好きってわけではない。天乃から見た私は、なんでも好きだと言えるような人間なのかもしれないけれど。


 天乃も私のこと、それなりに知っていると思ってきた。でも、意外とそうでもないのかな。でも、ううむ。


 人の個性とかは日常から読み取るものだから、教えるのって結構難しいかも。


 あれこれ考えているうちに、注文したものが運ばれてくる。

 私は写真を撮ってからクリームソーダを飲もうとして、天乃の視線に気がついた。


「言葉だけなら、なんだって言えますよ。行動が伴わない言葉なんて、ただの音です」

「そうかも。……んー、じゃあ、ちょっと失礼して」


 私は席を移動して、天乃の隣に座った。そして、彼女の利き手ではない左手をそっと握った。


「離れ離れにならないように、繋いどこうか」

「そういうことじゃ……。もう、いいです。そうですね。先輩がそうしたいなら、どうぞご自由に。これ、飲みますから。邪魔しないでくださいね」

「しないよ。どうぞ召し上がれ」

「……先輩が作ったわけじゃないですけどね。いただきます」


 天乃は紫色のクリームソーダをストローで吸っていく。

 邪魔しないでくださいね、と言う割に、天乃の方が手を握る力は強い。しかも時折引っ張ったり押したり手の甲をすりすりしたりしてくるから、私はあんまりクリームソーダに集中できなかった。


 この経験が私たちを姉妹たらしめる血肉となってくれるのかは、わからない。


 ただ私も天乃に倣って彼女の手を握ったりさすったりしてみると、彼女は少しだけ目を細めた。

 ……気がした。

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