第2話

 私たちの通っている学校は、絶対に部活動に所属していなければならないというルールがある。


 私は元々細かい作業が好きだったので手芸部に入り、その一年後入部してきたのが天乃だ。


 手芸部には他にも何人か所属しているが、ほとんど皆幽霊部員だから、実質私たちだけの部活である。


 天乃が足繁く部室に来ている理由は知らない。

 でもほとんど毎日部室で二人きりになるから、必然的に話す機会も多くて、気づけば私たちはそれなりに仲良くなっていた。


 ……そう思っているのは、私だけかもしれないが。

 なんにしても、今日も私たちは放課後部室に集まっていた。


「先輩。それ、なんですか?」

「ん? 見ての通り、かき氷機だけど」

「いや、なんでそんなものが部室にあるんです」

「田中先生に借りた」

「……あの人、最近部室に顔出しませんよね」

「ま、顧問なんて基本名ばかりだしねぇ」


 私は顧問の田中先生から貸してもらったかき氷機に、これまた先生からもらった氷をざらざら入れていく。


 ペンギンの形をしたかき氷機は、今時珍しい手動式だ。

 私はハンドルに手を置いてから、天乃の方を見た。


「やりたい?」

「結構です」

「お姉ちゃんばっかずるいーとか、言わないんだ」

「言うわけないじゃないですか。先輩、私をなんだと思ってるんですか」

「後輩で、妹」

「義妹、です」

「義理でも本命でも、妹は妹だよ」


 ハンドルを回すと、ガリガリ音が鳴り始める。

 下の皿に氷がふわふわ落ちていって、じわりと溶けていく。


 六月もそろそろ終わりだから、暑い。最近は節電がどうのとかで、部室のエアコンはあまり効いていなかった。


 もっと贅沢してもいいのでは。

 そう思いながら、流れる汗をハンカチで拭う。


「先輩は、お姉ちゃんに憧れているんですか?」


 氷が削れる音に混じって、天乃の声が聞こえる。

 横から視線を感じるけれど、今は彼女と目を合わせている余裕がない。氷が全部溶けるより先にかき氷を作らないと、シロップ味のぬるい水を飲むことになってしまう。


 涼むためにかき氷を作っているはずなのに、暑い思いをしている。

 なんだか少し、馬鹿みたいだ。

 いや、少しっていうか、だいぶ馬鹿かも。


「そういうのは、ないよ。私は妹を求めてるんじゃなくて、天乃と家族になりたいってだけだから」

「なんなんですか。私のこと、好きなんですか」

「ん? もちろん、好きだよ」

「どこがですか。何がですか。私の、何が」

「んー……」


 私は山になったかき氷を一瞥してから、シロップの容器を見た。

 そういえば。


「かき氷のシロップって、全部味同じなんだって」

「は?」

「まあ、そりゃそうだよね。味ってつまり甘さの程度ってことだし。でも香りが違ったら、甘さは同じでもやっぱり違う味だ」


 私はかき氷機の下から皿を取り出して、レモン味のシロップをかけた。

 毒々しさすら感じさせる黄色は白を段々と侵食していく。少し、雪が積もった日のことを思い出した。


 毎年雪は降るのに、どうして夏になると毎回懐かしくなるんだろう。

 せいぜい数ヶ月しか経っていないのに。


 皿をそっと彼女の方に差し出すと、すごく真剣な表情を浮かべているのが見えた。


 今のは意味のない話だ。でも天乃はそう思っていないらしく、むむって感じの顔をしている。


 私の言葉に文学的意味があるわけないのに。

 天乃はいつも真剣だ。


 ああ、そうだ。

 あえて言うなら、そういうとこかも。


「いつも真剣なところ、好きだよ。今だって、なんでもないようなことを本気で考えてる」

「……からかったんですか」

「からかうっていうか、ちょっと思い出したから、ついね」

「……家族のこと、言ってるのかと思いました」

「うん?」


 私はスプーンをかき氷に刺した。

 富士山からビームが出てるみたいな、変な感じの見た目になる。

 思わず笑うと、天乃が私のすぐ近くまで迫ってくる。


「味は同じでも、匂いが違ったら違う味。それって、今の私たちみたいじゃないですか」

「先輩後輩は同じだけど、家族っていう香料が付け加えられたら、それはもう違う関係、みたいな?」

「そんな感じです」


 深いな、と思う。シロップの話からそこまでの情報を読み取るとは。天乃はきっと、現文の成績がすごくいいに違いない。


 私は基本平均点だ。

 成績も五段階中三である。


 ギリギリ日本人かな、くらいの成績。

 いとをかし、である。

 ……これは古文か。


「違うってほどではないと思うよ。先輩後輩はそのままで、家族って関係がプラスされるだけ。上書きされるようなものじゃないし。……ほら、かき氷どーぞ」

「……なんでレモンなんですか?」

「天乃なら、きっと言わなくてもわかるって信じてるよ」

「ウザいです。……しかも、キモいです。レモンが好きだって言ったの、一回だけじゃないですか。なんで覚えてるんですか、本当に」


 天乃はぶつぶつ文句を言うばかりで、かき氷を食べようとしない。

 かき氷は徐々に溶けてきている。


 かき氷はかき氷の形をしているから美味しいのであって、溶けてしまったらただの甘い水になってしまって、あんまり美味しくなくなる。


 せっかく作ったのにそれは嫌だから、私はスプーンを手にして氷を掬った。

 スプーンを天乃に差し出すけれど、食べる気配はない。

 別に何も変なもの入れてないのに。


「天乃も覚えてるから、おあいこじゃない?」

「……うるさいです」

「ほら、それはもういいから。溶ける前に食べちゃって。お姉ちゃん特製かき氷」

「……一日一回姉妹っぽく振る舞うってやつですか」

「ん? んー、まあ、それで。ほらどーぞ」


 天乃は顔を赤くしている。

 暑いから、ではないよなぁと思う。


 人からものを食べさせてもらう程度でこんなに赤くなるなんて、純情だ。


 真面目で、すぐ顔を赤くして、表情もよく変わる。見ていて飽きない後輩だ。でも別に、私は彼女をからかいたいわけじゃない。ただ仲良くなりたいだけだ。


 一日一ミリだけでも仲良くなれたら、満足である。

 天乃は私の手から一口だけかき氷を食べて、ため息をついた。


「……もう、終わりです。あとは私が勝手に食べますから、先輩は手持ち無沙汰になっててください」

「ふふ、はーい」


 私はスプーンを彼女に渡して、椅子に座った。

 隣の椅子に座って彼女を見ていると、そっぽを向いてかき氷を食べ始める。


 彼女の顔の熱が引く気配はない。

 私はふと気になって、彼女の耳たぶにそっと触れた。びくりと彼女の体が跳ねる。想像していた通り、彼女の耳は熱かった。

 冬には重宝しそうだけど、あいにく今は夏だ。


「な、なんなんですか! 急に触らないでください!」

「ん? 暑そうだったから、つい。私の手、冷たいからさ」

「……知らないです。わかんないです。触らないでください、変態」


 天乃はぷりぷり怒って、窓際の方に歩いていってしまう。

 日差しが強いところで食べたらかき氷なんてすぐ溶けてしまいそうだけど、私は黙って彼女を眺めた。


 天乃はちらちら私を見ながら、かき氷を食べている。

 その仕草が小動物みたいで、ちょっと笑ってしまう。私の笑顔から何を感じたのか、天乃は眉を顰めて、目を逸らした。

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