第六話

 森の中を、カトレアとシレルは歩いている。もう随分と歩いたから、だいぶ奥の方まで来ていた。


 ――大事な話って、何だろう。


 そう考えながら、カトレアは足を進める。


 ――もしかして、もしかしてだけど、恋愛的な、あれかな……


 そんな想像が、カトレアの頭の中で膨らんでいく。心臓がばくばくと脈打っている心地がする。

 ちらりと、隣にいるシレルの姿を見た。彼女の横顔はとても綺麗で、長い睫毛が描く繊細な曲線を、カトレアはぼんやりと見つめていた。


「そういえばカトレアくんは、〈指輪リング〉を嵌めていますよね」

「あ、うん、そうだよ」


 シレルと繋いでいる右手に、カトレアはいつものように二つの〈指輪〉を嵌めていた。


「ということは、〈魔術ウィフト〉を扱えるんですか?」

「そうそう! ……でもぼくは、治癒に関する〈魔術〉しか、今のところ習っていないんだけど」

「そうですよね。安心しました」


「安心?」

「ええ。だって、攻撃的な〈魔術〉を扱う方は、少し怖く感じてしまいますから。簡単な殺戮の手段を持っていることに等しいでしょう?」


 シレルはそう言って、微笑んだ。

 民衆は〈魔術〉に偏見を持つ者が多いと、カトレアは耳にしたことがあった。シレルもそうなのかもしれないと思った。カトレアは思わず、口を開いた。


「えっと……師匠はそういう〈魔術〉が得意なんだけど、でも、そういう力を悪用したりはしないよ! 絶対に!」

「そうなんですか?」

「うん」

「それでは、その人はどういった目的で、力を使うんですか?」


 その問いに、カトレアは少しの間、沈黙した。

〈蛮魔〉を殺すという目的? でもそうだとしたら、以前のカトレアに対して怒った理由が明瞭にならない。


 ――フィテナはどういう気持ちで、〈魔術〉を使っているんだろう……


 そう考えながら、カトレアは言う。


「今度、聞いておくよ」

「そうですか。どうもありがとうございます」

「どういたしまして」


 カトレアは笑顔で、そう返した。


「そういえば、花畑はあとどれくらい?」

「ああ、もうすぐですよ。ほら、視界の端に、桃色が見えませんか?」

「うーんと……あっ、見える!」

「そうそう、それです」


 カトレアはごくりと唾を飲んだ。「大事な話」がもうすぐ聞けるということで、頭がいっぱいだった。


 やがて樹々に囲まれた道が終わりを告げ、花畑が姿を現す。

 美しい桃色の花々が、見渡す限り広がっていた。甘い香りが、カトレアの鼻孔をくすぐる。何匹もの蝶々が飛んでいて、どこか幻想的な風景だった。


「……綺麗」

「ふふ、そうでしょう? カトレアくんに一度、見せたかったんです」

「ほんと? すっごく嬉しい、ありがとう」


 はにかんだカトレアに、シレルはそっと歩み寄る。


「ここなら、二人きりですね」

「う、うん……そうだね」

「あのね、カトレアくん」

「な、何……?」

「わたくしはね、貴方のことを素敵な人だと思ってるんですよ」

「……え、その、それって、」


 しどろもどろになりながら、カトレアは言葉を紡ぐ。シレルはゆっくりと、カトレアのことを抱きしめて――



「――だから、死んでください」



 そうやって、耳元で囁いた。


「え……?」


 瞬間、カトレアは脇腹に強い熱を感じる。


「…………あ」


 口から声が漏れ、そして、血が漏れた。


 自身の脇腹を見る。深々とナイフが刺さっている。カトレアは絶望した表情で、「……何で、」と呟く。シレルは残酷に微笑う。


「わたくしはね、人間の剥製をつくるのが趣味なんです。カトレアくん、貴方の剥製はきっと、美しいですよ。白い肌、銀色の髪、銀色の瞳……それが永遠に残ると思うだけで、胸が高鳴ってしょうがないんです」


 シレルはそう言いながら、カトレアからナイフを引き抜いた。鮮血が舞って、花畑の上に赤色の雫を垂らす。


「……あなたは、何者、なの」


 銀色の瞳に涙をいっぱいに溜めながら、口から血を溢れさせながら、カトレアはそうやって尋ねる。


「まだ、わからないんですか?」


 シレルはそう言って、柔らかく微笑んだ。

 彼女の姿が、壊れていく。

 人間の形が崩れていって、そうして彼女は――大蛇のような姿へと、変貌した。



「――わたくしはね、〈蛮魔レシェン〉ですよ」



 大きさはカトレアの三倍ほどもある。翠色の鱗と、金色の瞳。ちろりと出た舌は、鮮やかな桃色に染まっている。


 つう、とカトレアの瞳から涙が零れる。


「嘘だ……」

「嘘ではありませんよ」


 シレルの言葉に、カトレアはぶんぶんと首を横に振った。


「だってシレルは、優しくて……! 強くて、かっこよくて、綺麗で……だからぼくは、シレルのことが……好き、で」

「いいですか、カトレアくん? 〈蛮魔〉はね、嘘つきなんですよ。物事の表面だけを見て、全てを理解した気になるなんて、浅はかでしかありません……」


「そんなこと言われても! なんで信じちゃいけないの! ぼくは全てを信じたいよ! 美しいものが嘘でできているかもなんて、考えたくないよ……!」

「そんな綺麗事で、この世界は回ってないんですよ。この世界が綺麗なだけだったら、貴方の両親は、〈蛮魔〉に殺されてないはずでしょう?」

「うるさい……!」


 カトレアは泣きながら、立ち上がる。

 シレルはふと、違和感に気付く。



 ――カトレアの脇腹の傷が、塞がりかけている。



 どうして、と思う。治癒の〈魔術〉を詠唱した素振りはなかった。それなのに明らかに、傷の治りが早い。

 シレルはふと、思い出す。


〈魔術〉に大きな適性のある者が持つ、特異的な体質――


 カトレアはばっと駆け出した。遠ざかっていく彼の背中を見ながら、シレルは呟く。


「恐らく、肉体の自然治癒が異様に早いんでしょうね。確かに初めて会ったときも、やけに傷が早く癒えた……」


 そっと、舌なめずりをする。


「……余計に、貴方のことがほしくなりましたよ。カトレアくん」


 シレルはカトレアを追って、這いずり始めた。

 桃色の花々が、千切れた。

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