第2話 押し付けられた仕事

 かなめはうなだれて動こうとしない。その固まったような笑顔に誠は少し違和感を感じた。


「西園寺さん……」


 誠は心配のあまりかなめの顔を覗き込む。かなめの赤外線すら見える人工の瞳にはいつもの光が無かった。


 かなめは目を見開いて、口を半開きにしていた。その口元にひきつり笑いを浮かべているだけでなく、こめかみがひくひく動いているのが見える。


「変なかなめちゃん」


 アメリアはそれだけ言って、ドアのところで誠達を待っているカウラの元へ急いだ。


「西園寺さん……」


「嘘だ……嘘であってくれ……」


 心配する誠をよそに、かなめは独り言を口走っている。その表情はあまりに深刻で誠の不安を書き立てた。


「誠ちゃん。変なのは置いといて隊長室に行くわよ!」


 入口にたどり着いたアメリアが誠を呼んだ。


「でも……西園寺さんが……」


「いや、神前。アタシも行く」


 ようやく意を決したように顔を上げたかなめは、そう言ってしっかりとした足取りでアメリア達に向かって歩き出した。


「大丈夫?かなめちゃん」


 廊下まで着実な足取りを続けていたかなめが、そうアメリアに声を掛けられると再びうつむいた。


「カウラ……アタシだけ逃げるってのは……」


「西園寺。隊長命令を聞くだけのことでなんでそんなに落ち込むんだ?それに……」


 カウラがそう言ってかなめに説教を始めようとするのを見て、アメリアがカウラの袖を引っ張った。


「ぐちゃぐちゃ言っても仕方ないわよ!隊長室に行くぐらい誰にでもできるじゃないの!」


 そう言って満面の笑みを浮かべたアメリアは先頭を元気よく歩く。


「西園寺……」


「仕方ないか……」


 顔を上げたかなめは、あきらめ切った表情で歩き出した。


 取り残された誠とカウラは顔を見合わせると、我に返って二人の後を追った。


 機動部隊執務室と隊長室は二十メートル程度しか離れていない。否が応でも誠達はその隊で唯一の木目の立派な扉の前にたどり着く。


「それじゃあ入るぞ」


 そう言ってカウラはノックをしようと手を伸ばすがその手をかなめが抑えた。


「何をする!西園寺!」


「ちょっと待て……心の準備が……てか、やっぱアタシだけ逃げるってのはダメ?」


「ダメに決まっている!」


 左手で逃げ出そうとするかなめの襟首をつかむと、カウラは扉をノックした。


『いるぜ』


 中からいつもの渋い声が響いた。


「失礼します!」


 カウラはそう言って静かに扉を開けた。


 カウラを先頭に、アメリア、誠、そしてうなだれたかなめが続く。


「ああ……ダメだな、この靴下。とうとう穴が……」


 司法局実働部隊隊長の机。その主は侵入者である誠達に背を向けたまま、窓のへりに乗せた左足の靴下を脱いでいた。


「隊長……」


「ちょっと待てよ……やっぱこのままでいいや」


 ランのそれより明らかに格上とわかる立派な椅子の主はそう言って親指に穴の開いた右足の靴下を無理に履いくとそのまま靴を履く。


「隊長……」


「おう!なんだ。来てたのか」


「来てたのかじゃないですよ」


 入ってきたときの厳しい表情はどこへやら、カウラは明らかに軽蔑した表情で司法局実働部隊部隊長の嵯峨惟基特務大佐をにらみつけた。


「ベルガーよ。そんな怖い顔で見つめないでよ。俺、気が小さいんだから」


 いつものポーカーフェイスは何を考えているのか誠にもさっぱりわからない。


「隊長が気が小さかったら世界に気の小さい人なんかいませんね」


「クラウゼ……皮肉か?まあいいや」


 部隊長、嵯峨惟基は天然パーマの黒髪を掻きながら椅子に座りなおした。


「隊長命令だ」


 そこまで言うと嵯峨は誠達を舐めるように見回す。


「実は……ってかなめ坊。その面はなんだ?」


「いや、叔父貴の言うことが予想できてね」


 恨みがましい目で嵯峨を見つめながら、かなめはそうつぶやいた。


「かなめ坊、それを言うなよ……俺が決めたことじゃない。司法局の本局が決めたことだ」


 誠達から目をそらした嵯峨が吐き捨てるようにそう言った。


「あのう、クバルカ中佐もそうですが、隊長が命令を言いたがらないのはなぜですか?そんなにめんどくさい話なんでしょうか?」


 アメリアは直立不動のままそう言った。それを聞いた嵯峨は何も言わずに立ち上がるとそのまま背を向けて窓の外を眺めた。


「いやあ、難しい話じゃないんだけどさ。言いたくなくてね……馬鹿馬鹿しくて」


 嵯峨が言ったのはそれだけだった。


「言いたいとか言いたくないの問題じゃないです!部隊長ですよ!司法局実働部隊は下手な軍事部隊よりよっぽど精強な実力組織なんです!その部隊長が言いたくない?馬鹿馬鹿しい?」


 そう言って怒りの表情を浮かべてカウラが隊長の執務机を叩いた。執務机には嵯峨の趣味であるカスタムした拳銃のスライドが万力で固定されていた。多分先ほどまでやすりをかけていたのであろう、カウラの机を叩いた振動で部屋中に鉄粉が巻き散らばる。


 誠達は思わず口を押え、恨みがましい目で元凶のカウラを見つめた。


「隊長!掃除ぐらいしてください!」


 口で手を抑えながらカウラが叫んだ。それまで背を向けていた嵯峨が困ったような顔をして振り向く。


「ベルガー……元気だねえ……まあ、隠しといても時間の無駄だから言うわ」


 嵯峨はそれだけ言うと大きく咳ばらいをした。誠達は部屋の埃が落ち着いてきたことに気づいてそのまま四人で気を付けの姿勢をとる。


「ああ、やっぱ待って……」


それだけ言うと嵯峨は椅子に腰かけた。タイミングを外された誠達は大きくため息をつく。


「簡単な仕事なんですよね?でも今日は七時半には帰れますか?アタシ、アニメガみたいんで」


 気を付けの姿勢のままアメリアがそう言い放った。


「アニメだ?」


 あきれ返ったようにカウラがそう言ってアメリアを見上げる。


「ええ、『魔法少女エミリアちゃん』。誠ちゃんも毎週見てるわよね?」


 開き直ったようにアメリアはそう言い放つ。古典落語から最新アニメまで。アメリアの興味の幅は誠をはるかに凌駕していた。


「ええ、僕も見てます。キャラデザインが参考になるので」


「神前まで!」


 アメリアの問いに答えて頭を掻く誠を見ながらカウラは頭を抱えた。


「ああ、そのアニメは諦めてくれや。夜は遅くなると思うぞ」


 そう言うと嵯峨は覚悟を決めたように立ち上がった。


「隊長のケチ!」


 アメリアはそう言って誠を見つめる。その流し目で見つめられた誠はどぎまぎしながら苦笑いを浮かべた。


「でも夜が遅くなるってことは、時間のかかる作業なんですよね?」


 カウラは素直に自分の質問を、質問をはぐらかすことの天才である嵯峨に向けた。


「ああ、大丈夫。向こうさんの意向は夜更かしは美容の大敵ってことで深夜にはならないはずだから。まあ……夜九時……遅くて十時かな?」


 嵯峨はそう言うと再び椅子に座ってしまった。


「隊長!美容の大敵っておっしゃいましたよね?」


 思い切って誠は口を開いた。


「おう、おっしゃったよ……美容の大敵って」


 嵯峨は誠の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべた後、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべて机の上に頬杖をついた。


「つまり。僕達とある女性を会わせたいってことですか?」


 誠は真面目な顔でそう言った。


「ほう……確かにな。俺も自分の言うことを頭の中で反芻するとそういう結論がでるってのも考えの一つだと思うぞ……神前。多少は推理ってのが出来るようになったな」


「へへへ……」


 感心したようにつぶやく嵯峨を見て誠は照れ笑いを浮かべた。


「女性で、隊長とかなめさんがこんなに嫌がる人……康子様?」


 ひとしきり考えたというようにアメリアがそう言った。その言葉を聞いたそれまで無表情だったかなめがふたたびうなだれる。


「かあちゃん?馬鹿言うなよ」


 かなめはそれだけ言うと大きくため息をついた。


「そうだな。康子様のはずがない。もしそうだったら西園寺はここにいない。一階の武器庫に飛び込んで全身に武装してブルブル震えているはずだ」


 カウラはそう言ってうなだれるかなめを見つめてほほ笑んだ。


「おう、俺もその仲間に加勢するね。いや、うちの武器庫の兵器じゃ足りねえや。遼北か西モスレムにでも乗り込んで核ミサイルを二つ三つ強奪してから籠城するね。まあ、あの女傑はその程度の防衛網なら突破しかねねえぞ」


 嵯峨は投げやりにそう言って首をすくめた。


 康子様こと、西園寺康子はかなめの母である。世間一般では遼州同盟の有力国、第四成型甲武を領有する甲武帝国宰相西園寺義基の妻、ファーストレディーとして知られていたが、司法局実働部隊では部隊長の嵯峨惟基を恐れさせる謎の存在と認識されていた。


 誠も二か月前の第一小隊三番機担当、吉田俊平少佐の失踪に端を発した動乱、後に『フェンリル事件』と呼ばれたゲルパルト帝国の残党の起こした動乱事件のさなかに西園寺康子の姿を見ていたが、嵯峨やかなめがこんなにも彼女を恐れる理由は理解できなかった。誠から見れば、康子は赤い着物の似合うどこかかなめに似た美魔女でしかなかった。

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