第4章 勇者と聖女の開拓記

第16話 デルタ世界への転移

「春香、大丈夫か?」


 見知らぬ風景だが差し迫った危険はないと判断した俺は、抱き抱えていた春香から身を離そうとしたが、春香は俺を離さないようにしがみついてきた。


「ううん、もうちょっとこうしていて」

「……わかった」


 互いに押し黙る二人の間に、寄せては返す波の音が辺りに響く。


「アキくん。私はアリシアさんみたいな、いい女にはなれない?」


 う……やっぱそれか。本当は春香が大変な努力をして古武術を習っていることを俺は知っていた。本来、春香は好んで武道をするような性格をしていない、優しい女の子なのだ。


「あのな。俺は親父のように強くなりたいと思っていたし、同じような強さを持つ友達が欲しいと思っていたのは確かだ。でも、恋人にそんなことは望んじゃいない」

「アキくん……」


 俺は春香の髪を精一杯優しく撫で、言い聞かせる。


「それでも俺は春香が精一杯の努力をして武術を学んで俺に合わせようとしてくれるのが堪らなく嬉しかったし、苦手だったはずの料理もいつの間にか上手になっていて驚いた。練習してくれていたんだろ?」


 さもなくば、お袋の味を再現するような味付けで、俺の好物ばかりを出してくるはずがない。


「キスされた時は嬉しかったけど、同時に春香だけ大人になって置いていかれるかと不安になっていた。ごめんな、春香ほど早く大人になれなくて。好きだよ、春香」


 幼い頃の約束ではなく今の俺から想いを伝えた。そして春香の顎に手をかけて上向かせ、今度は俺から優しくキスをする。

 しばらくして再び春香の表情をうかがうと、先ほどの不安な様子が嘘のように穏やかな微笑みを浮かべていた。


「ありがと、アキくん」


 はにかむような笑顔を浮かべて春香が俺に囁くと、愛おしさが込み上げてきて再び抱き寄せる……ところで、遠慮がちな念話が二人の耳に届いた。


『……すまんが、そろそろいいかえ?』

「「はい!?」」


 思わぬ第三者の存在に俺も春香も驚いてパッと離れた。


『いや、別に急に離れなくてもよいのじゃがな。この世界は元の世界から遠く離れた座標に存在する果ての世界とも言える場所で、其方ら二人しかいない。いわゆるアダムとイブ状態じゃ。遠過ぎて、アキトでは戻れまい』


 女神様の言葉にナノマシンに記録された座標を確認したところ、本当に何万回転移しても届かないような世界線に居て嘘寒い感覚に襲われた。


『問題は人間が居ないだけではなく、生物も含めて其方たちだけというところじゃ。平たく言えば食事が取れぬぞ』

「それは……きついな」


 プランクトンでもいれば合成ハンバーグでも何でも作れるが、それすら居ないとなると、分子や元素から作らないといけない。さすがのナノマシンも、厳しいものがある。


『そこで、妾が居た元の地球の神社まで転移してやろうという話じゃ』

「え? なんだ。簡単に戻れるなら慌てることもなかったんじゃ……」

『あのまま放って置いたら致しておったじゃろうが。そうすると春香は一ヶ月ほど元の力を出せぬ。妾でも慌てざるを得まい』

「あ、ハイ……」


 そんな甲斐性は無い、と言いたいところだが女神様に言われるとそうかもしれない。


『それとこれは春香にと言うか、妾の巫女に向けた忠告じゃ』

「はい、なんでしょうか」

『酷な事を言うが二人だけの世界を望まぬことじゃ。今回は二人が世界線の果てに転移するに留まったが、下手をすると其方ら以外全員が消えかねん、という話じゃ』

「……かしこまりました。申し訳ございませんでした」


 春香が望めば全ての世界線の生物が消滅しかねないという風に聞こえるけど、そんなこと可能だとしたら春香の中にいる女神様は余程の高位存在ということになると思うが、どうしてあんな片田舎の神社に居たんだろう。


『それを知るのはまだ早い。では戻るぞ』


 女神様の念話が聞こえた後、瞬きをする間に見慣れた神社の鳥居が目の前に出現した。どうやら地球に戻ってきたらしい。


「春香。地球の座標と位相がわかったから、これからはいつでも地球に戻って来られる。ここで地球に残って学校に通っても……」

「ううん、アキくんについて行く。それにアキくんの未来の生活に、普通の勉強は役に立たないでしょう?」


 春香はそう言って、もう離さないと言うように俺の腕に抱きついてくる。参ったな。叔父さんや叔母さんになんて言ったらいいのかわからない。

 そうして悩んでいると、二方向からの長距離転移反応を感じた。まさか、親父とお袋を迎えにきた連中か?


「不味い! 長居し過ぎたみたいだ。すぐに転移するぞ!」


 俺は以前から考えていたベータ世界とガンマ世界の間のデルタ世界に向けて異世界転移を発動し、懐かしい地球を後にした。


 ◇


 アキトがデルタ世界に旅立ったあと、本来協力関係にないはずのは魔法文明と科学文明の使者が情報交換をしていた。


「逃げられたか。皇家に先んじて接触するチャンスだったんだがな。ジェイド、転移先の特定は出来るか?」

「以前とそれほど変わらない世界に跳躍したようだ。特定は時間の問題だろう」

「まあ、嘆くことはない。我らが先にここに辿り着いたということは、転移の発動を皇家よりも早く察知できた証拠だ」

「かの君を我らが先に確保することができれば、魔法文明と科学文明の統合という長年の悲願が成就する日はそう遠くはない。それまでは慎重にな、バーナード」


 その後、最低限の確認をしたあと二人はその場から姿を消した。


 ◇


 統合派が良からぬ企てを話す中、アキトのデルタ世界への転移から統合派の遠距離転移の一連の成り行きを遠方から見つめる者の姿があった。


「あらあら。アキト様が統合派に目をつけられてしまったようですわ」

「懲りない連中ですね。アキト殿を旗頭に据えたところで、勢力差は縮まることはないでしょう。しかし異世界転移ができるとなると厄介かもしれません」


 メリアーナとアリシアは粘膜接種を通して追跡マーカーをアキトに気が付かれないように埋め込んでおり、最果ての世界のような場所でもない限り転移した世界の座標や位相の特定は一瞬で済むようになっていた。姿を見せなかったのは、単に気を使ってのことだった。


「仕方ありません。アキト様の目に触れる前に、綺麗に掃除することにしましょう」


 転移したアキトを追跡するために多方面の叡智を集めて異世界転移魔法の研究が進められた結果、知るべきではない勢力にもその秘儀が伝わってしまったようだ。

 問題は、他の世界から大量に物資や人員を移動させるような暴挙が大々的に行われた場合だ。まだ研究段階だが、世界の統廃合が起こる可能性が示唆されている。

 過激派の中にはそれでも構わないと破滅的な行動に出ることも考えられるので、危険な芽は早めに摘まねばならない。しかし、


「アリシアさんのせいでアキト様が手の届かない世界に旅立たれるところでしたし、ちょうど良い冷却期間ですわ」

「なんです、その言い方は。元はと言えば、メリアーナが先にアキト殿の唇を奪うからややこしい事態になったのです。私は順番を守ったではありませんか」

「よく言いますわ。私に手を抜き過ぎですと大口を叩いて転移したかと思えば、同じ条件で負けキス狙いだったとは開いた口が塞がりませんでしたわ」


 売り言葉に買い言葉。統合派の結束と違い、追っ手の連携は望むべくもなく、彼らの足取りはようとして知れなかった。


 ◇


「はあ。折角地球に戻ったのに、何も持ってくることができなかったな」


 いつでも逃げられるように常に持ち物はディメンション・ボックスに入れていたものの、どうせなら家の私物、あるいは家ごと持って行きたかった。


「あんなちょっとの時間で直ぐに急行してくるなんて、気軽に地球に戻れないね」


 次は発想を変えて、果ての世界のように簡単には辿り着けない世界線への跳躍する方法を考えた方が良さそうだ。


 そう思案するアキトの前に、緑色の肌をした異形の集団が姿を現した。

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