第8話 ルイーズの街

「見せつけてくれるじゃねえか、姉ちゃんよぉ!」


 三十歳をちょうど過ぎた頃だろうか。大柄なスキンヘッドの冒険者風の男は、下卑た笑いを浮かべなながら腰の大剣を抜いてこちらに歩み寄って来た。


「春香、後ろに隠れていろ」


 俺が春香を庇うようにして前に出ると、目の前の男は馬鹿にしたような表情を浮かべて脅してくる。


「おい、坊主。お前はお呼びじゃないんだ。ぶっ飛ばされたくなかったら、引っ込んでいろ」

「ぶっ飛ばされるのはお前の方だろ、ハゲのおっさん」

「俺はハゲじゃねぇ! ぶっ殺してやる!」


 俺の安い挑発に湯を沸かしたヤカンのようにカッとなった男は、猛烈な勢いで突進して来て右ストレートを放ってきた。


「そりゃ悪かったなっと」


 俺は身を沈めて右拳をやり過ごしたあとその手を引き、男の力を利用した背負い投げをうちながら、魔法で瞬間的に重力を増加させて男の体重の何倍もの重さで地面に叩きつけた。


「グハッ!」


 白目を剥いた男は手足を痙攣させ口から泡を吐きながら立ち上がる気配を見せない。ちょっとやり過ぎたかとナノマシンで男を診察するが、軽い打撲で済んでいるようだ。まあ、受け身くらいは取れるか。重力制御をかけているから受け身しても無駄だけど。

 俺は春香の方に向き直ると、諭すように伝えた。


「こんな風に日本のような治安は期待できないから、俺から離れないように気をつけてくれ」

「わかったわ。でも、アキくんならバリアや結界を張ればよかったんじゃないの?」

「街でこうして実力を見せておけば、余計な雑魚は寄ってこなくなるんだ」


 そう言って、俺は肩をすくめてみせた。俺も春香も見た目は十五歳の少年少女だ。腕っぷしが強いところを見せておかないといつまでも付き纏われることに気がついたのは、アルファ世界での冒険者生活の賜物だ。


「はあ。アキくんがこんな野蛮な性格になっていたなんて少しショックだわ」

「おいおい。今の奴が手を伸ばしてきたら、春香も同じことをしていただろ?」


 むしろ突然の痴漢行為に我を忘れて叔父さんの稽古通りの型が出て、古武術特有の特殊な投げで関節を決めながら脳天を地面に叩き落としかねない。あれは投げと決めが一体となった非常に危険な技だ。

 ちょっと春香をナンパしようとしただけのおっさんに、そこまでやったらさすがに可哀想だろう。


『いや、同じではない。始原の四姉妹による護法で消し炭になっていたところじゃ』

「……春香はやっぱり外出禁止の方が世のため人のためじゃないか?」


 耳元で囁くように聞こえた女神様の念話に、俺は内心で頭を抱えた。


「それなら私に魔法を教えて。せっかくファンタジー世界に来たんだから、ちょっとだけでも魔法使いになった気分を味わいたいの」

「うーん、まあ簡単なものなら原理的には使えるか。今度教えてやるよ」

「本当!? やった!」


 無邪気に飛び跳ねて喜んでいるが、大男がぶっ倒れた側ですることでもないと思い先を急ぐことにする。また喧嘩をふっかけられても面倒だし、まずは宿屋の確保が先決だ。


 ◇


 門番に聞いたおすすめの宿屋に到着した俺は、入り口のドアを開ける。


 カラン、コロン♪


「いらっしゃい! お二人ですね。相部屋でよろしいですか? 食事はどうしますか?」


 ドアベルの音に気がついた宿屋の女将が奥から出てきて、愛想良く部屋のグレードや食事の有無を聞いてくる。


「ベッドが二つある部屋を頼む。食事は朝と晩だけでいい」

「わかったわ、こちらにどうぞ!」


 その後、俺と春香はベッドが二つある相部屋に案内されて鍵を渡された。その時、耳元で注意を受けた。


「うちは壁が薄いんで、夜は程々にしてくださいね」


 パタン……


 とんでもない事を言い残して去った女将に俺と春香はその場に突っ立ったまま無言でいたが、しばらくして春香が声を上擦らせて聞いてくる。


「ア、アキくんはそういうつもりで相部屋を借りたの?」

「そんなわけないだろ! 宿屋も日本と違って鍵はあってないようなものなんだよ!」


 そこで、アルファ世界に来た当初、グレードの低い宿屋で夜に野盗の襲撃を受けたことを話した。暴力が支配するファンタジー世界では、脅されれば店主も命欲しさにマスターキーを出さざるを得ないのだ。

 春香が襲われれば、護法で野盗どころか宿屋ごと消し炭になりかねない。俺がいればバリアや結界を張って未然に防げるだろう。


「なんだ。緊張して損した。そういうのに都合のいい人払いの結界なら私だって使えるわ」

「そうなのか? というか、今更だが言葉は理解できるんだな。女将さん、日本語喋ってないだろ」

「以心伝心の術を使えば、意思をもつ者となら会話できるよ」


 ああ、神様由来の不思議パワーか。俺には術の体系がよくわからないが、コミュニケーションに不自由しないのは良かった。あれ?


「待てよ? じゃあ、なんで英語が苦手だったんだ」

「……教科書や参考書は意思を持たないでしょ」

「ああ、そういうオチか」


 つまり地頭はよろしくないと。俺は思わず可哀想な人を見る表情をしてしまった。


「頭がよくなくて悪かったわね!」

「そんな馬鹿な!? どうして考えていることが……以心伝心の術か!」

「そんなことは、アキくんの顔を見ればわかるよ! バカ!」

「ははは、冗談だよ。言葉が理解できるなら、今日のうちに冒険者登録でもしておくか」


 ここに来る前に襲ってきた奴は首に冒険者タグをつけていた。アルファ世界と同様に、ベータ世界でも冒険者ギルドはあるのだろう。近くに森もあることだし、獲物には事欠かないはずだ。なんなら、森にログハウスを建てて隠れ住んでもいいしな。


「ついに魔法使いとしての第一歩が始まるのね」

「そんなに魔法使いがいいのかよ。巫女なんだから普通は回復役の僧侶だろ」

「それはもう飽きたわ。やるとしてもパラディンになる!」


 純和風の巫女がパラディンなんて中の女神様はそれでいいのかよ。

 そんな素朴な疑問が湧いたところ、タイミングよく女神様の念話が届いた。


『妾はどちらでも構わぬ。聖女であろうと勇者であろうと、好きな職につくがいい』


 どうやら女神様には俺の考えていることは喋っているのと変わらないらしい。いや、それよりもだ。


「聖女はともかく勇者になって何と戦うってんだよ。魔王がいる世界でもあるのか?」

『ないこともないが、気を付けないと下級世界の魔王など妾が行ったらあっという間に浄化されてしまうわ』


 戦わずして勝つなんて便利な存在だ。もっとも、魔王だからといって必ずしも悪とは限らないというのが、近年の地球のファンタジー小説の定番だ。滅ぼすのが正義とは限らないけどな。そしてそれは正しかったようだが、


『当然じゃのう。魔王にも戦う同期や存在理由があって然るべきじゃ』


 存在理由まであるとなると、それはそれでこれ以上は踏み込まない方が良さそうだ。出会った時に戦えなくなるからな。


 ◇


 宿屋の女将に所在を聞いて冒険者ギルドに来た俺と春香は、受付カウンターで冒険者登録をしていた。受付嬢のナターシャさんは気さくな性格をしているようで、初心者丸出しの春香の質問に丁寧に答えている。


「え!? じゃあ職業はその水晶玉の表示で決まってしまうんですか!」

「そうよ。本人の適正や経験に合った職が表示されるから、なるべくその中で表示された技や術を学んだ方が、伸び代が大きいのよ」


 アルファ世界ではそんなものは無かったが、ベータ世界はさらにファンタジー寄りの位相なのか面白いアイテムが出てきた。ナターシャさんが差し出してきた水晶玉に春香が手をかざすと、ある文字が浮かび上がった。


「巫女? 未確認の職ですよ! 凄いじゃないですか!」

「プッ……」


 そのまんまの結果で思わず吹き出してしまった。当の春香はナターシャさんとは対照的にガックリと肩を落としているのが、またツボにくる。


「……巫女以外に適職は表示されないんですか」

「次点の職を一つだけ表示できますが、オススメはしません。えっと、サブクラスは剣闘士ですね」


 ああ、長物よりは剣と素手の柔術が得意だものな。実に正確な結果で感心してしまうくらいだ。

 さすがに剣闘士はお気に召さなかったのか、春香は巫女で登録を終えた。


「じゃあ、次はアキトさんですね。水晶に手をかざして下さい」


 またEランクからかと多少面倒に思いながら、言われるままに手をあてた。すると、おかしな結果が表示される。


「勇者……だと?」

「ええ!? アキくん、ズルい!」


 いや、ズルいって言われてもな。大体、女神様が転移してきた時点で、気を付けないと魔王は消滅してしまうんじゃかったのか?


「凄いです! 勇者は百年に一人しか出ないと言われる幻のクラスですよ! えっと、サブクラスは魔法剣士ですね」

「勇者って何をするんだ?」

「魔法剣士の上級職という位置付けで、これといったものはないですが、稀に神託を受けることがあるらしいですよ。過去の勇者は神様と対話したそうです!」


 なんだ。単に春香の中の女神様と話しまくった結果じゃないか。というか、この世界にも神様は別に存在しているのか。神託が降りて来たらどうするか。


『心配せずとも、妾を差し置いて其方に声をかけたりせぬ。その水晶の表示も奴なりに忖度した結果じゃ』

「はあ。忖度するなら、春香が手をかざした時に魔法使いって表示してあげても良かったんじゃないか?」

「は? どういうことでしょうか」

「すまん、なんでもない」


 どうやら、今の念話はナターシャさんには聞こえていなかったようだ。

 それから俺は何食わぬ顔をして冒険者登録を済ませると、早速クエストを受注することにした。Eランクのままじゃ大した稼ぎにもならないしな。

 俺は掲示板に張り出されたすべてのクエストをナノマシンに翻訳させて情報を整理させる。次に付近の状況を広範囲探知魔法で検索し、その結果を脳内でインプットすると最適なスケジューリングが弾き出された。

 俺は十枚ほどの張り紙を掲示板から剥がすと、再度ナターシャさんのところに行ってクエストの受注を申請した。


「こんなに一杯!? 期日に間に合わなかったら、違約金の支払いが発生するものも含まれていますよ」

「大丈夫だ。今日中に終わる」

「あまり無理しないでくださいね」


 こうしてクエストを受注した俺と春香は、街に隣接するエルフの森に足を踏み入れたのだった。

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