第6話 異世界逃避行の始まり
森の出口でユーフェミアと別れた俺は、ルイーズという街に向かう街道を歩きながら今後のことを思案していた。
「まさかエルフが存在する世界線があるなんて思っていなかったし、ドラゴン以外にもファンタジー世界特有の存在が
予定外とはいうものの、改良した異世界転移魔法により一度行った世界には自由に転移できるようになったことだし、色々な世界を旅して楽しむことにしよう。星の配置、魔素の偏在の仕方で無限の可能性があるのだから。
案外、エルフやドワーフというファンタジー世界特有の存在も、転移した何者かが伝えたのかもしれない。交配もナノマシンや魔法による遺伝子操作を使えば適合させることはできただろうし、皇族や王族はひょっとすると別の世界からの客人だった可能性も否定できないな。出生率の低さもそれで説明がつく。
「つまり、俺のように両方の文明の長所を兼ね備えた人間が普通に暮らす世界だって、あり得るわけだ!」
そんな世界を見つけることができれば、相対的に俺の勝ちは一般市民と変わらないものとなるだろう。それなら、お袋が最初に言ったように異世界で暮らすのも悪くない。魔力的に異世界転移魔法は一日に二、三回が限度だろうが、いつかはたどり着いてみせる。
そう考えた俺は、道の先に見えてきたルイーズの街の門に向けて足を早めたが、目の前に腰まで伸びた黒髪に黒曜石の瞳をした親しい幼馴染の出現に、その足を止める。
「春香か? どうしてこの世界に……」
声を掛けた俺は、幼い頃に幾度か感じたことのある圧倒的な霊圧に、その途中で口を噤んだ。目の前の彼女は、春香であって春香ではない別の何かだ。僅かな余波すら感じさせない超常現象じみた異世界転移は、春香の中の存在によるものだろう。あれは危険だ。
『そなたがアキトかえ? 結婚を約した相手を置いて一人で異界に旅立つとはつれないではないか。妾の巫女が心配しておるようじゃから、たまには物見遊山も良かろうと隔てた世界を越えて会いに来てやったぞ』
「巫女? ひょっとして、自分は神様だとでも言うのか?」
『そうじゃ、分体じゃがの。おお、そなたにも一応注意しておくが、春香の中には妾がおるので、読心やその他の精神干渉はせぬことじゃ。まあ、春香自身がお主を無意識のうちに守るであろうから滅多な事は起こらんだろうがな。ああ……』
そこで春香の内に宿る神様は俺の耳元に口を寄せると、背筋がゾクっとするような甘い声で囁いた。
『同意の上での子作りなら許してやる。あまり春香を嫉妬させるでないぞ』
そこで圧倒的な霊圧が不意に緩むと、気を失うように俺の方に倒れ込んできたので慌てて抱き止める。
「まったく悪戯好きな女神様だ」
そう言いつつも、先ほどの揶揄い混じりの挑発と普段の強気な態度とは裏腹な春香の華奢な抱き心地に、いつも寝食を共にして遊んでいた幼い頃とは違うことを否応がなしに認識してしまい心拍数が跳ね上がってしまう。幼馴染として普段は気安く話していても、巫女の装束に身を包んだ春香は黙っていれば日本人形のような美少女なのだ。
俺は頭をブルブルと振って邪念を追い出すと、気を失っている様子の春香に声をかける。
「春香? 大丈夫か?」
「うーん、あれ? ここは……って、キャー! 痴漢!」
バチーン!
パッと身を離した春香に思いっきり平手打ちをされたおかげで、先ほどまでの胸の高鳴りは綺麗さっぱり霧散した。平常心を取り戻した俺は憮然とした調子で目の前にいるのが誰かを教えてやる。
「誰が痴漢だ。俺だよ俺」
「アキくん! アキくんは異世界に行ったって聞いた……ってあれれ? ここはどこよ」
「その異世界だ。お前の中にいる神様が物見遊山がてら転移してきたぞ。覚えていないのか?」
俺の問いかけに首をコテンと倒して考える素振りを見せた春香は、ここにくる前のことを思い出すようにして、うーんと唸る。
「そんなこと言われても私は寝ていただけよ。あれ、なんで巫女装束を着ているのかな。しかも神楽舞をするときの正装じゃない」
「知らん。神様が着替えたんじゃないか? というか、何で俺が異世界に行ったって知っているんだ。神様に聞いたのか?」
しかし予想に反して首を振った春香は、頭の痛くなることを言い出した。
「アキくんの婚約者だって言うメリアーナとアリシアって子から聞いたわ。しかも私にアキくんの側室になれって! 一体全体、どういうことよ! 鳥居の結界に阻まれていたから、あやかしの類かと思ったけどそうじゃないみたいだし……」
あの二人の侵入を阻止できるような結界が神社に張られているとは初耳だが、その話は後にして今は春香への説明が先だ。
「あー、話せば長くなるがな。端的に言うと、父さんと母さんは別の銀河からきた王族と皇族で、その子供である俺を
「ろ、籠絡って何よ! まさかアキくん、あの二人といかがわしいことをしたんじゃ……」
「してねーよ! 速攻で異世界転移魔法で逃げて、この通り今は一人で最寄りの街に向かっていたところだ!」
そう言って春香の後ろにある街を指し示すと、振り返ってその中世ヨーロッパ然とした街並みに彼女は唖然として声を漏らした。
「なによあれ……本当にここは日本じゃないのね。というか異世界転移魔法? アキくん、火や水を出す以外にも、そんなことできたの」
「まあな。正確に言うと、数ヶ月前に捕縛されそうになったときに、父さんや母さんから伝授されたんだ」
それから数ヶ月前の出来事から今日に至るまでの出来事を順序立てて説明した。
「何だか頭が痛くなってきたわ。ところで元の世界に戻れないの?」
「俺は元の世界の座標や位相がわからないから戻れないけど、春香の中にいる神様ならできるんじゃないか? 物見遊山に来たって言っていたから、飽きたら春香は帰れるだろう」
「私は帰れるって、アキくんは戻るつもりはないの?」
「まあな。座標の確認に一度は連れて行ってもらえるとありがたいけど、帰っても父さんも母さんも地球にはもういないし、お前も見たように厄介な追手も差し向けられている。戻ったとしても、どちらかの銀河に連行されるだろう」
俺はAランク冒険者のタグを見せて冒険者として日々の糧を得たり、シャンプーやリンスなどの商品販売をするような話をして、当分はファンタジー世界に近いアルファ世界や、このベータ世界を拠点として、他の世界を見て回る構想を話した。
「わかった。じゃあ私もアキくんと一緒に生活する!」
「はあ? 叔父さんや叔母さんにはなんて言うんだよ。心配するぞ」
「どっちにしろ神様の気分次第で、私だって自由に戻れないじゃない」
「それもそうか。わかった、じゃあ一緒に暮らそう。最悪、山の中でも衣食住には困らないから安心してくれ」
成り行きで春香と共に異世界で生活することになった俺は、ベータ世界の見物は後回しにして二人でアルファ世界の店舗に転移し、まずは生活基盤を整えることにした。
◇
「「お帰りなさいませ、旦那様」」
店舗に戻った俺は、待ち構えていたメリアーナとアリシアを見て黙り込んだ。そういえばアルファ世界にはこいつらがいたんだった。
「なにが旦那様だ。俺はお前らと結婚したつもりはないぞ」
「イリーナ様から提供された情報によりますと、アキト様はこのように出迎える形態の喫茶店を大層お好み……」
「ダァーーー! お袋の情報を垂れ流すのは禁止だァ!」
なんてこった! 想像以上に俺はお袋にチェックを入れられていたようだ!
そりゃそうか。伝授された魔法の中には遠くに居る俺を見たり周囲の音を聞いたりする魔法なんていくらでもあった。そういえば、どれだけ遅く帰っても怒られたことはなかったが、今思えばリアルタイムで監視されていたのだろう。なんというか、プライベートが全く無くて笑うしかない。
というか、今はそんなことを考えている場合じゃないんだ。隣に居る春香の白い目が痛いんだよォ!
「アキくんがそんなところに行っていたなんて……」
「違うんだ。これは遠く離れた銀河から来た彼女たちに、真実とは異なる誤った情報が伝わったに違いない」
しかし俺の精一杯の誤魔化しを、アリシアが空中に出現させたエア・ディスプレイに表示された詳細な分析情報とリアルな音声付きシミュレーション動画が、その可能性をバッサリと否定する。
「アキト様の好みに関する予測分析システムは最高峰のエンジニアチームが開発した完璧なもので、予測精度はほぼ百パーセントです」
「……わかった。すまないが、そのシステムに俺が指摘を受けたら恥ずかしいと感じる確率という新たなパラメータを加えて、確度が五十を超えたら内緒にしておいてくれないか?」
「わかりました。今、対応を完了しました。先ほどの情報ですと、確度百でしたね。アキト様に恥ずかしい思いをさせてしまい大変申し訳ございません」
「ははは、もう少し早く対応して欲しかったかな」
技術の無駄使いとも言える俺の好みに関する予測分析システムの改修スピードに、思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。こんな簡単に対応できるのに最初から考慮されていないなんて、繊細な十五歳男子というものを全く理解していないエンジニアチームが開発したに違いない!
しかし、今度はメリアーナという別口のセキュリティ・ホールから重要な情報が漏れてしまう。
「アキト様は健全な男子であらせられるのですから特殊性癖の一つや二つあって当然ですわ。春香さんも巫女コスプレでアキト様の期待に十全に応えていらしたではないですか」
「巫女装束はコスプレじゃないわよ! というか、アキトの期待ってなによ!」
そう言ってギンッ! と問い詰めるように向けてきた春香の視線を、俺は光の速さでソッポを向いて回避する。システム改修がうまく働いているのか、アリシアも今度は余計なことは言わないようだ。
よしよし、この調子で二人を教育をしていけば……
「じゃねぇ! メリアーナもアリシアも出て行ってくれ! 俺はお前たちと同居なんて承知していないぞ」
「アキト様、これをご覧ください」
そう言ってアリシアが差し出された手紙には、ナノマシンによる偽造不可能な特殊署名入りでこう書かれていた。
『すまん、お前の婚約は母さんとの結婚を両家の間で認める条件で断れなかった。奥手のお前のことだ。今頃は戸惑っていることだろうが、深く考えることはない。どちらか一方との婚約を受け入れてくれ。気に入ったら二人とも……いや、春香ちゃんを入れて三人とも娶ることも父さんの国では普通だから安心しろ。 父より』
親父からの手紙から婚約を断れない事情を察した俺は、イリーナでもアリシアでもない第三の選択を取ることを決心し、春香の手を握ってレイノールの街からアルファ世界に初めて来たときに飛ばされた山中へと転移を発動させる。
「俺は親に決められた結婚なんて絶対にしないぞ! 俺はお前たちから逃げ切って平穏無事な世界で生きるんだ!」
こうして俺の長い異世界逃避行生活の幕が開けることとなった。
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